世田谷城跡保存会

世田谷城跡保存会は平成17年に設立し城跡の保存と復元の活動を行っています。
 

早朝ウォーク 桝形山とその周辺

2022年08月18日 09時56分04秒 | 歴史探訪

桝形山とその周辺の史跡を歩いてきました。7月29日(金)朝、7時に向ヶ丘遊園駅改札口に集合し生田緑地に向かい、一気に山を登りました。展望台のある付近が一段と高くなっていたり、周辺に堀切の跡などがありました。

桝形城跡 標高80m、山頂は東西130m、南北80mの平坦地で眺望がいい。四方は断崖で囲まれた要害の地をなし地形が枡の形に似ていることから名付けられました。源頼朝が鎌倉に幕府を開いた頃、稲毛三郎重成が枡形山を城としました。重成は北条政子の妹を妻に迎え、源頼朝の重臣として活躍した武蔵武士です。

室町時代の永正元年(1504)には、山内上杉氏の討伐を狙っていた北条早雲が軍勢を進めて枡形城に入り、扇谷上杉朝良を助けて、山内上杉顕定の軍と多摩川の河原で戦い、激戦の末、山内上杉軍を破りました。

戦国時代の永禄12年(1569)、武田信玄が小田原へ出兵してきた時、当地の豪族横山式部少輔弘成は、枡形山に土塁を築いたと言われています。

かつては稲毛氏の守り本尊として毘沙門天が祀られていた天神社。

広福寺 枡形城の北側のふもとにある寺院。承和年間(834~848年)に慈覚大師によって開かれ鎌倉時代に長弁阿闍梨によって中興されました。本尊は木造五智如来坐像(桃山時代作)。

境内にある収蔵庫には、鎌倉時代の作とされる木造聖観音立像、平安時代の作とされる木造地蔵菩薩立像が安置されています。

 また、広福寺の寺地は、源頼朝の有力御家人の一人であった稲毛三郎重成の館跡ともいわれており、本堂内には木造稲毛重成坐像(桃山時代作)が祀られています。観音堂の裏には重成の墓といわれている五輪塔がありました。

向ヶ丘遊園駅10時に解散。