池尻まち歴
世田谷の町の歴史(略世田谷まち歴)を編修している。第1回は池尻。目黒区との区界に位置し、大山道(玉川通り)が東西に横断し、目黒、渋谷、青山、赤坂など江戸東京文化の影響を受けて発展した町。原始古代から近代までを概説する。
旧石器、縄文、弥生、古墳の各時代が複合する東山遺跡があり、池尻2丁目の一部がその遺跡に含まれている。
弘安6年(1283)には目黒の碑文谷に法華寺が開かれた。池尻には日蓮上人が彫ったとされる剣難除日蓮上人像を本尊とする祖師堂が、さらに法華寺の塔頭の一つ常光庵があったことから、法華寺の影響を古くから受けていたことがわかる。
室町時代には武蔵吉良氏の支配するところとなり池尻の有力者である橋本氏は吉良氏の家臣となり「世田谷12将」の一人だと言われている。
天文17年(1548)、吉良氏は目黒の碑文谷にあった法華寺に対して諸税の免除をする代わりに池上本門寺との争論をやめるよう仲裁し、天正11年(1583)には掟書を出して僧侶らに保護を加え、さらに同13年には門前七町四方の寄付をしている。
江戸時代になると一時期旗本領となったが、元禄8年以降幕末まで天領となり幕府代官の支配する地となった。
承応年間(1652~1654)に池沢村が池尻村から独立開村した。明暦年間(1655~1657)に火伏の稲荷、子育ての稲荷の名でも知られる池尻稲荷神社①が創建された。境内にある薬水の井戸は枯れたことがなく、大山道②を行き来する旅人の乾いた喉を潤した。池尻庚申堂③(池尻2丁目23番付近)には延宝8年(1680)と元禄5年(1692)に造立された庚申塔と宝永元(1704)に建立された地蔵の石仏がある。
明治12年(1879)、池尻、池沢両村が合併して池尻村となった。明治24年(1891)、旧池沢村の飛地を陸軍省が買収し、騎兵第一大隊、翌年には近衛輜重兵第一中隊が移転してきた。さらに明治30年には上目黒村と旧池沢村の土地を買収して駒沢練兵場④ができた。同32年には池尻に目黒郵便局が開設され、同37年に世田谷郵便局と改名された。明治43年(1910)、品川警察署世田谷分署が池尻に出来た。
さらに詳しく知りたい方は池尻の歴史へ
①池尻稲荷神社
②大山道旧道
③池尻庚申堂
④駒沢練兵場倉庫(現存)
ご関心のある方は池尻の歴史へ