明治神宮とその周辺を歩いてきました。8月26日(金)7時30分から10時。
代々木の地名 古くからある地名で、戦国時代、世田谷の領主だった吉良頼康の書状に「代々木村」とあるのが最も古いものとして知られています。吉良氏と関係のあった宝傳寺が代々木にあり領地であったようです。
小田急線参宮橋駅西改札口を出てすぐの道路わきに陸軍省所轄と刻まれた境界石があります。代々木練兵場の区画に建てられたものです。参宮橋の近くには大山道の道標が建っています。大山道の道標は不動明王を石柱に乗せた形が多いのですが、ここのは大小の天狗が彫られています。また反対側には津島神社があります。関東にはあまり見られない社で謂れははっきりしません。
宝物殿と北池 西門から明治神宮の境内へ入ります。宝物殿は大正10年に建てられたものでコンクリート作りに花崗岩を貼り付けたもので見た目は大変ソフトな印象を受けます。現在は閉館中で入れません。北池の広場には亀石があり池にはすっぽんなどの亀がたくさんいます。
明治神宮本殿 本殿は、明治45年、明治天皇が崩御し伏見桃山陵に埋葬された後、大正2年、渋沢栄一らが発起人となり神宮創設が進められ、同9年に創建されました。さらに大正10年には「明治神宮御境内林苑計画」が作られ、日本各地、朝鮮半島、台湾から総数12万本の樹木が集められ鎮守の森ができました。
明治御苑 明治神宮の一帯は江戸時代初期に加藤清正の別邸として使われ、清正井が苑内に残っています。その後、彦根藩井伊家の下屋敷となり、明治7年、南豊島御料地として明治政府が買収しました。明治天皇、昭憲皇后は当地を愛で谷戸に菖蒲田を作り、休憩所として南池を臨む御茶屋隔雲亭を建ててたびたび来られていたそうです。森の静寂に建つ社に参加者は清々しい気持ちになりました。
地名の由来は村民がサイカチの木を代々植栽していたとか、モミの木の巨樹によるとか言われているが判然としません。明治神宮境内には2代目の樅木があり由来が書かれています。
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