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カッパ・ど・ピア

劇団暁座のこと、私のことをたくさん書きます。

BIG WAVE

2005-08-03 12:50:37 | 回想
今月6日に西武ドームにおいて渡辺美里西武ドーム最終章と題してコンサートが開かれる。最終章という響きが胸を打つ。
この西武ドームコンサートは私にとって忘れられない場所だ。私がステージを駆け回り、声をからして歌ったわけではないが思い出の場所である。

1993年夏。渡辺美里西武球場コンサートは、後半物凄い雨の中行われた。
私に、BIG WAVEがやってきた。

雨にぬれて冷たく冷え切った身体、言葉に出来ないだるさを感じながら家路に急いだ。翌日の早朝から青年会合宿のため、清里まで行くことになっていた。
参加者は学生と社会人で50人ほどであった。
高速バスを待つ間、私はちょっと気になる男の子を発見した。
「あの子も一緒に行くのかな?」興味津々で友達に聞いてみたが友達も知らなかったらしい。友達と一緒に「おはよう!!」と声をかけてみた。「おはよう」と返してくれた笑顔がとても印象的だった。
合宿は2泊3日で、2~4名が1部屋であるがグループごとにテーマに合わせて話し合いがもたれた。私はその年の青年会の副会長になっていたため、すべての準備に注意をはらっていた。
廊下を歩いていると、ドアが開けっ放しの部屋があった。さりげなくのぞくと、二段ベッドに大きなビーチタオルがかかっていた。
なんと、そのビーチタオルは、前日に行った渡辺美里のツアータイトルが入った物だった。「昨日のコンサートいったの?」うれしさのあまりに問いかけた。
「そう」と、返事が返ってきた。その返事の主は、なんと、出発前に気になっていた彼だったのだ。



『かすがのつばめ』 2

2005-08-01 15:14:45 | 回想
「これ、もしかしたらつばめのヒナかよ。」
「でも死んじゃってるよ」
ぼくは、校舎のかべを目で追った。
二階建ての校舎の、のきしたには、たくさんのつばめの巣があった。
親つばめが、くちばしに虫のようなものをくわえて、巣に戻ってきた。
「昨日の夜、雨がすごかったもんな」
「風だって強くって、ぼくの家飛ばされるかと思ったくらいだよ」
「このつばめ、きっと巣から飛ばされちゃったんだよ」
ぼくたちの頭の上では、巣の中から、首をのばし口をパクッと開けて、親つばめがえさを持って来るのをピィーピィーなきながら、待っていた。
三人は、ボーッと上を見上げていた。
すると、ピーーィーという元気のない鳴き声が、下の方からも聞こえてきた。
少し離れた雑草の上に、もう一羽小さなつばめのヒナが、落ちていた。
このヒナはもぞもぞ動いていた。
「こいつはいきているよ」
ぼくの心に、うれしさがこみあげてきた。隆は、そっとつばめを拾い上げた。
隆の手のひらに乗ったつばめのヒナは、今にも壊れてしまいそうなくらい弱々しく、羽もまだ薄くてとてもつばめには見えない。
つばめは、自分の頭よりも大きくくちばしを開き、ピィーーピィー鳴いた。
「このつばめどうする?」俊彦が心配そうに言った。
「でも、あんなにたくさん巣があるんだよ。このつばめの巣がどれなんだかわからないじゃないか」それに、ぼく達では、どうしたって巣までとどかない。

『かすがのつばめ』 1

2005-07-29 13:38:33 | 回想
1990年に専門学校の卒業文集に掲載した。私の作品『かすがのつばめ』です。

ぼくの名前は、達也。岩波分校の四年生。
分校って言うと、すごく田舎だというイメージがあると思うけど、ぼくの住んでいるところもやっぱり田舎かもしれない。
ぼくの学校は、生徒数が少ないので、学校中が友達みたいなものだ。
中でも同じ四年生の隆と、俊彦と、ぼくは仲良し三人組だ。
ぼくたちの学校は、明日から夏休みが始まる。
卒業式が終わって、先生から夏休みの注意を聞いた。
その後、成績表をもらうと、みんなは急いで家に帰っていった。
しかし、ぼくたち三人はなかなか家に帰る気がしなかった。
ぼくたち三人は、もうみんな帰ってしまった学校の校庭で、キャッチボールをしていた。
ぼくがよそ見をしている時にかぎって、隆は力いっぱいぼくの方にボールを投げる。
ぼくは、とりそこねたボールを追いかけて走っていった。
ちょうど、ボールが落ちたすぐそばに、変な物がいた。
近づいて、しゃがみこんだ。
「おーい達也、何してるんだよ」
「はやくしろよ」
隆と俊彦が、大声でどなる。
ぼくは、後ろをふり返って、「ちょっと来いよ」と、二人を呼んだ。
「なんだ、なんだ」
隆と俊彦が、走りよって来て、ぼくの背中ごしから、下をみた。

仲良しこよし

2005-07-28 14:47:14 | 回想
専門学校では、高校と違ってクラスの中でグループになったりはしないのだろうと思っていた。がしかし、教室を見渡すと、やっぱりいくつかのグループになっていた。べつにグループになる必要もあまりないように思うが、高校と違って学科も選択するので、なかよしグループはたいてい同じ講義に出席していた。
私はどうせ暇だからという理由で片っ端から学科を選んだ。ほとんど毎日学校に行っていた。
最初に仲良くなった読書家の友達とは隣の席に座ることが多かった。気がつくと私も4人グループの一員になっていた。見事にタイプが違うからまた面白い。
4人でみんな仲が良かったというのではなく、個々で仲がよかった。もちろん他の友達もたくさん出来た。自分から友達になるぞオーラを出していたからかもしれない。学校では全く一緒にいることはないが、放課後になると一緒に遊びに行ったりする友達もいた。
一人暮らしを始めて、環境が変わったのに、高校の時と違って学校へ行くのは楽しかった。
ところで童話作家となる可能性はゼロであった。全く意外性のある文章が書けなかった。発想がリアルになってしまう。作文みたいな作品になってしまう。
当時の作品『かすがのツバメ』を次回披露しようと思う。原稿が見つかればの話だが・・・

たのしい熱帯魚

2005-07-27 17:37:15 | 回想
東京での一人暮らし。とんでもなく狭い部屋だ。
しかし、性格上小さな雑貨を集めてしまう。ある意味博物館状態だ。まあ、その部屋の中にひときわ目立って熱帯魚の水槽がある。飼っていた魚は初心者向けの魚ばかりではあるが、本を見ながら稚魚を増やすことに専念した。
アルフィーの坂崎さんのファンであり、彼の行きつけていた熱帯魚屋さんまで足を運び新しい魚を増やしていた。本当は爬虫類ブームにのっかってイグアナでも飼おうかと思ったが、小型の銭亀で我慢した。私は意外と凝り性なのだ。小さな水草を一本一本ピンセットを使って植えたり、産まれた稚魚に餌を与えたりと、結構まじめに飼育していた。ベタと言う魚の産卵シーンには感激した。とても敏感な魚らしくふ化させるには相当な神経が必要らしい。50個以上産卵したが、ふ化するまでに親魚に食べられてしまうのだ。結局、ベタの稚魚は育たなかったのであった。

子供嫌い

2005-07-25 17:47:08 | 回想
子供が嫌いだ。とにかく子供が嫌いである。
なぜかというと、無神経で何でも知りたがるからである。
そう思ったのは、以前ボランティアで関わった家族の話になる。幼稚園児の男の子のお母さんは、重度の身体障害のため生活のほとんどは介護者の助けが必要であった。私の友達がその方の介護に入っていたので、知り合うことになった。だんなさんが熱帯魚に詳しくとても気さくな感じであったため、すっかり熱帯魚好きの私も遊びに行くようになった。私は、単に友達としてその家族と付き合うことになった。
ある日その息子が、私に「どうして、手が小さいの?」としつこく聞いてきた。正直私は、理由を知っているわけでもなく・・・当時の私は、答えられなかった。
その子の周りには障害をもった人がたくさんいた。いうなれば、母親も障害をもっている。一人一人に聞いていたのかどうかは分からないが、私なりに複雑な気持ちであった。自分の周りに障害をもった人がいなくて、ほんとにどうしてかな?って思う子もいると思う。子供のどうしては、しかたがないことだと思う。
親が障害をもっている子供に、私は「どうして、手が小さいの?」と、よく聞かれるのはなぜなんだろうか? 
意味なんてないだろう。子供にとっては親は親なんだろうから・・・

ディスコタイム

2005-07-22 14:27:04 | 回想
私は上京して日々まじめに勉学に励んでいた。めいいっぱい講義を受講した。
宿題は、童話創作の課題で毎週のように作品を書き上げる事だ。発想の転換、意外性、とにかく作品を書くことからだった。
その日の課題は、『あな』『らせん』このテーマで話を膨らませて童話を書く。しだいにネタが尽きてくる。ボキャブラリーのなさに唖然とした。
週末になると田舎の友達が遊びに来た。どうやら都会のディスコに行きたいらしい。当時はジュリセンでもパラパラでもなく、ボディコンが流行っていた。
まあ、私は何を着てもボディコンであったが・・・
とにかくディスコというところは楽しかった。食べ放題、飲み放題でしかも女性は半額料金である。それが大きな目的でもあった。
曲にノリノリで踊るのも楽しい。別にうまくかっこよく踊らなくてもいいわけだが、それでも同じような振り付けを覚えて踊った。
都会の生活になじんだかの様に思えた。学校ではいろいろなタイプの友達が出来た。少しずつ、高校時代とは違う自分らしさが出せるようになった。



どこかにきっと

2005-07-21 13:19:19 | 回想
自分が取得した学科の講師の作品は、必ず読んだ。知っている先生の作品を読むのは、なかなか楽しい。『てっちゃんのつばさ』の作者の先生はたくさんの絵本を出版していた。私は、『てっちゃんのつばさ』の絵本が大好きになったことを先生に伝えた。残念なことにすでに絶版になっている絵本だったのですが、先生が持っていた本を譲ってくださいました。それは、私の宝物となった。
ところで、学科の講師で私のお気に入りの先生がいた。とてもチャーミングな感じの女の先生で、講義もおもしろかった。その先生のシリーズ作品は読みつくした。
先生は自分の話をすることが多い。
ある日、先生がお友達の話をした。学生時代からの友達でよく皆で集まっているそうだ。そのグループの中に優しくてかっこよくてモテモテの男の子がいた。その子が結婚した。きっと、素敵な奥さんだろうと仲間は思っていた。先生はその方の奥さんとなった人を見てビックリしたそうだ。階段のあるお店で皆と会ったときその方は奥さんを抱きかかえて現れた。奥さんは車椅子で生活していた。先生はどうしてその方がその人を伴侶として選んだのか、不思議でたまらなかったらしい。
しかし、何度か会い時間を過ごしていく間にわかったのだ。先生もその人の人柄が大好きになったそうだ。
何事にも一生懸命で前向きなあなたのことをきっと見つけ出してくれる人がいるはず。心から感じた。
そう締めくくられた先生の話。
ずっと、先生のその話を引きずっている私がいる・・・

『てっちゃんのつばさ』

2005-07-20 14:11:12 | 回想
図書室の本棚には、絵本や童話がたくさん並んでいた。それらの作者は学校の講師も務めていた。本屋でよく見かける名前も多かった。
なにげなく『てっちゃんのつばさ』という絵本を手に取った。とても柔らかなタッチの挿絵が印象的だった。

神様の国がありました。・・・
天使のつばさと、片腕を神様にあずけた天使が人間の住む世界へとおりていきました。
あるところに、男の子が生まれました。名前はてっちゃん。
てっちゃんは、てっちゃんなのに腕が片方しかありませんでした。お父さんが見てもお母さんが見てもありませんでした。

ずんずんと本の中に引き込まれていきました。読み終わると、今までずっと考え悩んでいたことが、ふわっと軽くなった気持ちがしました。
私は、この絵本が大好きになりました。
このお話を皆につたえてあげたくなりました。
当時、私は教会で小学生達にお話をしたり一緒に劇をやったりしていました。上京してからも、月に2回は日曜日の礼拝に出席する為に、実家に帰っていました。
さっそく私は『てっちゃんのつばさ』の紙芝居をつくってみんなの前で読み上げました。

ビビビッって感じた。

2005-07-19 15:27:27 | 回想
高校卒業後の進路も決まり、あとは生活するアパートを探さなければならない。専門学校から通うのに便利な場所がよい。東京まで来て、不動産屋に行き10分ほどで決定した。即、契約したが入居できるのは5月からであった。10日間は群馬の実家から新幹線通学をすることになった。たまたま友人も1ヶ月間ほど、東京まで新幹線通学するというので、一緒に朝5時起きをして東京の学校に通い始めた。まずは新しい環境に慣れなければならない。高校の時のような学校生活は送りたくはなかった。積極的に振る舞う様に努力した。最初に仲良くなった子は私と同じ血液型O型で同じ生年月日の子であった。しかし、全く性格が違ったので驚いた。当たり前かもしれない…
彼女は読書家であった。児童文学で童話創作を専攻するのだからこれも当たり前なのかもしれない。学校の図書室にある本は99パーセント以上児童文学、絵本であった。だから彼女はほとんど読みつくしたと思う。私はマイペースで、読むのも遅かった。子供の時にはあまり読んでいなかったのか、絵本などはとても新鮮に思えた。
そして、この学校の図書館で私は運命的な出会いをしたのである。ビビビッって感じることってあるんだと思った。