玉陽庵 算命学ブログ

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「幸せ」について

2015年07月07日 | 算命学 あれこれ
世の中には、金運に恵まれる人、地位に恵まれる人、健康に恵まれる人など、様々な人がいます。
算命学では、それらを五つの要素に分け、どのような要素に恵まれているか、あるいは、どのような要素が少ないのかを見ます。
五要素とは、次のようなもの。

・福分(満足感、幸福感)
・寿分(健康)
・禄分(金銭、物質)
・官分(地位、名誉)
・印分(勉強)

何度かブログでも取り上げましたが、「大運天中殺の陽転」で起きる現象は「禄分・官分」に出ます。
組織に属する人ならば出世して財を手に入れたり、自営業の方なら商品がヒットして有名になり、会社を大きくしたり。
芸能人の方なら、ブレイクして仕事が次々と舞い込み、財を築いたりするでしょう。

ただし、ここで語られているのは、「禄分・官分」のみ。
大運天中殺が陽転したからと言って、「寿分、印分」に現象がでることはありません。
つまり、以前よりも健康になることも、頭が良くなることもないのです。

そして、「幸せ」は約束されていません。
それは、「福分」に属する事であり、金銭運(禄分)、出世運(官分)とは、異なるものだからです。

ピンと来ないかもしれませんが、世の中には、どれほどお金があろうと、どれほど社会的地位が高かろうと、不幸せな人はいます。
逆に、大した蓄えもなく、極々平凡な職業に就き、ステータスなどには無縁、といった人でも、日常に満足し、日々の幸せに感謝する気持ちを持つ人もいます。

これが、「福分」に恵まれているかどうかの差です。

これら五要素のバランスは、宿命的に決まっているものです。
年によって総合的なエネルギーが変動するように、もちろん、この五要素も年によって変動しますので生涯一定という訳ではありません。

勉強で目覚ましい成果が上がり、良い学校に合格できる時期もあれば、どうしても健康が優れない時期があったり。
金運などはあまり目立たなくても、幸福感、満足感が高い時期があったりと、様々です。

「禄分・官分」は外側からもすぐに分かる現象ですし、いわゆる「成功」ですから、人も羨む事象です。
これに対し、「福分」には明確な基準がありません。本人の「満足感」の問題ですから、他人にはそれが大きいのか小さいのか、分かりませんし、何をもって「幸せ」と思うかは人それぞれ。
だからこそ、分かりやすい「禄分・官分」を見て人は他人の幸不幸を論じたがるのかもしれません。

ただ、ぜひ、人の幸不幸は、目に見える事象では推し量れないということを、知っておいて頂きたいのです。

沢山の親族に囲まれ、孤独を感じる暇もないような環境を幸せと感じる人もいます。
しかし、誰にも気兼ねすることなく、自由の身でいる事を幸せと感じる人もいるのです。

「普通の幸せ」というのは、一種の固定観念であり、幻想にすぎません。
何故なら、「普通の人」というのは、厳密には存在しないからです。

人にはそれぞれ特徴があり、個性があり、別々の宿命を背負っています。

宿命に大きな偏りがなく、バランスが取れている人は、中庸を保つ生き方で苦労が少ないでしょう。
逆に、大器の宿命を持つ方が「平凡」を追い求めると、苦労の連続になってしまう事もあります。
そのような方にとっては、「非凡」な生き方こそが楽な生き方であり、自然な生き方だからです。

「中庸」な生き方、「平凡」な生き方は尊い生き方とされます。
しかし、万人がそのように生きられる訳ではありません。

そのように生きられなかったからこそ、「中庸の尊さ」が身に染みて分かる事もあるのです。

人生とは、学ぶ事。
そして、学び方も、人それぞれ。
実際に「中庸」を生き、その恩恵を享受してありがたみを感じる人もいれば、「中庸」を得られなかったことで、その得難さを学ぶ人もいます。

算命学は、善悪を語りません。

どちらの学び方が良く、どちらの学び方が悪いという訳ではないのです。
そこにあるのは、単なる個人差でしかありません。

自分にとっての「幸せ」を人に当てはめても、決して良い結果は生みません。
自分にとっての「幸せ」をより多く持っているからと言って、その人が本当に幸せかどうかは分かりません。
自分にとっての「幸せ」がその人にとっては「苦労の種」となっている場合もあるのです。

自分にとっての「幸せ」を持っていない人を、かわいそうと憐れむのもナンセンスです。
なぜなら、その人は自分よりもずっと大きな「満足感・幸福感」に満ちている人かもしれないからです。

算命学でも、「福分」を数値化はできても、具体的にどのような「満足感・幸福感」であるかは分かりません。
ちょうど仕事運が良い時期と重なっていれば、満足の行く仕事ができたのかもしれない。
ちょうどお子さんの生まれた時期と重なれば、家庭的な幸福感を得られたのかもしれない、と想像はしますが、もちろん、必ず当てはまるとは限りません。
もしかすると、趣味で大きな満足感が得られた時期だったりするかもしれないからです。

これほど主観的な感覚を「普通の幸せ」という固定観念で縛り、そんな色眼鏡で人を見たり、判断することがナンセンスであることは、お分かりいただけたでしょうか?

十人の人がいれば、十通りの「生き方」があり、十通りの「幸せ」があるもの。

人の「幸せ」を羨む必要はありませんし、人の「不幸」を見て優越感に浸る必要もありません。

まずは、自分にとっての「幸せとは何か」を見つけて下さい。

人と比べるのではなく、自分の生き方の中にこそ、大きなヒントがあるのです(^^)



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1 コメント

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とても、共感してます。 (鶴凰)
2015-09-22 21:02:48
四柱推命をやってます。
つい最近、算命学に、興味を持ち ネットで
検索していたら、先生のブログに、ぶつかりました 。
まず、ブログから、お人柄、教養、知性 、私と、同じ感性を、感じました。
これからも、応援します。
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