goo blog サービス終了のお知らせ 

花洛転合咄

畿内近辺の徘徊情報・裏話その他です。

池田南部徘徊

2012年09月18日 | 徘徊情報・摂津国
 本日は池田。盆に食うことができなかったたこ焼きを食いに行きます。お盆の8月15日、商店街を歩く人は殆どいないのに、たこ焼き屋だけは超満員、ヒェーと逃げ出して以来です。おばちゃんに聞くと、盆は各地から帰省した人が寄って下さるということです。



 たこ焼きを食い終わった後は、久しぶりに空気のいいところをウロウロしたいなあと山に行くつもりだったのですが、隣の席でたこ焼き+お好み焼き+かき氷というこれまたシビレルメニューを楽しんでいた親子が「大阪でゲリラ豪雨」とのスマホで得た情報を披瀝してくれました。ちょっと山は辛いかなーと悩み、「おーそーぢゃ、師匠が十二神社の防空壕を見てこい!と何かに書いておられたどー。」と思い出し、急遽池田南部の徘徊に切り替えました。
 駅に戻り、観光地図をもらって再出発です。我ながら知恵が付いたものです(エッヘン)。どんどんと南下します。途中には何かモダンな建物、何であるかは分かりません。南仏の娼家みたい。南仏て行ったことないけど(爆)。



 神田川というのが流れていました。完全な三面張りです。「かんだがわ」と読めば、何かあのくら~い歌を思い出しますが、池田のこの川の呼び名は「こうだがわ」です。



 駅でもらった地図というのが、本当に大ざっぱな地図で八坂神社というのが近くにあるらしいのですが、どこか分かりません。ちょうど交差点で信号無視の取り締まりをしていたポリコマンに尋ねると親切丁寧に教えてくれました。最近はちょっと何かあると警察がすぐに批判されますが、小生は警察に絡んで不愉快な気分になったことは一度もありません。免許更新の時のおねーちゃんは優しいしー。街中の警察署にうどん屋の場所を聞きに入ったときも親身に応対してくれたしー。
 いやいや、あるある、スピード違反で捕まった時と信号無視で捕まった時と、無理な追い越しで捕まった時と等々…(爆)。けれども喉元過ぎれば何とやらで、みんなえー人やなあと思います。このポリコマンには帰路も会いましたが、「行けましたかー?」と声をかけてくれました。
 八坂神社は自分が当初考えていたよりも遥かに立派なお社でした。灰を陶器の釉薬に使うというイスノキなども生えていました。きちんと説明が施されています。鳥居の横の常夜燈は寛政7年(1795)のもの。




イスノキ

 参道を進み「牛頭天王」とはっきりと彫られた常夜燈は宝暦7年(1757)、奥に進むとだんだんと古くなります。



 ここの鳩はみんなすばしこくてカメラを向けるとサッと逃げるので、撮ることはできませんでしたが、確かに鳩もいるいい社です。ただ惜しむらくは鳩が悠然としていない。コセコセしているのは誰か鳩を追いかける奴がいるのでしょう。


拝殿


龍の彫り物

 本殿はその全容を見ることはできませんでしたが、慶長15年(1610)年のもの。織田信長の摂津進出の際に焼け落ちた(1579)のを池田光宗が再建したとあります。年代的にこれは池田光重のことでしょうね。光重はこの後1614年の大阪の陣直前に改易されています。光重は大阪の陣では有馬氏に陣借りして徳川方として戦ったようですが、遂に旧領を回復することはできませんでした。
 拝殿の横には、日吉造とか大社造とかの詳しい説明も掲げられていました。その時は「なるほど!」と感心して読んだのですが、今はもう何も覚えていません。


神田の磐座

 天元元年(978)に東方より飛来したとの伝承のある石が神田の磐座、隕石だったのでしょうか。祭神の素戔嗚尊がこの石の上に降臨したという伝承も残るようです。鯉に乗ったり(前記事参照)、流れ星に乗ったり、とにかく大活躍です。そう、スサノオこそ中世日本が生んだスーパーヒーローです。


本殿

 さて、ここからがアホです。国道171号線、本道とパイパスがあるのをすっかり忘れていて、これをゴッチャにしたものだから何が何か分からなくなりました。十二神社を探してウロウロ、ウロウロ、今から考えると全く反対側に行き、「伊丹市」の表示を見て引き返したり、複数のおっさんに十二神社の場所を尋ねては皆に知らんと言われたり。しかも、六甲の山並みの方から不吉な黒雲が迫っています。
 ダイハツ本社の前を一度通っているのに気がつかなくて、二度目に通った時に「ここかぁ!」とようやく位置を確認した次第。ところでダイハツ、今も社員は自社の車でないとアカンのでしょうか?トヨタのセリカに乗っていた知人がダイハツに入社してかわいく軽自動車に乗りかえていたのを覚えています。


ダイハツ町

 箕面川を渡ればもうこちらのものです。しばらくは濡れながら歩きました。幸いにしてゲリラ豪雨というようなものには遭いませんでした。


箕面川

 十二神社、珍しい名前ですが天神七代(イザナギ・イザナミ以前)と地神五代(アマテラス以後)を祀ると言います。現社地に再鎮座されたのは1949年ですからこれは新しい。となると神社に防空壕を掘ったのではなくて、防空壕のあるところに神社が越してきたということになります。一時期八坂神社に合祀されていたのが、旧社地に戻ってきたとのことですから、防空壕は神社跡に掘られたと言うことになります。防空壕は残念ながら中には入れぬようにしてあります。ちぇ、我々がガキンチョのころにはそんな配慮は無かったろうから知っていたら必ず入っていたのに。




防空壕

 近くには「弁慶の泉」、西国に落ちのびようとする義経主従を多田行綱らが襲った時に奮戦した弁慶がこの泉でノドを潤したという伝承があるようです。摂津源氏もとんだところで悪役をやらされています。



 そのまま171号線を北に上がると「とよす」の本社。昔はあられやおかきというと我々の視野には「とよす」しか無かったように思いますが、今は北陸や東北系の食品会社が優勢です。とよすも今や新潟の亀田製菓の子会社です。亀田製菓、なんでおかきにチキンエキスなどで味付けするのでしょうね。素材本来の味に自信がないのではと勘ぐっています。ということで小生はメジャーなところでは亀田製菓より越後製菓を贔屓にしています。また先だっては久しく親しんでいた生駒の高山製菓の「ころもち」にチキンエキスが使われていたことを知り、えらいショックを受けました。ところで、最近、前田製菓のランチクラッカーというやつをうん十年ぶりに食べました。こやつも懐かしいですね(閑話休題)。
 とよすには一日も早く子会社から脱却して正義の味を守り通して欲しい。そういえば「とよす」の季節もんを長いこと食っていません。今だったら西瓜を象った箱に入ったヤツやな。



 その名も住吉町にある住吉神社。十二神社が駒の森と言われるのに対して、こちらは亀の森です。境内にも亀の森幼稚園というのがありました。この幼稚園の辺りに末社がありますが、本殿付近よりもこの辺りに深遠な雰囲気が漂います。





 ここからは西国街道を歩いて石橋へ。雨はたいしたことにはなりませんでしたが、あのまま山に登っていたら、確かにもっともっと濡れていたことでしょう。
 うー、それでも今日も亦平地の徘徊になってしまった。頭巾山に行くと決めた日に雨が降ったのが全ての始まりのような気がします。もうホント、二ノ瀬ユリでもどこでもいいから次は山に行こう!
 石橋周辺にも飲み屋はたくさんあるのですが、全くの門外漢です。池田に来たら「たこ焼き」を最優先するからでしょうね。石橋で飲んだという記憶がありません。今日もすぐに電車に乗ってしまいました。またまた「おかえりなさーい」かなと思いましたが、直前に気が変わって「はな」で飲みました。カレーうどんのにおいに誘われてしまった(爆)。


西国街道 



8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
豪雨より豪酒に見舞われ夏の夕。 (道草)
2012-09-03 18:27:50
まず、念願のたこ焼き(もちろんビール付き)が無事に食べられて何よりでした。まさに「執念記念日」ですネ。カキ氷も魅力的ですが、子供が幼児の昔は簡単な器具があってよく作りました。かのカキ氷器はどこへ行ったのか・・・。
この2階建ては何なのでしょう。まさか飾り窓?「神田川」(呼び方はどうあれ)この様子ではくらーい雰囲気さえ味わえませんねぇ。
いずれにしましても、警官のお陰で八坂神社へ辿り付けて何よりでした。gunkanatagoさんは、昔から警官には親切にされる(ワルイ事をした時以外は)人間味を漂わせておられるのでは。それなら、せめてポッキーマンの愛称を捧げられては・・・。オカキが大好物のようですし。
それにしても八坂神社はかなり立派な構えではないですか。円山の八坂神社と関係があるのでしょうか。また、イスノキなんてよくご存知ですネ。呑むじゃなかった歩く植物図鑑氏の賜物かも。鳩もよく訓練されている様ですし・・・。
素戔嗚尊はそれこそ各地に神出鬼没みたいですが、この磐座とやらは隕石ですか。落下時は相当な騒動だったのでしょう。
十二神社はやはり十二の御神体が祀られているとのこと。防空壕のある所へ越して来たなんて、神主が空襲が怖かったのではないですか。話は違いますが、京都の出世稲荷(二条駅の近くで、秀吉が参拝して出世した)が引越しました。段か参詣者が少なくて維持出来なくなったとのことです。
名前からして、地位名誉や戦中の出征から出生、そして延命長寿や金銀財宝などあらゆる欲望を叶えてくれるとの神社でしたが、檀家が少なく参拝客も減って維持不可能になったとのことです。バス停の名称にもなっていますので、変更が大変らしいです。
最後は住吉神社ですか。縁起の良い名前ですから、方々に各地にあるのでしょう。それにしましても、池田にはなかなか立派な神社(飲み屋も)が並んでいる様で、gunkanatagoさんには垂涎の地域なのでしょう。もう、地元の人にも顔を覚えられておられるかも・・・。
返信する
そういえば (gunkanatago)
2012-09-18 15:39:57
 道草様、超特急のコメントをありがとうございました。アップより早いとなるともはや時空がひずんでいるのではと心配する人も(笑)。
 かき氷機、ありましたありました。綿菓子機もありました。本当に、どこに行ってしまったのかなと思いますが、かき氷機の方はよーく探したら見つかるような気もします。家でかき氷を作ってくれても、どうしても店のようなフワフワ感が出ないので、よく近所の駄菓子屋に食いに行きました。その点、綿菓子の方は店で作るのも家で作るのも同じでしたが、今時の子はあんな砂糖の塊は食べないでしょうね。
 イスノキ、ちゃんと説明がありました。無かったら、見た目は完全に普通の木ですから、小生の如きに見つけられることはないでしょう。
 写真の二階家、やはりそれを想像するでしょう。いっぺん、窓が開くまで待ってみようかな(笑)。
返信する
思い出すことあれこれと (mfujino)
2012-09-19 05:27:02
gunkanatagoさん、またまた池田でございますね。ダイハツ町という写真がありましたので今地図を見たら確かにダイハツ町がありますね。疑ったわけでなく、へえ~と思って地図を見てみた訳です(^_*) 学生時代ここでアルバイトをしました。1週間交代で昼夜の勤務が代わり、夜は伊丹空港にプロペラ機がブ~ンという音を出して着陸していたのを思い出し、もう随分と昔の話なんだなあと我が歳に思いをいたしました。
田舎から大阪へは477で行くのが多いのですが、というのはこの辺りはしょっちゅう通っているんですね。日も暮れて171のバイパスでよく道を間違えたりしましたね。石橋界隈を車で走ったらややこしいし。まあしかしこういうややこしいところは味のある店が多いんとちゃいますかね。
話は飛びますが頭巾山、紅葉の頃に行ってみやはったらどうですか。その表情の感想を聞きたいものです。前回は新緑を楽しんだのですが、参加された方が秋にも来てみたいと言っておられたもので。そうそう、青葉山下見に行ってきましたぜ~。残暑厳しくまた体調悪くすごく汗をかき、それが入り込んだのかカメラを痛めてしまいました。青葉山の東峰・西峰の間はまさに行場でございました。昔は山は信仰の対象であり行場でもあったんですね。福井勝山の平泉寺白山神社へも行きましたが白山に登りたくなりましたし、平泉寺の坊跡の発掘現場も面白い。師匠が喜ばはるんとちゃうかな。凄い宗教都市を垣間見られます。
神田川と聞けば私は最近は、じんでんがわ、と読んでしまいそうです。
おかきの話が出てきましたけど、ウッディ京北で「おかん」とか「おばあちゃんの味(やったと思う)」を一度買ってみて下さい。餅を搗き、乾燥させて、炭火で焼いた全く昔からの手作りです。
イスノキって初めて聞きました。染色に木の灰が必要で、鷹峯にはその問屋があったそうですが、我が田舎なんかからもどんどんしゅっかしていたんやろうかと思います。
あちこち話が飛び始めましたので今宵ならぬ今朝ははここまでにしとうございます。
返信する
平泉寺など (gunkanatago)
2012-09-19 14:32:04
 mfujino様、コメントをありがとうございます。おー、ダイハツでバイトをされていたのですね。小生はバイトはしていませんが、農業の合間に臨時工として働きに行っていたおっちゃん方をよく知っています。どこかでかぶるかも。
 秋の頭巾山、了解です。一部しか歩いていませんが、あの素晴らしい尾根道が忘れられません。変に下山後の酒を考えないので、純粋に山登りが楽しめそうです。
 平泉寺、大昔に一度行きました。あの時は越前から美濃へ抜けたように記憶しています。何か朝倉義景が切腹した寺に行ったような。師匠は傾斜無し、ということで行くと車で行かなくてはなりませんね。
 青葉山、お疲れ様です。カメラ、残念ですね。この山も遥か彼方に見えると「ああ、いつか登りたい」と思う山です。手作りおかき了解です。チキンエキス、使わんようにと頼んでおいて下さい(笑)。
返信する
おかきは全くの手作りです (mfujino)
2012-09-19 21:14:40
おかきにチキンエキス?「おかん」などは先に書きました様に、全く昔家で作って焼いたのと同じ方法で作られています。焼いて塗るのは醤油で今風の人には頼りないと感じられるかもしれません。
返信する
頼りない味がいい (gunkanatago)
2012-09-20 14:11:03
 mfujino様、そうでしょうね。おかきにチキンエキスやその他の合成された化学物質で味付けをするというのはもはや病気だと思います。そこはかとない醤油の味こそがおかきは一番美味だと思います。
返信する
すみません 教えてください (鎌倉街道)
2012-09-23 09:31:59
初めまして。 近頃徘徊情報のブログを拝見させていただいております。池田のことは全くわかりませんので、池田の件ではないのですが、徘徊をなっさて居られるので「夜の京都にも詳しい方!」と思い、チョット教えてほしいことがあります。

今月末京都へ深夜バス利用で向かいます。行きは自宅近くから乗れますので何ら問題はないのですが、帰り京都駅発24時10分前、「さてこの間の時間をどうしよう。」と考えると毎日頭が痛いです。
「東寺の近くにお風呂屋さんがありますよ。」とバス会社の人が教えてくれましたが、昼間でも東寺方面は人通りが少ないので、23時ころは歩きたくないですし。
新都ホテルで待つのも長時間ですから、少しウロウロしなければなりません。どこか楽しめるところがあったら教えてください。
返信する
調べてみます。 (gunkanatago)
2012-09-24 14:18:28
 鎌倉街道様、コメントをありがとうございます。今月末にも京都に来られるのですね。それには間に合わないかも知れませんが、どこかいいところは無いか調べてみます。
 確かに深夜の東寺周辺は「ちょっと」という感じで、ましてや女性はなおさらです。かといって京都駅周辺が環境がいいかというと、これも「?」ですね。
 今、いいところは思い浮かびませんが、やはり京都駅なら京都駅ビルの中で、あるいはすぐに京都駅に出られる私鉄の駅周辺にいらっしゃるのが一番いいのではと思います。
 鎌倉街道様のことは、mfujino様を通じて、師匠にも伝わっておりますので、一度意見を聞いてみます。速攻「これ!」というお返事ができず申し訳ありません。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。