花洛転合咄

畿内近辺の徘徊情報・裏話その他です。

三宅八幡から出町に

2013年11月20日 | 徘徊情報・洛中洛外
 本日は久しぶりの三宅八幡、この近くの竹林寺でお花のお師匠さん一門の展示会があります。お花のお師匠さんと表しているものの小生が活花を習っている訳ではありません。平生、「文化」と名の付く事柄に殆ど無縁である小生は、このようなお誘いを受けることでかろうじて文化的なものとの細い糸をつながせてもらっています。こういうのが無ければ本当バルバロイ。
 秋の観光シーズン、叡山電車の鞍馬行きは文字通りクソ満員、出町の切符売り場を見た瞬間、シマッタ!と思いましたが、改札の前で駅員が切符を売っていましたので、列ばずに済みました。宝ヶ池で分かれる鞍馬行きと八瀬行き。三宅八幡は八瀬線の駅です。鞍馬線なら八幡前。
 八瀬行きは比較的に空いています。これはもう、シーズンが終わらねば鞍馬方面は二ノ瀬ユリにも行けません。こういうダレた考えの小生に比べて、観光客というのは本当に勤勉です。満員の鞍馬行きに尻込みせず乗って行くもんなあ(詠嘆)。
 三宅八幡の駅から高野川の前に出たところに愛宕燈籠。竹林寺はここからは目と鼻の先ですから、先に八幡宮にお参りをします。



 この辺りになると、やはり比叡山が近いですね。帰りにチョイチョイと登ろうかな等という考えも頭をよぎります。まあ、よぎるだけですが。



 さすがに観光シーズンですね。三宅八幡に人がいたり、茶店が開いていたりするのを見るのは初めてです。七五三の季節でもありますね。




大楠公

 今までは特に気を付けませんでしたが、最近唐獅子・狛犬の編年を学ばねばと強く思っているためか、小振りながら見事な唐獅子・狛犬に目を引かれます。もちろんこのお宮さんの特徴を示す鳩の像も健在、ただ実際の鳩がいないことに疑問を感じます。八幡さんが鳩を逐うているようでは世も末ですね。







 期せずして紅葉も見ることが出来ました。少し歩いて竹林寺に到着です。



 隣の寺で仰々しく特別公開を行っている為か、比較的に人通りがあります。この竹林寺自体も本来非公開なのですが、「何かいな?」と入ってきた人たちは見事な庭と活花を見ることが出来てラッキーでした。









 タイミング的にちょうどよかったようで、笙と横笛の演奏を聴かせてもらうことが出来ました。コミコミの清水寺や金閣・銀閣等に行っている不幸な観光客はこういうのがあるのを知らんねんやろな。近隣の方々も笙や笛の音に誘われて子供と一緒に寺に向かってダッシュ(笑)。


本堂の屋根は赤い




イチョウは隣の蓮花寺に

 さて、眼福の後は…、最初は八瀬方面に向かうことを考えていましたが、兵糧攻めに遭い、京都に向かうことにしました。兵糧攻めというのは食べるところがどこにもなく、コンビニすら無かったからです。これは八瀬方面に進むと悪化することはあっても好転することはありません。腹を減らしているので、写真もちょっと。しかも、景色を撮らずに橋の名を撮る変な癖がついている。


花園橋で高野川と岩倉川が出会う

 歩いている道は、高野川に沿った道ですから、若狭街道(俗に言う鯖街道)です。途中のコンビニでエサを食べ、延々と下りましたが、街道の名残はあっぱれなぐらい何もありません。帰宅後に師匠からメールを戴き、「若狭街道なら~」とあったので、「あれ?何か見落としてかなー?」と思ったのですが、「修学院村の道路元標を見よ。」とのことだったので、これは街道から外れろということだなということで、やっぱり、何も残っていないと断じて可であろうと思われます。


高野川

 北山通り超えると川端通りの歩道を延々と歩くことになります。桜紅葉は美しいのですが、ここに入ってしまうともう街道という感じは全く無くなります。ということで、所謂鯖街道を京都から辿ろうという人には申し訳ないけれど、1日目で飽きると断言できます。

 (追記)と断言したのでありますが、またまたmfujino様に教えてもらった「今昔地図」を見ていて大きな間違いに気付きました。地図では、川沿いの道、すなわち川端通ではなく、もう少し東の通りを「敦賀街道」と表記しています。これがすなわち若狭街道でしょう。ということは、この日は街道でも何でもないところを歩いておったことになります。地図では川端通は昔は河川敷です。
 三宅八幡から南下した場合は宝ヶ池と修学院の間で東に入らねばならないのでした。従って「若狭街道に何もない」という言葉は取り消しておかねばなりません。もちろん「一日で飽きる」も(爆)。修学院村の役場の前も通りますから、師匠がいわれる「若狭街道なら~」という言葉は正しい訳です。下調べ・地図を持って歩くということは大切であります。何にしてもしきり直しです。
 地図では、出町に近づいたところで街道は今日の川端通りに合流しています。




 赤の宮のところで、琵琶湖疎水分線が哲学の道の方から流れてきているのを見ました。疎水分線を辿る徘徊は1月に師匠の案内で実施される予定です。


哲学の道から流れてきたで

 出町の「鯖街道起点」の碑はちょっと恥ずかしいので載せません。この若狭街道・九里半街道を経て小浜に至る道を「鯖街道」と名付けて喧伝したことで、かつて若狭と京都を結ぶ道が無数にあり、それぞれに街道の名残があることが何か薄らいでしまったように思われますし、物資輸送という点では、この陸路よりも小浜から近江今津に出て、舟で大津まで運び、東海道を京都へというのが通常のルートであったようにも思われます。行商人が一匹、二匹陸路で運ぶことはあっても大量となると船運を使用したであろうと考えるのが自然です。
 また、陸路という点では小浜から堀越峠等を越えて丹波に入り、山国から祖父谷を経て、雲ヶ畑街道に入る道などの方が余程に自然な感じがします。等と講釈を垂れていますが、小生自身も「鯖街道」という固定したルートが近世以後発達・定着していたものと、つい最近まで思い込んでいました。mfujino様のご教示がなかったら今もそう思っていたことでしょう。


右高野川 左賀茂川

 京都は早い目に脱出し、「おかえりなさーい」の店に行きます。が、途中のたこ焼き屋に引っ掛かりました。ここでは「6つ」と言うのが無くて、最初から「7つ」になります。「7つ」頼んでも「8つ」入っていることはありません。浪速の美徳は京には未だ及ばずと申す処であります。



  

 



8 コメント

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無名の土地こそ心さそわれる (浮舟)
2013-11-21 12:23:43
 三宅八幡、はて?観光地図に出てこない地名をきくと軽い興奮をおぼえます。どんなとこやろ、と。はたしてしぶい風景ですね。最初の写真の山の姿、立派です。3枚目の風景とあわせて、近景、遠景で楽しめます。昔、山男でしたから、姿のきれいな山を見ると、登ってみたいなと思います。
おっしゃるように清水寺、金閣寺など修学旅行ではあるまいし、何度も有名な所へ行く人の気が知れません。しかし、知名度のないおもしろい所へ行こうと思ったら、良き案内人をみつけるか、自分で相当勉強しなくてはいけませんね。ささやかな幸せでもタナボタでは手に入らないということでしょうか。
 八幡神社の狛犬に金属製の囲いがありました、ちょっと無粋ですが、盗難防止でしょうか。それならケチ!ですね。
 中島らもの本に「教養ある人とは、(充実した)一人遊びができる人」とありましたが、この散歩はまさにそれです。たこ焼きのハッピーエンドも、けっして飽きることなく、こころなごみます。いつも見入ってますよ。マヨネーズ、青海苔、よしよし、七味はどうかな・・・、生ビールにこれでは、あまりにさびしい、たこ焼きおかわりしたのかな?とかいろいろ想像します。この国にはないんですよ、たこ焼きが!!(笑)





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狛犬 (gunkanatago)
2013-11-21 15:09:00
 浮舟様、お褒めにあずかり恐縮です。山の写真はいずれも比叡山です。山上の遊園地が無くなり、また、スキー場も無くなったようですから、ちょっと特徴が消えた感じです。正式な登り口は修学院の辺からだったように思います。大原と八瀬の間の登山道は荒れています。
 三宅八幡の狛犬、他では見ない見事なものです。台座の精緻な彫刻も残っています。境内にある「韓国併合碑」にペンキがかけられているのを見たことがありますから、そういうヤカラもここに来るということで予防措置をしているのかも知れません。そういえば、今回はこれを見ませんでした。
 この店は、たこ焼きよりも本当は焼きそばの方がうまいです。今度ご帰国の折には重たいけど、是非たこ焼きの鉄板をお持ち帰り下さい。ベトナムにもたこ焼き文化を広めましょう。アレ!ノックみたい(笑)。
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紅葉のきれいな季節なのですね (鎌倉街道)
2013-11-21 20:39:41
比叡山は、まだ色付きがないのでしょうか? 
未生流の活花、すごいですね。 山姥が白髪頭を振りかざし、血のりで真っ赤な唇で刃物を研いでいる、と言う第一印象です。 私の白髪頭の形容を、息子は「司馬遼太郎みたいだから何とかしろ。」とよく言いますが、一枚目の写真を拝見し、自分の髪型に手をやってしまいました。

いつも流れのある写真を多用してくださるので、とても心が休まります。 里山に囲まれ、海に開けたところに住んでおりますが、大きな流れのある川は無くなってきています。 上流から流れてくる土で川底は浅くなり、里山の上の方に住宅が建ち保水力が無くなり、川の水は細り、砂浜は狭くなり、これからどうなるのでしょうね。

京都は、まだまだ自然が残っているのでしょうか? それとも年々減ってきているのでしょうか? 水の豊かな土地ですから、緑の保全は大丈夫なのでしょうね。
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京への道の事など (mfujino)
2013-11-21 21:16:49
gunkanatagoさん、見事な景色に溶け込んだ見事な芸術作品に演奏、文化的な一日を過ごされよございました。

鯖街道の話が出てきましたので、これは触れずに過ごすわけには行きますまいとちょっとだけ。書いておられるように若狭と京を結ぶいろんな街道群が鯖文化圏を構成していると思います。東海道のような一本の街道ではありません。それと鯖が運ばれたのは近世の時代でして、長い歴史のごく限られた時期であります。また鯖が運ばれたのは京へのみならず各地へ運ばれたのは当然です。例えば湖北地方も鯖の食文化が、例えば長浜には鯖ソーメンがあります。それと「さばをよむ」という言葉が生まれる程多くの鯖がとれ、大量に運ばれるには、九里半越えから琵琶湖の水運が使われたことでしょう。

それ以前の歩きの時代では、小浜からの知井坂越え、針畑越えが、そして高浜方面からの棚野坂越えが幹線だったと考えています。光秀が京の北の守りの為に周山に城を築いたのもこの考えを支えてくれると思っています。

ある本に、鯖を背負って疲労困憊、京まで後僅かという大原辺りに来ると、ご苦労さん、しかし鯖も大分傷みかけている様だのう、俺が全部買い取ってやろうと安い値で買い取るバッタ屋もいたとある本に書いてあったのを面白く読んだことがあります。広河原の辺りでは、客の家人が留守の時には魚等をぶら下げておいたというテレビ番組での話を見ました。信頼関係で結ばれた良き時代の話なんですね。ロシア人が日本に来て、自転車が戸外に置いてある風景を見て驚くそうです。良く盗まれないもんだと。いたずらで矢がささった鴨の姿をみて日本人は可哀想だというニュースになるが、フランス人だったらすぐに捕まって食べられているだろうと言い合ったこともあります。こう言った社会に住む日本人は誇りに思って良いのではないでしょうか。あることないこと自分に都合の良いことばかりを告げ口している大統領や、たかりの根性丸出しのある国の人達の行動をみると、何と卑しい、可哀想な人達だと白々しく思っております。

この狛犬は立派ですね。また疎水も登場しました。師匠には、疎水も含めて、水から京の都を考える企画をよろしく、とお伝え下さい。

京はゼミの歴史探訪で小浜の西組界隈を歩いて来ました。明日はふるさと漫歩で、普門院の大般若経や朝日寺の勉強です^o^

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京都は (gunkanatago)
2013-11-22 17:14:29
 鎌倉街道様、コメントをありがとうございます。活花の印象、おもしろいですね。奥の細道に出てる曾良の「卯の花に兼房見ゆる白髪かな」という句を思い出しました。お花のお師匠さんは卒倒するかも知れませんが(爆)。本堂の縁側に活けてあるのは「秋」を表し、離れに活けてあるのは「冬」を表しているそうです。
 京都で少し感心するのは、盆地を取り囲む周囲の山々に宅地造成の傷跡が見えないことです。考えてみれば、比叡平(これは大津ですが)にしても、洛西ニュータウンにしても京都の景観を悪化させない位置に造成されています。大阪平野から周りを見れば、かつて伊丹十三をして「汚い」と言わしめた新興ニュータウンが山をえぐっています。
 それよりも、京都の周囲の山々を傷つけているのは不要な林道だと思います。狼峠などを林道によって失われた景観はいっぱいあります。その林道がどうしても必要な道というのではなくて、林道を造ることだけが目的化しています。道に迷ったときは便利ですが(笑)。
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またまた (gunkanatago)
2013-11-22 17:31:08
 mfujino様、コメントをありがとうございます。また、鯖街道についてのいろんなお話、深謝です。
 お書きいただいたように、若狭から京都までの道は本当に多様で、しかもそれぞれの道や峠に昔の名残も見ることができるのに、これを「鯖街道」と決めてしまっては、見るべきものをみないで終わる危険があるし(小生なんかは教えてもらわなかったら所謂鯖街道しか知りませんでしたから)、また他の数多くのルートの遺物保存にも悪影響が出ると思います。
 日本の古き良き伝統、一部の外国にとってはいいカモになっているのかも知れませんね。「ここらでこういっとけば黙ってくれるだろう」と浅はかな知恵で発表した河野談話が今やバ韓国の主張の根源になっているように。ボケ大統領でしたか(笑)、恥ずかしいことを恥ずかしいと思わない人だったのですね。
 レイテ島の台風被害は気の毒ですが、略奪がおきているようです。フィリピンは好きな国ですから残念です。日本人は自らを卑下するのが好きですが、東日本大震災の対応を始め、ある種「奇跡の国」と言えるのでは無いでしょうか。最近は、支那人が車で入ってくる危険性もありますから、山奥の知人には「きちんと鍵を掛けて寝るように」と注意しています。
 1月に疎水分線徘徊を予定しています。また、お会いしたときにご都合をうかがいますね。
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花園橋 (ささ舟)
2013-11-23 15:50:22
 お花の会、晩秋に相応しい北山(洛東かな?)で開催なされたのですね。本堂から比較して見ると、その豪華さが判りました、紅葉狩り優雅ですね。
 花園橋、何処かで聞いた名前だなと思いましたら、春に古知谷に行く時、国際会館駅からバスで少し後戻りしてこの橋を渡って若狭路に至ることを思い出しました。
 4,5日前、私も一乗寺下がり松の「野仏庵」に行って来ました。ほんの近くの詩仙堂は押すな押すなの様子(私は行かないですが)でしたが、庵は私一人の貸切で、(帰りがけに一組こ出会いましたが)ゆったりと紅葉を見せて頂きました。
 たこ焼きめぐりがしたくなりました。
 
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ちょっと離れたら空いています。 (gunkanatago)
2013-11-25 13:58:31
 ささ舟様、コメントをありがとうございます。詩仙堂があのようにコミコミになるようになったのはいつからでしょうね。記憶にある詩仙堂はいつも人がいないのですが。それでも雑踏を少し離れると、まだまだ紅葉をゆっくり見ることが出来ますね。
 野仏庵、全く知りませんでした。さすがですね。一度行ってみたいと思います。今回は紅葉は全く考えていなかったので何か得をした感じです。若狭街道のこの部分は仕切り直しとなりましたが。
昨日はささ舟様の縄張り荒らしをしてきました。詳しくはまた。
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