花洛転合咄

畿内近辺の徘徊情報・裏話その他です。

高尾山から恩智へ

2009年10月16日 | 徘徊情報・河内国
 10月というこの時期に、JRの柏原駅の改札を出ると、ぶどう園のおっちゃんが「ぶどう狩りどうです?」てな感じで、申込用紙と共に迎えてくれます。そう、ここは大阪のシャンパーニュなのであります(日本のと書くと山梨県民が怒るだろうし)。この駅から近鉄の堅下駅に向かう通りの商店街もぶどうの意匠で出迎えてくれます。

          

 カタカナで「オガタ」と書いてしまうと身も蓋もないことになりますが、この辺りは大県(おおあがた)が訛った「おおがた」という地域で、それが更に詰まって「おがた」になったものでしょうが、このままいくと将来は「がた」とか「おが」になってしまうかも知れません。大県遺跡は、大規模な製鉄遺跡として知られています。古墳時代以後、多くの帰化人がこの地域に住んで、鍛冶にいそしんだのであります。
 近時、「踏み絵」を「絵踏み」に変えてみたり、「士農工商」の「農」を「村人」などと変え、こいつはまずいとなると「百姓」と言わせてみたり、教科書等の世界では言葉遊びが過ぎるようですが、最も定着していて、最も不正確な言葉が「渡来人」でしょう。「帰化人」のどこがいけないのかさっぱり解りません。
 まあ、それはともかくとして、国道170号線「大県」の交差点を越えて、東すなわち山の方に向かうと鐸比古鐸比賣神社が鎮座しています(式内)。「ぬでひこぬでひめ神社」と読むこのお社、本来は別々に鐸比古社と鐸比賣社が在ったということですが、その土地の神様を祀る社としては解せぬことで(等と書いていますが解せぬのは小生の単なる知識不足かも知れません)、鐸比古社、鐸比賣社となる前は別の神を斎き奉っていたのかも知れません。鐸比彦社の方は、明らかに高尾山の磐倉を祀ったものですから、現在の御祭神としての垂仁天皇の皇子云々は後世の附会です(後世も後世、大正年間)。
 神道の方では、平気でこのような神のすり替えをやる。ここらが我々のような門外漢には本当に解せぬことであります。最も有名なのは、神仏分離を契機として各地の牛頭天王社の祭神がそろってスサノオとなったことです。祇園祭の八坂神社もその例ですが、スサノオが高天の原で暴れ狂った説話が、疫神の荒れ狂う様に「似ている」、ただそれだけのことですから、急に各地に祀られて疫病退治の仕事を割り当てられたスサノオ自身も迷惑なことでしょう。単に蹴鞠の家元である飛鳥井家の屋敷跡に建てられただけで、白峰神宮が「サッカーの神様」等と言っているのは、もはや「解せぬ」を通り越して「恥ずかしい」ことでもあります。

          
          鐸比古鐸比賣神社(トップの写真も)

          
          ご神木

 本来、山頂にて祀られていた神が時代を経るに従って麓に下りてくる例として近江の油日神社や御上神社、亀岡の小幡神社等が挙げられますが、これは全国で行けば無数にあるだろうと思われます。この鐸比古鐸比賣神社もその例で、高尾山の山頂付近では祭祀遺物が多く出るとのことです。そういえば、寺なども極端に山奥にあるものはいつしか廃寺となり、その寺の仏像が麓の寺に安置されるなどということも多く見られます。
 鐸比古鐸比賣神社から高尾山へは、よく整備された登山道がいくつか通っています。この道は、なんぼなんでも迷いようもないので、小生としては少し物足りない。

          

 山頂には大きな岩が露出し、この山を所有している法善寺地区の方々の設置した看板にも、はっきりとご神体と記してあります。この岩は写真では判りにくいのですが、ずっと下まで続いていて、このところのみ芦屋のロックガーデンの雰囲気があります。300メートルに満たぬ山ですが、目え瞑ってケンケンで登るというわけにはいきません。

          
          山頂、277.8mどす。

 頂上付近からの眺めは流石で、空気が澄んでいれば四国まで見通せるのではと思われます。「アホ、高いところに登る。」といいますが、本当に見飽きぬ景色です。

          
          八尾空港方面。

          
          蛇のように見える大和川。

          
          大和川と石川の合流点、崇仏戦争の激戦地?

 さて、高尾山からの下り、登りとは異なる道をたどりましたが、各所で横穴式の石室や横口式の石槨が口を開いています。頂上付近からは縄文の遺物も出ているとなると、この山だけで縄文・弥生・古墳時代の聖地となっているのです。大県遺跡の鍛冶集団を率いていた帰化系氏族の首長達も多くここに葬られたのでしょう。

          

          

 当初は鐸比古鐸比賣神社に戻るつもりが、出てきたところは随分と北の方でした(ということで迷ってはいないが間違っている)。こうなれば、今少し170号線に沿って歩いてみよう。この道は東高野街道でもあります。途次に参拝したお社は2社、何れも式内社です。

          
          若倭彦神社、わかやまとひこ(大王の継承者?)。

          
          八王子神社

 この道は1348年の四条畷の戦いで楠木正行を撃破した高師直の軍勢が吉野を目指した道であります(この後、吉野全山を焼き払っている)。この辺りは河内音頭の中心地で、その河内音頭で大楠公が高らかに歌われていることからも南朝勢力の中心地であることから楠木氏の家臣(というより協力者)であった神宮寺氏や恩智氏の伝承が色濃く残っています。近年に至り北朝贔屓となった小生としては少し肩をすぼめて歩かねばならぬ。それはともかくとして、1542年の太平寺の戦いでは、木沢長政が討ち取られたところはここより少し南の太平寺とはいえ、この付近も戦場となっていたはず、何か痕跡はないかと探しますが、見つけることができません。
 神宮寺には楠木氏家臣の神宮寺小太郎の墓。恩智にはやはり楠木氏所縁の恩智左近の築いた恩智城跡と左近の墓。左近の墓の隣にはこの辺りの村から出征して西南戦争で戦死した人達の墓(10基が並ぶ様子粛然と)、南北朝から一挙に明治まで跳んでしまっていて、最近興味を持っている織田氏以前の戦国の遺物は消えてしまっています。

          
          恩智城趾

 今少し行けば、河内二の宮の恩智神社なのですが、本日は此処まで。恩智街道と東高野街道の交差点に立つ旧家を写すと、ちょっとオカルトです。この地点、道標がガードレールで隠されてしまっているのには閉口します。

          

          

 恩智神社の頓宮は、縄文の遺跡でもありますが、この写真も少しオカルト。ということで高尾山の神様が「また来いよー!」と挨拶をして下さっているのかも知れません。

          

 先ほどの交差点には、興味をひくたこ焼き屋があり、そこではこの辺りの地酒も飲めるようなのですが、本日は閉まっています。むむむ、八尾で串カツもいいが(名前は忘れましたが松原にも姉妹店がある有名な店)、鶴橋または京橋でのたこ焼きも捨てがたい(脱線しますが、傲慢無礼なる南蛮のタイヤ屋が遂に畿内の飲食店まで評価を始めました。☆☆☆をもらったと喜んでいる場合ではありません。やつらに精妙なる日本料理が解るはずがない。逆に☆が付くことは恥かも知れないのです。そういう点でも大阪のコナモン各店のコメントは的を射ています。八百万の神々も照覧あれ、小生は奴らが☆を付けた店には絶対に行かないぞ!特に喜んでいる店には死んでも行けへんで!)。近鉄恩智駅が近づくともはやそのようなことだけが頭を支配するのであります。

 09年10月記
 

 

 
 


4 コメント

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は紙の如し・・・? (道草)
2009-10-17 07:51:05
私にとりましては未知の領域を詳しく解説して戴き、秋の一日を暫しのんびり、いえ、襟を糺して過ごさせて戴いた感があります。門外漢の私には何も分かりませんが、近くにマンションに変身した寺院があります。寺全体がビル化したのですが、信者や檀家にとっては違和感は無いのでしょうか。
日本人の信仰は極めて曖昧と言いますか鷹揚と申しますか、ご体が移ろうが替わろうが、それこそ鰯の頭であろうが、そんな些細な(?)コトは問題にしないのかも知れません。不信心者(不心得者?)の私には、それこそ我関せず焉で全く気になりませんが・・・。
今回の打ち上げは店が閉まっていて不首尾に終わったようで、その方がお気の毒に存じます。
昨日は外出しましたら、例のタイヤ屋の書物が書店に満載されていました。京都で買うのは観光客だけでは、と思うのですが。大阪のタコヤキやオコノミヤキやタイヤキが対象外なのは、味が分からない奴等にヤキが回ってリタイヤしたのでしょう。
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タイヤ屋 (gunkanatago)
2009-10-17 12:47:31
 偉そうなことを言っていても所詮はタイヤ屋の金儲け、タダで配布するならともかく、金を取って売る、それに利用されているのですから、飲食店もたまりませんね。新聞やテレビはあのようなものを取り上げるべきではないのですが、そこまで智慧がないようです。
 小生の如き、一庶人では行ったことのない店が多いようですが、それでも「あの店が漏れているではないか。」と思うところも多くあります。道草様からヒントをいただきましたので、次回は、かつて小生が勝手に☆をつけたたこ焼き店を御紹介しますね。
 ビル化された寺などは、檀家にしてみれば「仕方がない」というところでしょうが、小生は参拝する気がしません。
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Unknown (mfujino)
2009-10-22 00:01:48
gunkanatagoさま、 我が懐かしいところです。信貴山には蒸し暑い頃歩いて登り温泉を楽しんで斑鳩方面へ下りたり、自転車で河内方面をポタリングしたり、また自転車で奈良まで走ったりしたところです。gunkanatagoさまの様にじっくり文明感じながら歩くということはなかったですが。
家康軍があそこから大阪平野へ入り、それを迎え撃つべく、、、この話は地図を見ながら歴史小説を読むと楽しいですね。
河内ワインは美味いと思ったことはありません。正直言って高くて不味いので買う気になりません。
神社やお寺さんは客寄せに大忙しですね。神社やお寺を維持するのにお金がかかるのはよく分かりますので一概に避難ばかりするのではありませんが。
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サイクリング (gunkanatago)
2009-10-22 13:02:38
 mfujino様、コメントをありがとうございます。このあたりから、奈良まで自転車で走ると本当に気持ちがよいでしょうね。歩くには見るところが少し遠い、けど交通を使うほどには離れてもいないということで、サイクリングがベストのような気がします。
 ただ、二上山付近も随分と宅地開発が進みました。いっても仕方のないことですが、30年ほど前の、のんびりとした風景がどこまでも続いていた頃が懐かしいです。
 ワイン自体は本当に飲まないですね。もらっても飲まずにほってある、ふと見るとラベルが1989とか1995とかなっていて、そうすると酒飲みの風上にもおけない欲が出てきて、ますます飲まないということになっています。先週は、真田幸村戦死の安居神社付近をウロウロしました。またご報告します。
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