花洛転合咄

畿内近辺の徘徊情報・裏話その他です。

雑文どす①

2011年03月30日 | 茶話
 今の今まで気がつきませんでしたが、梅田の富国生命ビル(地上部分はどうでもいい)の地下飲食街が復活していました。我が愛する居酒屋「赤門」も復活しているのかなと思いましたが、残念ながらそれはありませんでした。
 昔の地下街、トロトロの浪花のニオイ、散髪屋の隣にステーキ屋があって、ウィンドーの蝋細工が色あせていて、というような雰囲気はもはや望むべくもありません。今回はどの店も「ルーム」という感じで「店」という感じはありません。各ルームのテーブルも小さくてせこくて空気が足りない感じです。ざっと見た目、落ち着いたムードが無く全般に安普請臭いのはひが目でありましょうか。

 「赤門」に初めて入ったのは、信州の酒「真澄」の名が大きく張り出されていたからですが、すぐに店自体のファンになりました。いつも6人がけのテーブルを一人で占領し、買ってきた本などを広げ倒し、読書にはやや暗い照明ながらもチビリチビリと酒を飲みながら本を読みました。時間帯もあったでしょうが、こちらが利用している間は店がたて込むということもなく、注文したアテもすぐに出てくる。店員さんはいずれももう100年は働いているのと違うかと思われるようなおっちゃんとおばちゃん。だからこそ、消え去ったのかも知れませんが、昔はあのような店が存続するゆとりというかそういうものが日本に(大きく出たぞ)あった。昭和40年、というような感じの富国生命ビル地下街から意味不明のホワイティ梅田に出た瞬間に時間が現代となりました。

 本屋では阪急百貨店書籍部、今の阪急梅田店に書店があるのかどうかすら確認していませんが、建てかえ前のカスの書籍部ならばない方がいい。かつての阪急書籍部は5階だったか6階だったかの大部分を占領し、他の本屋では絶対に置いていない「戦史叢書」等も完備し、バテレン関係の売り場には何とシスターが常駐するという、何とものんびり贅沢な店でした。他の書店では本のカバーは紙製ですが、阪急だけはビニール製で電車と同じ阪急マルーン、同じ書籍でも阪急で買うと上等に見えたものです。国鉄の線路が見下ろせる喫茶部も落ち着いた感じでした。

 等々と過去のことどもを綴るとどうしても愚痴になります。しかし、愚痴をこぼすほどくだらぬことはありませんから、ここは前向きに落ち着いて本を読みながら酒が飲める店を探さねばなりません。今のところは池田の「ひら川」、休日の午後に「呉春」を飲みながら本を読むにはいいところです。4人がけを一人で占領できますが、やがて「混んでくる」というのがこの店の欠点です(笑)。串カツを食いながら本を読むなら高槻の「たちよりや・はな」というところでしょうか。串カツ屋で思い出しましたが、梅田の地下街、昼時や晩飯時には食い物屋はどこも賑わいますが、ただ1件だけガスガスの店があります。余程に不味いのかというと確かに串カツは少し油臭いのですが、食えぬことはない。この店の一大欠点は客に詰めさせることです。客が二人しかいなくても詰めさせる。先だってなどは煙草を吸いまくるオバハンの横に詰めてくれときたものだから、ケチクサイことをするなと言ってビールを一杯だけ飲んで出てきました。

 キリンケラーヤマト、東梅田の地下1階と2階の2軒の店を開けていた間は、ちと高いビールを飲みながら本を読むこともできましたが、非効率と思ったのか、最近は休日は地下2階だけになりました。

 お好み焼きならば阪神新在家の「ひのでもりや」、この店は広大です。ザワザワとした感じは十三の居酒屋の雰囲気ですが、店が広いのでそのザワツキ自体が心地よいバックミュージックのようなものです。小生の知る限り「にくてん」が食える最も東の店でもあります。この店は神戸の帰りなどに良いのですが、休日の設定が複雑でどうしても覚えられない。新在家で降りてみてアウトということがままあります。京都の出町柳の「ポン蔵」、2階があるときは本当にゆったりとしていましたが、今は1階のカウンター、海坊主みたいなオッサンに向かい合って飲む酒は本当に不味い。

 本日は富国生命ビルの復活からダラダラと書き記しましたが、「つぶれるかなー、つぶれない」というような落ち着いた店を知っておられたら是非ご教示下さい。飲み屋ならば「するめの天ぷら」があるということが絶対条件であります。


7 コメント

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雑文の雑文です。 (道草)
2011-03-31 07:46:49
新入社員の頃は、四条京阪駅横の鴨川沿いに屋台が並んでいて、その中のおでんやへよく行きました。南座の南に有名なおでん店がありました(今もあるかも)けど、高嶺の花でした。屋台群は、今は影も形もありませんが。
京都駅前にも屋台が並んでいて、初めて豚足を食べたのもその辺りです。難波の周辺にも安くて旨い居酒屋は沢山ありました。何十年も昔の出来事で、店名など忘れましたしもう存在しない店が多いかも知れません。いか天も食べた記憶が微かにありますが・・・。
梅田の富国生命ビルは横目で見ながら通勤していましたのに、そんな地下街があるとは知りませんでした。駅前第1~第4ビルの地下街は、ご存知の如く飲食店が犇めいています。昔から、新規開店したり潰れたり、栄枯盛衰を目の当たりにして来ました。
第4ビルB2に昼は定食夜は飲み屋の「ふじや」と称する店があって、中年のおばちゃんと中年近のパート女性1人の小さな店でした。手造りのおつまみと緑一も置いていました。パートの女性に「タイプやわぁ」なんて囁かれて、帰宅が遅くなるのによく立ち寄りました。アホでした。元の会社の社員に紹介したりして3~4年ほど通いましたが、豊中へ移転してしまいました。恐らく経営難だったのでしょう。今はどうしていますか。
第1ビルB2に「あかね」と呼ぶ、これも昼は鯖の塩焼きと煮付けの定食、夜は飲み屋になるカウンターだけの店があります(ありました?)。老年のおば(は)んと偏屈な板前が居て、ここもおばん手造りのおつまみと板前の刺し身が肴です。おばんは砂糖所の徳島の出身で、餡餅を雑煮に入れて食べるそうです。白味噌派の私が顔を顰めると、「おいしいけん」と言って、いつでしたか食べさしてくれました。さっぱりした甘さで不味くはありませんでした。5年ばかり前で70歳半ば(推定)でしたから、もう存在していないかも分かりません。
上記の2店は、いずれも残念ながらいか天はありませんでした。にも拘わらず、雑文の文字に釣られて長々と雑文を書きました。ご容赦ください。「手作りのつまみに惹かれし春の夜」道草。
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食いもん屋 (gunkanatago)
2011-03-31 13:27:49
 道草様、コメントをありがとうございます。例え少々ほろ苦い感じがすることでも「食いもん屋」の話をするのは愉しいですね。南座の南にある有名なおでん屋は多分「蛸長」でしょう。曲芸の海老一染太郎のようなおっさんが経営者で、相方は時々変わります。このところ行っていませんが、大阪の蛸梅よりもうまいと思います。祇園の中にただ一軒残っている立ち飲みの串カツ屋はその屋台の名残でしょうか。
 大阪駅前第一~第四ビルの地下街に関してお書きいただいた二軒の店は今はもう無いように思いますが、近く徘徊してみます。あそこも第一ビルから堂島の方に抜ける辺りは何となく「闇市」のような雰囲気をかもし出していて面白いですね。うどんの「葉隠」の近くに「またきたの」と言ってカウンター4席、テーブル2脚ほどの何かむしろをめくってはいるような店があり、焼き竹輪とスルメの天ぷらがうまかったのですが、すぐになくなりました。
 師匠は何時も「外で飲む酒はうまい!」といいます。色々な店についてウジャウジャと言うのも酒のアテになりますね。
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梅田を車で走って思ったことなど (mfujino)
2011-03-31 20:10:58
地下街を歩いていて富国生命ビルの下は呑み屋や飲食店でなかったですよね。NAVIの下辺りからキョロキョロし始めたような記憶がありますが…。あそこにはミュンヘンがありませんでしたかしら。あまり記憶のないエアリアです。呑み屋はガード下の方が宜しおま。
先日大阪へ行った時梅田も変貌していますね。その時ふと思ったのは、阪急が何で阪神と一緒になるねん。阪神と近鉄が一緒になり、阪急と何回が一緒になったら良いのになんて考えながらドライブしていました。お隣さん同士は競争するのが発展の基礎であり、それぞれがどんなネットワークで利用者にメリットを与えられるかが大事な要素なのに二流のコンサルタントに目先の数字を教えられて行動した阪急にはがっかり。小林一三さんが墓から飛び出してくるんではないでしょうか。
橋下君が梅田ヤードの後にサッカー場を作ることに対して、これは大阪市だけの問題じゃねえ、と文句をいったのには賛意を表したいです。
原発の問題にしても、東電から補助金を貰っている大学の先生のコメントなんて信用したらあかんと言い聞かせています。富国生命地下から外れてしまいました。ごめんなさい。
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何回→南海 (mfujino)
2011-03-31 20:13:40
誤変換の儘あっぷしました。よくやる過ちでございます。お許しお。
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阪急と阪神 (gunkanatago)
2011-03-31 21:01:43
 mfujino様、コメントをありがとうございます。富国生命ビル地下、確かに目立ちませんね。ミュンヘンがあるのは多分東梅田の方のビルです。梅田も日々変わっていますね。未だ日本最大の書店とやらにも行けてません。好みとしては、路地裏というものが消えてしまい、小綺麗な店ばかりになっていくのは残念です。
 阪急百貨店は今は西側半分が解体された形ですが、大丸と三越・伊勢丹と新築阪急、そして阪神百貨店ですが、阪神百貨店は余程に専門化しないとかなりしんどいのではと思います。
 以前は、阪神の百貨店の書籍売り場ではハヤカワ文庫SFは全て揃えているというのが特徴でしたが、今も続いているのかどうか。ただ、日本酒に関して言えば阪神百貨店の酒ソムリエはなかなか素晴らしいと思います。
 阪神側のワキが甘く、外資につけいられたのが阪急と阪神の合併の原因となりましたが、お書きになっているように阪神は近鉄が救うべきだったと思います。今、奈良と神戸間は線路で結ばれましたが、名古屋発姫路行直通特急なども面白いのではないかなと思います。
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雑文こそ印象的 (浮舟)
2013-01-29 14:58:39
 雑文ー雑なるものとは、分類不可能という意味か、少し下品と言うニュアンスか。いずれにせよ、雑文、雑話、雑談こそ、その人の人柄がはっきり出て、印象的です。学生時代をふりかえっても、授業よりも、先生が言った雑談の方を卒業してもおぼえているという厳然たる事実がそれを証明しています。
 古い歌で三浦洸一の「東京の人」というのがあって、その歌詞に「都のすがた 店々は 変われど 尽きぬ恋の歌」とでてきます。まことに店の無くなるのは早い。大学時代に飲み歩いた店(私の場合は広島ですが)を久しぶりに訪ねてみて、店が無くなっているのを見るとじつにさびしい。「失われた時を求めて」あるいは「つわものどもが夢のあと」という感慨がするといっても、おおげさではないです。
 ここにあげられた店は残念ながら知りませんでした。私とはテリトリーがちがったようです。おもしろい文章でした。
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三浦洸一 (gunkanatago)
2013-01-29 16:10:00
 浮舟様、お返事を書いている時にまたまたコメントをいただきました。ありがとうございます。
 江戸時代の流行に「世間咄」というのがあるようですが、酒を飲んであれこれと金もうけにもならぬことを話し合うのは本当に楽しいですね。功利的な正確の人には絶対に分からぬ世界かも知れませんね。
 浮舟様の縄張りである「広島」は全く未知です。鞆の浦と宮島は少し荒らした程度、かねがね毛利氏の発祥の地に行こう行こうと思いながら未だ行けていません。広島市内となると足を踏み入れたことがありません。アッ、呉もいいですね。
 三浦洸一て、「踊り子」の人ですね。昔、友人(これはもう証明書付のアル中)が朝日放送で何故かディスクジョッキーをやったときに1番に流した曲でした。それで三浦洸一を覚えましたが、いずれ「しろばんば」の旅も兼ねて下田街道を歩きたいものだと思っています。
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