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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「わたしの震災記」 ⑲

2023年01月30日 14時21分11秒 | 「ナンギやけれど」   田辺聖子作










・震災孤児たちは何人にのぼるのだろう。

人間の子供たちは身寄りに引き取られ、
施設に引き取られてゆく。

が、犬や猫たちは飼い主たちとめぐり合いを果たせぬまま、
風に吹き立てられる木の葉にも似て町をさまよう。

神戸の町ではそのころ、
美しい猫や犬が毛並みの色艶を失い、汚れて、
ビニール袋のゴミをあさっているさまが語られていた。

動物嫌いの人は保健所へ連れていけばいいと主張するが、
動物好きな人々は決まって、涙をためて話すのだった。

「沈思する猫の眉間にある悲傷」 (佐藤 雪)

その頃「総理府も動いた」(『阪神大震災』読売新聞社刊)

「世界の目がある。虐待の非難を避ける措置を」

そう指示されても県の動物衛生係りとしては、
動きようがない。

県としては犬を捕獲すれば、
狂犬病予防法で二日以内に処分しなければいけない、
建前となっている。

しかし震災で傷つき、
飼い主を失って町をさまよう犬を捕まえて、
殺すことはできない。

「後方支援に徹した」という。

そのせいでか、ペット避難所が一部の人々に、
「人の救出もままならないのに」
と非難されつつも、活動できたのであろう。

大阪の団体「あいのカエル」は、
西宮戎神社境内に、三百五十匹の犬、猫、兎など。

「共同ネットワーク」は、
東灘の本山交通公園に救護テントを。
六百五十匹を里親へ。

能勢の動物シェルター「ARK」
(アニマル・リフュージュ・カンサイ)では、
犬百一匹、猫七十一匹を保護した。

ペット救援本部に届いた救援金は、
一億八千万円に達したそうである。

イギリスからも二千万円届いた。

平素、日本人の動物愛護姿勢に批判的なイギリスだが、
今回ばかりはちがった。

イギリスのマスコミは、

「震災の中、日本は懸命に動物を救った」

と報じたそうである。

こんどの大震災は痛恨にみちた教訓をのこした。
とにかく天災のスケールが大きかった。
<度が過ぎていた>

かねての想定が片端からはずれた。

高速道路は落ち橋は壊れ、
消火栓から水は出ず、交通はマヒしてしまった。

そこまでは震度五を想定していたから、
見通しをあやまったということもできる。

しかし住宅様式が変って、
人々はマンションというコンクリート塊に、
住むようになった。

これが壊滅したとき、
つるはしやとびぐちでは片づけられないということ、
わかっていたかしら?

人命救助には、
大規模土木工事に使うような、
大型機材の調達が必要とされる時代になった。

こういういたましい発見や、
教訓を上手に活かさなければ。

私が講演で訴えたように、

<大地震を経験するたびに、人々は温かくなっていった。
震災を知る、たびに人間はやさしくなっていった>

というふうであってほしい。

大震災のあと、みんな謙虚だった。

被災しなかった人はどうかして役に立ちたいと思い、
お金や寒中のこととて着る物を小包にしてせっせと送った。

救援物資は全国から(海外からも)続々送られた。

それらの小包をボランティアたちが仕分けするのに、
どんなに労力と時間がかかったことだろう。

惨状が新聞やテレビで報道されるにつれ、
人々の善意もふくれあがっていった。

第二国道で<救援物資>という幕を張って走っていたトラックに、
少女たちはかけよってきて、

<私たちは〇〇中学の二年生です。
神戸へはいま入れないと聞くので、
すみませんが、どこでもいいから、
避難所の人にあげて下さい>

と紙袋を渡した。

運転手さんは承知して、
積荷とッショに救援ボランティアに届けた。

紙袋の中には缶入りジュース十本と、
ノート五冊が入っていたそうである。

<たしかに届けたぜ。あの少女(こ)らにいいたい>

と運転手さんはいっている。






          



(次回へ)

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