
・「そうだろうと思ったよ」
棟世はうなずいて、
「摂津は近いから、
いつでも来ればいい、
好きなだけ滞在しているがいいよ
そのつもりになれば、
知らせてくれれば迎えをよこす」
「誰と行くの?」
「娘は連れて行くよ
娘一人都に置いていけやしない」
「いいえ、ほかの女のことよ」
「誰も連れて行く女はいないよ
向こうから連れて帰るかもしれないが」
「憎らしい」
「だから、一緒に行こう、
というのに」
「体が二つ欲しいわ」
と私はいって、
これと同じことを、
則光にもいったっけ、
と思い出す
そうだ、
いつのときも私は、
中宮さまと男と、
二つに心も身も引き裂かれていた
中宮のおそばを離れることは、
出来ないと、
則光を見捨てた
いままた棟世もそうなって、
しまうのではなかろうか
秋、八月四日に、
中宮は大進・生昌の邸へ行啓、
と発表になる
生昌の邸も、
上へ下へのさわぎ
中宮をお迎えするというので、
その準備に明け暮れている、
ということだ
行啓は、
八月九日の午後から夕刻にかけて、
と定められていたが、
時刻になっても行啓を供奉する、
上達部や殿上人が集まらない
人々は騒いでいるが、
それでもぼつぼつと集まった
道長左大臣が朝早くから、
宇治の別荘へ向かったので、
多くの人々はそれに従って行き、
中宮の供奉はそろわなくなったのだ
「今日という日に何も・・・」
「突然出かけなくとも、
よさそうなものを・・・」
「いやがらせですわ
そうに決まっています」
若い女房の中には、
悔しがって泣き出す者もいる
それでも行啓の準備は、
予定時刻よりずっと遅れて、
何とか格好がついた
中宮の御輿は、
相応の典礼儀式で、
飾られないといけないので、
少人数でこっそり、
というわけにはいかない
しかも当今の二の宮が、
お生まれになろうというのだ
主上もお心を痛められただろうけど、
左大臣のなさることには、
無力である
それに兄君・伊周の君は、
中宮が頼りにされる、
いちばん身近な方であるのに、
ひたすら祈祷に精を出され、
弟君の隆家の君は、
ただ今の身分柄、
表立って動けぬ立場でいられる
時刻が移り、
夜になってやっと行列が動き出し、
「なるようにしか、
ならないわ、少納言
いろいろ考えるだけ、
無駄だわ」
と仰せられる
三条の生昌邸では、
灯があかあかと掲げられ、
かがり火が門前にも邸内にも、
たかれているが、
また何と小さい邸であろうか
中宮の行啓を仰ぐというのに、
板葺の門ではないか
中宮の御輿は、
辛うじて門をくぐりぬけたが、
我々の女房車はつかえて入れない
皇族の御輿が板屋門を、
出入りしたなんて、
古今未曾有のことではないか
門は四足門に改造すべきであるのに、
間に合わなかったのか、
志がないのか、
中宮のおんためにも、
腹が立つことであったが、
更にむしゃくしゃするのは、
私たちの車が入らなかったこと
車というものは、
門を入って建物の前につけ、
階段の簀子にすぐ車から下りて、
立てるようになったもの、
屏風や几帳を、
たてまわしてあるので、
誰の目にも触れず、
車から邸内へ入れるものである
ところが、
私たち女房の乗った車は、
大きいから門を入れず、
「恐れ入ります
ここから歩いてお入り下さい
ただいま莚道を敷きます」
と役人が呼ばわるではないか
「いやだわ、
どうしましょう」
私たちは騒然となってしまう
行啓を待ちわび、
あれこれ奔走していて、
時がたち化粧も崩れ、
髪も乱れてしまった
夜になったことではあるし、
このまますっと邸に、
入ればいいと油断していたのに、
門から下りて庭を突っ切り、
寝殿の階まで莚の上を、
歩かねばならぬ
しかもあかあかとたく、
かがり火のもと、
供奉の殿上人や地下人が、
詰所に立って、
じ~っとこちらを見つけている
その前を、
一人また一人と、
私たちは扇をかざし、
顔をかくして進まねばならない
若い女房はまだいい
私はかもじも団子になっていて、
うしろ姿を見られるせつなさ、
それもこれもいっしょくたに、
(生昌のバカモン!
よくも恥をかかせてくれたわね!)
と心中ののしっていた
棟世が何といおうとも、
こんなに大ざっぱな、
ひどい仕打ち、
悪意があってのこととしか、
思えない
それともよっぽどの無神経か
女の怖さを見せてやらなくちゃ、
ならない
「そうよ
生昌をうんととっちめて、
やりましょうよ
バカにしているのよ、
中宮さまの女房たちは、
ぞんざいに扱ってもいい、
とタカをくくっているのかも、
しれない
おぼえているがいいわ」
と右兵衛の君など、
生昌が聞いていたら、
恐怖に凍りそうな声でいう
私たちが昂奮した面持ちで、
そろって御前にまいると、
「どうしたの、
何かあったの?」
中宮はすぐさとられて、
おたずねになる
新しい環境に入られると、
好奇心が弾まれるのか、
中宮はいきいきしたお顔色だった
お疲れも見せられず、
小さい邸を面白がっていられる
こうこうで、
くやしくて腹が立ちまして、
と申しあげると、
「ここでだって、
誰が見るかわからないのに、
どうしてそんなに、
だらしなくしていたの」
とお笑いになる
「でもあの門には、
おどろきましたわ
かりにも中宮さまの、
お入りになる門じゃ、
ございませんか
何だってまあ、
あんなに小さいのでしょう」
「生昌をなじってやりましょう」
などといっているところへ、
運よくというか、
生昌にとっては運悪くか、
本人がやってきた



(次回へ)