goo blog サービス終了のお知らせ 

「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

3、勘定旅行 ⑤

2022年11月04日 09時04分18秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・夫は、ああいうものには乗らん、とゴテはじめた。
彼はそうじてチマチマ、コマゴマしたものがきらいである。

奄美の田舎生まれで、広い海を泳ぎまわり、
椰子とガジュマルの海岸で大の字になって昼寝する、
というような育ち方をした人間が、
都会の下町の家に住み、
チマチマ、コマゴマした仕事をしている。

この男は、
漁師になって鰹の一本釣りであるとか、
鯨を銛で仕とめるとか、
そういう職業を選べばよかったのだ。

近代の悲劇は、人々が下らぬ知識に毒されて、
人間の原初的な仕事、土を耕したり、魚を捕ったり、
という最も古い職業を大切にしなくなったことである。

それはともかく、夫は、
ああいう温泉風呂は邪道であるといい、
行きたければ一人で行ってこい、といった。

ここには大ジャングル温泉というのもある。

そこへ入るというので、
私も、そっちの女用に入るべく行ってみた。

ついでに宇宙風呂のことを聞いたら、
もうおしまいで、夜は動かない、
真っ暗で何も見えない、明日の朝また運転再開する、
ということだった。

広い浴場に、いくつも仕切りがあって、
一つずつ意匠のちがうものが、ジャングル風呂である。

ツタカズラやバナナの木が植わっていて、
その向こうにガラス戸越しの海が見えた。

私はミルク風呂へ入った。

植木鉢の熱帯樹のかげに、
プラスチックのワニや、ゴリラがうずくまっており、
一人で牛乳風呂に入っていると、
クレオパトラになったような気分。

風呂はどういう仕掛けなのか、
みかん風呂にはみかんの匂いがし、
牛乳風呂は牛乳の匂いがしていた。

「ゴテゴテと要らざる飾りがいっぱいあった。
あれは邪道や。風呂は湯だけあればよい」

と夫はいったが、わりに機嫌はいい。

女中さんが膳を運んできて、
どこから来たか、などと聞く。

食事は海ばたらしく、
木の大きな船に、豪勢に刺身が並んでいた。

荒磯料理といわれるものである。

たい、はまち、うに、あわび、
といった海の幸がどっさり盛られ、
青々とした海藻で飾られ、絵にかいたようである。

机の上いっぱい並んで、
夫は満悦して食べ、飲み始めたが、
しまいに多すぎると文句をいった。

ごちそうの品かずは少ないと文句をいい、
多いと文句をいう。うるさい。

「何をいうか、勿体ないから、いうのです。
たった二人に、こんなたくさん出すというのは、
天を恐れざるものだ。
食糧危機なんか、どこ吹く風。勿体ない。
もう、それは食べへんのか」

「もう、いい」

「何という魚の食べ方をする。
そういうことをすると神サンのバチが当る。
貸してみい、魚はこういう風に食う」

夫がちょいちょいと箸を動かすと、
焼き魚の身はふしぎなほど離れてほぐれ、
やがて、絵にかいたような魚の骨だけが皿に残る。

そうして、鮎であると、夫はきれいにまん中の胴だけ、
骨もワタも食べ、皿にはあたまとシッポだけ離して置いて、
「幻の魚」と満足そうにいうのがクセである。

いかにきれいに胴だけ食べたか自慢するごとく、
在りし日の胴の長さの分だけ離し、
あたまとシッポを置き、見とれる。

どういうつもりか、あんころ餅まで供される。

私は好物であるが、いかに何でももう入らない。夫は、
「勿体ないから、冷蔵庫へしまえ」という。

この頃は小さな冷蔵庫が備えつけになっているのが多い。

「どうせ食べないもん」といったら、

「明日になれば食う気がおきるかもしれん。
勿体ない、しまっとけ。一々口答えするな!」

「ハイ」私はしまった。

こういう雰囲気の日常生活の中で、
私が女流作家の自我を発揮できるかどうか、
考えたらわかるであろう。

あんころ餅は冷蔵庫にしまったが、
あとまだたくさんごちそうは残った。

ちり鍋などは冷蔵庫へしまっても仕方ない。
夫はしきりに勿体ない、勿体ない、という。

夫は金銭については勿体ながらないが、
こと食べ物に関しては、飢餓世代の一人なので、
たいそう勿体ながるわけである。

「勿体ない」精神のせいか翌朝起きてみると、

「乗ってみよう」と言い出した。

「せっかく来たのに、
宇宙風呂に乗らずに帰るのは勿体ない」

宇宙船風呂は早朝から利用する人があるとみえて、
紺碧の空と海の間にただよって、
のんきそうに揺れていた。

今朝も快晴で、
初夏の空はかんかんと叩けば音がしそうなほど晴れている。
雲一つない。

女湯のジャングル大温泉の階段を下りていくと、
箱は目の前にあった。

「乗船券二百円」とある。
一往復三分間、風呂へ入ったなりで滑空してくれる。

一台しかないので、混浴はできない。

女の人が私をふくめて三人かたまったので、
先に女が乗ることになった。

ゴンドラの内部は、両側がガラス窓だったが、
濛々たる湯気で曇っていた。

片方五個ずつ、両方で十個のポリ浴槽があり、
正方形の深い湯舟である。

一つの浴槽に一人入ると十人まで入れるわけである。
まん中に簀子を敷いた細い通路がある。

そうして、人が一人ずつ漬かると、
ちょうど銅壺にお燗徳利を一本ずつ漬けた感じになり、
ゆらゆらと、空と海のあいだへ滑り出すという仕組み。

湯はかなり熱く清潔で、
宇宙船の内部もきれいである。

満々とたたえられた湯は、
箱がゆれるたびにたぷたぷとあふれ、
湯気が濃くなり、窓は曇る。

窓は換気のため少し開けてある。
私は深い浴槽に入ろうとして足がとどかなくて、
困った。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3、勘定旅行 ④ | トップ | 3、勘定旅行 ⑥ »
最新の画像もっと見る

「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作」カテゴリの最新記事