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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

13,姥雲隠れ ③

2025年04月14日 08時39分39秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・夫は妻に、
ラクダ色の毛糸襟巻を巻きつけてやり、
手袋がぬげかけていたのをはめてやる

妻は寒くなってからは、
布の頭巾のごときものを、
かぶせられているが、
それでもその下から黒々と、
富士額は描かれており、
私はおかしさに目をそらせ、
ご亭主の方にだけ黙礼して、
マンションへ入る

妻の方はあらぬほうを眺めている

そうしてつくづく思った

夫婦というものは業のようなもの、
ではあるまいか

妻とか夫とかいう名が、
ついたばっかりに、
ボケて人間から遠くなっても、
忍耐強く世話をせねばならぬ

それを思うと、
生きる支えなどという人なんかは、
ほしくないのである

やはり独りがよい

すがすがと一人で生き、
そしてやたら医者にいじくらせず、
生命維持装置など不自然なことをして、
殺さず生かさずにおかれるよりは、
自然に土に還ろう

すべて自然がよい

ボケるのはいやであるが、
そのときが来たらボケるかもしれぬ

私は無神論者というべきであろうか、
特定の神も仏も信じていないが、
何となく超越者の存在を感じている

それがモヤモヤさんである

若いときは、
モヤモヤさんの存在に気づかなんだ

戦後、店の屋台骨を支えて、
世の荒波と戦ったとき、
この世に神や仏はない、
モヤモヤさんがいる、
と分かった

仕事がうまくいってると思うと、
夫が病気になる、
ボーナスはあの仕事でまかなえる、
と思っていると、
急にその受注が取り消しになって、
アテにしていた金が入らず、
難儀する

私もしまいには慣れて、
モヤモヤさんとのキャッチボールに、
上達した

モヤモヤさんは、
油断している人間が好餌なのである

もっともそのおかげで、
私は七十七の今まで、
元気に生きてこられた

しかしボケに対して、
そなえているつもりでも、
こればかりはどうしようもない

私はこれまで、
ずいぶん税金を払っている

面倒はまわり持ちで、
他人にみてもらうほうがよい

いつだか、西条サナエは、
寝たきり老人になると、
介護者にチメチメされるのだ、
と悲しがり、
同じチメチメされるのなら、
夫にされるほうがよい、
といっていたが、
私はそこが違う

赤の他人にチメチメされるほうが、
いっそさっぱりしている

人間は疎をもってよしとするのである
親類も孫も子もないほうがよい

そしてモヤモヤさんのいうままに、
自然にかえろう

そんなことを思いつつ、
その老夫婦をみていると、
私はちっとも、
お茶飲み友達にふさわしい、
うるわしい夫婦愛の姿とは、
思えないのである

マンションのどの窓にも、
オレンジ色の灯がともり、
物を煮るなつかしい匂いが流れてくる

それなのに老夫婦は、
ベンチから立ちあがり、
どこへ行くのかせかせかと、
妻は歩き出す

足がもつれてよろけるのを、
夫は支えてやり共について歩く

妻はふと立ち止まり、
唇を動かす

夫は耳をつけて聞き取り、
くるりと二人で踵をかえす

(この道ではない、あっちだ)

とでもいったのであろうか

妻の表情はいっそうぼんやりして、
何かを思い出そうと、
苦しんでいるのであろうか

それをみつけたい、
たしかめたい、
というようにせっせと歩く

しかし足が意志についていかないので、
前のめりに着物の裾を乱し、
つんのめる

夫が急いで抱きかかえ、

「おい、おい」

と声をかける

何日かたって見たときは、
妻は車いすに乗せられていた

とうとう足が、
いうことをきかなくなったので、
あろうか

夫は忍耐強い顔で押してゆく
そうなっても、
散歩をやめないようであった

妻の頭巾の下から見える、
黒々とした富士額も健在である

妻はたいてい、
あらぬほうを眺めているが、
私が夫に向かって、

「今日は暖かくて、
お散歩にようございましたね」

などとお愛想をいったりすると、
たちまち私のほうを振り向き、
目を吊り上げ、
口元をゆがめ、

「あほ、ばか、まぬけ!」

とののしるのである

そうして私に手袋や襟巻を、
投げつけようとする

「ひょっとこなんきん、かぼちゃ!」

不自由な手で投げられないのを、
もどかしがって、
着物の袖口を引き裂いたり、
しようとする

「あれは嫉いてはりますのや」

とは管理人さんの耳打ちである

「おたくだけやおまへんで
誰でもご主人と話を交わした人に、
嫉きはりますねん
それが男には嫉けへん
女に嫉きはります
ボケててもわかりまんねんなあ
えらいもんだす」

といった

「へえ~~
あんなになっても、
嫉妬の気持ちてあるんですねえ」

といったら、

「そうらしおます
『塾老の輝き』の、
老人心理講座いうのんに載ってました」

「女は罪深いものねえ」

「現役だんねんなあ、
女も男も死ぬまで
そう思うと元気が出てくる、
と『塾老の輝き』に書いておました」

と管理人は張り切っているが、
どこに輝きなどあろう、
私はボケてまで、
夫と口をきいた女に嫉く、
というなまぐささに、
堪えられぬのである

あの妻が私を見て、
口をゆがめ目を吊り上げていたのも、
あまりに本性むきだしで、
いやらしく思え、
そう思うと、
今までボケのかわいらしさのように、
見えていた手描きの富士額も、
不潔に思えて、
それから車いすが見えると、
遠まわりしたり、
なるべく夫婦の視界に入らぬようにした

そのうち、
また引っ越しでもしたのか、
ふっつり姿を見なくなった

思えば、

「あ~ん、あ~ん」

の泣声も、
夫の注意を引き付けておきたい、
甘えがあったような気がする

(ああ、気色悪いもん見た・・・)

と私は同性ながら気味わるい

私の「歌子字引」には、
「男に甘える」という項はないのである






          


(次回へ)

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