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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

78番、源兼昌

2023年06月18日 13時18分12秒 | 「百人一首」田辺聖子訳










<淡路島 かよふ千鳥の なく声に
幾夜寝ざめぬ 須磨の関守>


(海の彼方の淡路島から
千鳥は波の上を通うてくる
友を呼んで鳴き交わしつつ
そのさびしい鳴き声に
きみよ 須磨の関守のきみは
幾夜
眠りをさまされて
物思いに沈んだことであろう)






・美しい歌で、
口調もよろしく よみやすい。

文法学的には、
「寝ざめぬ」という言葉が落ち着かないと、
古来から問題にされている。

「寝ざめらむ」の「らむ」が省略されたという説、
「寝ざめぬる」の「る」が省略されたという説、
いろいろある。

不思議な言葉であるが、
歌というのは玄妙な生命を持つもので、
文法にない言葉を乗せたまま走り出し、
まわり続けていく。

厳密にはありえない言い方が、
かえって根をおろしておさまってしまう。

兼昌(かねまさ)の歌も、
生命を持って一人歩きしはじめた。

もう誰も、
文法上の違法を訂正できなくなってしまった。

須磨の関は古代に置かれていた。
淡路島とともに歌枕である。

この歌は『金葉集』冬の部に、
「関路の千鳥といへることをよめる」
として出ている。

この歌の背後には、
『源氏物語』の「須磨」の巻がある。

作者の兼昌も読んでいたであろう。

光源氏が事に当って都落ちしたのは、
春三月であったが、
須磨に住みついて梅雨の季節を迎え、
夏も過ぎ、秋となる。

「須磨にはいとど心尽くしの秋風に、
海はすこし遠いけれど、
行平中納言の、
関吹き超ゆると言ひけむ浦波
夜々はげにいと近く聞こえて、
またなくあはれなるものは、
かかる所の秋なりけり」

この「関」は須磨の関で、
秋でさえ淋しかった流人の暮らしに、
ひとしお耐え難い冬がきた。

冬の月あかき夜、

「まどろまれぬ暁の空に、
千鳥いとあはれに鳴く」

と「須磨」の巻にある。

兼昌はこういう背景を得て、
<淡路島・・・>の歌を作ったのであろう。

定家はもとより、
『源氏物語』の愛読者であったから、
兼昌のこの歌を愛し、
これを本歌として、

<旅寝する 夢路はたえぬ 須磨の関
通ふ千鳥の あかつきの声>

という歌を作っている。

兼昌はプロ歌人ではなかったらしいが、
歌合わせには何度か名前を残している。

ところで、
千鳥の鳴く声というのは、
どんなであろう。

私たちが何気なく使う千鳥足、
千鳥がけ、という言葉にも、
千何百年のはるかな伝統がある。

千鳥はちょっちょっと歩くと、
また向きを変えてまた、
ちょっちょっと歩き、
ついでまた向きを変えて歩く。

この習性のため、
足跡を見ると電光形にじぐざぐになっている。

酔っぱらいの足取りも、
稲妻形になるようである。  

千鳥がけというのが裁縫にある。
三角の波形に糸をかがっていくものである。

千鳥の習性を、
私たちの先祖はよく知っていた。

身近な鳥として愛し、
見つめつづけてきたのであろう。

その心が歌や文学になった。






          


(次回へ)

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