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夢の途中

空に真赤な雲のいろ。
玻璃に真赤な酒の色。
なんでこの身が悲しかろ。
空に真赤な雲のいろ。

映画「レイ」と「レイ・ミュージック」

2005-02-26 | 映画
映画「レイ」は、シリアスな映画である。
「レイ」とは、昨年(2004年)に亡くなったレイ・チャールスのことだが、亡くなって1年も経たない昨秋に間髪を入れずに映画が完成し、今年のアカデミー賞の有力候補となっているという。“花金”の夜、久々の日比谷みゆき座へ出かけてきた。

この映画がシリアスであるという意味はふたつある。
ひとつは、7歳時に失明したレイ・チャールス自身の生い立ちから始まる音楽人生の、音楽、女、そしてヘロインとの壮絶な闘いぶりが描かれているからだ。一種のサクセスストーリーとも言えるのに、暗い映画である。
ふと思い出したのが、今日のモダンジャズのスタイルであるBebop(ビーバップ)を完成させ、モダンジャズの創始者と称えられたチャーリー・パーカーだ。アルトサックスの超絶テクニシャンにしてインプロビゼーション(即興演奏)の大天才を描くその伝記映画「バード」も、終世ドラッグと女に助けられながら自分の音楽を創造し、一期一会の演奏に生きていく悲劇的な一生が描かれ、重かった。

この映画でも、最初は他人の音楽スタイルの模倣から始まり、ロックンロール、R&B、ジャズ、そして敬虔な教会音楽だったゴスペルと出会いつつ、ついに「ソウルミュージック」にたどり着いて魂を浄化していく彼の音楽創造の内面が、たいへん重く描かれていく。
盲目であること、黒人という社会的被差別者であるという現実から、彼は常に逃れることができない。そこでともかく歌っていかざるを得ないのだから、当然といえば当然である。現実から逃れようとして創造し、歌い演奏することで解放されながら、それによって新たに困難な現実に迫られる。

僕が感じたもうひとつのシリアスさというのは、彼を通して僕らの大好きなアメリカの大衆音楽の歴史が、それこそまさに即興的に誕生していくプロセスがそれなりの必然性を感じさせながら、ていねいに描かれているからだ。

レイ・チャールスが7歳のときに失明したのは、貧しい南部での母子の暮らしのなか、いっしょに遊んでいた弟が目の前で水に溺れて死んでしまうのを、一部始終見てしまったからである。それまで見えていた世界が次第に遠のき、もはや“総天然色カラー”の絵はがきのようなイメージでしか思い出せなくなってしまう。(このあたりのメモリアル映像は印象的だ)

映画では、聡明な母親が、自立して独りで生きていくよう、レイを厳しくしつける。映画でのその母子のやりとりのシーンはまことに切ないが、これはドラマ上のある種のフィクションとして“美談”に仕組まれた印象を否定できない。
実際のところ、レイの本当の母親は別におり、ここに登場する母は育ての母であるらしい。たぶん、母親の実像を描くにははばかれる事実があったのだろう。

しかし映画は、フラッシュバックでたびたび登場するこの母子のシーンによって、なんとか救われる。こういう話をところどころに挿入しなければ、とてもやっていけないぞという、あるのっぴきならない現実が、映画に感じられる。実際に、憐れにもレイは幼少の頃からまったく孤独で、まったくの目が見えなくなるという、過酷な境遇に投げ込まれてしまった。そこから、どのようにして生きていくというのだ。

レイは、ブルーズ、R&B、ジャズ、ゴスペル、ソウル、カントリー、ポップスというそれぞれ固有の音楽ジャンルの本質や風土、形式を、歌うために生きるために、自分の遺伝子に換骨奪胎し、すべて自分のものに昇華してしまった。
その心を借り、リズムを借り、原風景を借り、コード進行を発展させ、コンテンツ(内容)それぞれを自分に引き寄せ、自分の感性に奪い取ってしまう。
それを生み出したのは、その時々の避けることのできない現実あるいは人間関係であり、そこから切羽詰まって即興的に発露させなければならなかったのが、彼の音楽ではなかったか。映画をみると、そこのところがよくわかる。
彼が自分のバンドで始めた、女性コーラスを使ってのあの素晴らしいライブ感覚、かけあい、励まし合い、痴話喧嘩、挑発・・・・これが“レイ・ミュージック”の醍醐味であり、Jazzyなものの魅力であり、この映画の真骨頂でもあった。どの音楽シーンでも、身体が自然にリズムを刻んでしまうので、押さえるのにとても苦労してしまう。

このようにレイの音楽は孤独であり、猥雑であり、悦楽である。
猥雑さのなかに、どうしようもない哀しみがあり、苛立ちがあり、ダイヤモンドのような輝きがある。同じことを繰り返し、繰り返すなかからいきなり発展する。天性の閃きは、それだけ彼の現実が重かったという証明だろう。
ミュージシャンという活動はすべからくそうであるだろうが、彼は批評せず、表現する。率直に表現する。いきなり触発される。発想の飛躍、感性の飛躍、回帰。どんな音楽ジャンルがあろうとスタイルがあろうとも、それらを超えたところに彼のライブの声がある。彼でなければならなかった歌声がある。

ともあれ、映画「レイ」では、こうした“レイ・ミュージック”とでも言いようのない彼の音楽がどのように発現され歌われ人を楽しませてきたかを、ライブそのものとして実感させてくれる。そこにあるのはすべて、リアルな関係性から生まれるもので、そして、底の底にあるのは、紛れもなくブルーズの精神である。
ブルーズ。あのたった4×3の12小節のスタイル。ブルーズから始まり、ブルーズに帰る。貧困と孤独と哀しみから生まれるブルーズ。レイ・チャールスの俗と聖。

映画のシーンのなかで、レイがたびたび語る。
「ぼくの目は耳なのだよ。ぼくは耳で見る」
飛び込んでくる音、忍び寄る声、リアルに、ライブに過ぎ去っていくこれらのもの・ことに応え、思いを返すには、やはり、歌うしかないではないか。

余計なひと言を付け加えるなら、映画で示された黒人の公民権運動への彼の関わりや「我が心のジョージア」がジョージア州の州歌となるいきさつなどは、映画にとってはあまり意味がない。彼の原風景としての音楽との出会いを、むしろもっと描いてほしかった。

テレビで観たホラー映画「呪怨」

2005-02-19 | 映画
インフルエンザに罹ったので、やることがない。寝ているにも飽きたし、寝ていると妙な夢ばかりみる。頭がぼんやりして仕事にもならない。ホラー映画として話題の「呪怨」というのを、一昨日テレビでやった。ものすごく、怖いんだというので、観た。

いまこの「呪怨」のリメイク版がアメリカで作られ、それが逆上陸してきているようだ。とはいえ監督は同じで、この監督はほかにビデオ版と劇場版の3本を造っているというから、一粒で3度おいしい「呪怨」ということになるのか。3本も観る人は、まあ・・・・いるのだろうな。
もちろん日本語に「呪怨」などという言葉も概念もない。和製オカルト映画全盛時代の造語であろう。

ホラー映画が好きか?と聞かれれば、映画ならなんでも好きということで、とりたててのファンでも“通”でもない。大昔の「電子人間」に始まって、途中省略、比較的新しいものでも「エクソシスト」とか「オーメン」「ポルターガイスト」とかの定番と、比較的新しい「シックスセンス」、「アザーズ」なんかもニコール・キッドマン見たさに観たものだ。
和製の直近(こんな言葉がいつからはやったのだろう)ものだって、評判になった「リング」だって「パラサイト・イブ」だって、ちゃんと本から入って、読んで観た。率直に、本は結構面白かったが、映画はどれもタイシタことなく、怖くもなかった。

期待に反して、「呪怨」も怖い映画ではなかった。目の回りに妙なメーキャップをした子供の死霊が、お定まりの黒猫といっしょに頻繁に出てきて、若い女性やセーラー服の女子高校生たちがどんどん出てきてはどんどんやられてしまう。やられてしまうというのは、恐怖に取り憑かれ、血だらけに殺されて、なおまた若い女の子に取り憑く。若い女の子ばかり出てくるのだから、一番てっとり早く、この子たちの世代を怖がらせればよいというのだろう。
心霊的な傾向のものは、鈍いせいか、しかけばかりに目がいって、もともとあまり怖いという感じにはならない。ああ、こういうことね、というふうになってしまう。

しかし、映画での恐怖とは一体どういうものだろう。人それぞれに異なるのは確かだろうが、たとえば「ジョーズ」にしろ「エイリアン」「13日の金曜日」にしろ、そのいずれも第一作は、ちびりそうになるくらい怖かった。
たぶん誰が観ても、そうだろう。こちらの想像力を揺さぶるからだ。それに、古典的なショットの転換テクニックなど、映画の基本的な映像手法に呆気なく攪乱されるからである。

ところが映画でやってはいけない反則を、「セブン」とか、「羊たちの沈黙」という映画が犯してしまった、と僕は考えている。観客が想像で怖さを自己増殖させる法を採らず、見せなくてもよいものをこれなんだぜと、ただ露悪的に見せる。それ以来これが常識となって、自分の内側で作り上げていく真の怖さが、次第に消えて行くように思えてくる。

これらに比べたら、ポランスキーの「ローズマリーの赤ちゃん」やアラン・パーカーの「エンゼル・ハート」そして、大好き!デヴィット・リンチの「ブルーベルベッド」なんかのほうが、どれだけ怖かったろうか。
これらはホラー映画ではない。そこには見せ物としての恐怖はなく、日常の視点が少し変わるだけで、想像もしない世界が、映画の進行に合わせてじわじわとこちらを追いつめてくる。観る側の想像力に踏み込んで、向こう側にある信じがたい世界を、すっと紛れ込ませてくる。

・・・・ともあれ、なあんだと思いつつ、テレビを消し、眠りに入ってどれくらい経ったろうか、うとうととまどろみ状態が続いて、夢のなかである切迫感があった。
やばい、起きようと枕元のスタンドのボタンを焦って押したら、じじーっと音立てて一瞬、明かりが飛んだ、
暗がりのなか、あわてて立ち上がり、天井のライトの紐を引き下ろそうとした瞬間、それより早く別な腕が飛んで来て、紐を握った。その腕をつい握ってしまった。肘から下だけのその腕。一瞬、ゲッと叫んだ。自分のその声で、目がさめた。

改めて枕元のスタンドの明かりをつけたら、もちろん何の気配も、何事もない。が、その、生暖かく、やわらかい、なんとも形容しがたい不気味な腕の感触が、しばらく右の手に平に残った。しかし、手を伸ばしたあの瞬間に、それが来る!と直感したのが、ふしぎであった。
たとえば、こういう経験のほうが、映画よりよほど怖いだろう。

映画「天井桟敷の人々」

2005-01-21 | 映画
フランスのマルセル・カルネ監督の映画「天井桟敷の人々」を、池袋で観てきた。学生時代に観たことがあるので、これで二度目ということになる。

生誕60周年記念ということでの限定上映にもかかわらず、館内はほんの数人しかいない。もったいないことだ。
映画の「生誕記念」というのもなかなかのものだが、それほど古い映画だし、評価も高かった。
ドイツに占領されていた第二次大戦のさなかにセットを組んで撮影し、戦後すぐに公開されたというから、まさに、フランスの矜持とでもいうのだろうか。
学生時代に“どうしても観ないといけない名画”と勧められて観たのだが、面白かったという印象は残っていたものの、ディテールなどとっくに忘れていた。
しかし、モノクロ画面にパリの通称泥棒大通りを行き交う人々が歩き出すと、そうそう、そうだった、とまったくデジャブそのもの、プロットやシーンが鮮明に思い出されてくるのがとても不思議だった。きっと、そういう映画なのだろう。

映画は、この泥棒大通りに掛けられた芝居小屋に出入りする人たちのさまざまな人生が、それこそ「劇的に」絡まっていく様子を描いていく。
フランスの至宝ジャン・ルイ・バロー演じる繊細なパントマイム芸の青年、バチスト。
シェークスピアの「オセロ」がやりたい放埓で熱情的な役者。
情け無用でありながらどこか知的で、己の人生を見極めてしまっているかのようなヤクザのボス、ラスネール。
名誉と騎士道を重んじながらも、恋に一途に身を焼く尊大な伯爵。
パントマイムの役者を愛して信じ続ける、気の強い劇団長の娘などなど・・・・。
個性的でアクの強いこれらの登場人物たちが、ひとりの美女をめぐって、それぞれの人生を狂わせていく。どこか人生を達観したかのような、透明で爽やかな微笑みをたたえてやまないひとりの美女、ガランスゆえに。

最初に不思議だと言ったのは、この映画には「劇、芝居」が幾重にもオーバーラップしているような感覚を覚えるからだ。
芝居小屋が舞台となっているから、いわゆる劇中劇が頻繁に登場するのは当然である。しかし、そういうことではない。
通俗的に言えば、映画自体は「劇、芝居」である。
しかし、その芝居である映画の枠のなかに、実はいくつもの芝居が進行していて、さらに「劇中劇」もあるという印象なのである。
それらをひとつの大きな芝居として、映画「天井桟敷の人々」は、あたかも(映画で実際に騒々しく登場している)芝居小屋の最上階の天井桟敷に陣取った人々の視線で、展開されていく。そう、思えるのだ。
観客である僕らは、最上階の安席に陣取って品なく野次ったり笑ったり拍手したり、大騒ぎで見守っている、無名の「天井桟敷の人々」として、映画に参加してしまっている。

バチスト「きみほど美しい人はこの世にいない」
ガランス『いいえ、私はね、ただ元気なだけなの』
バチスト「きみを心から愛してしまった」
ガランス『恋なんて、いつもとっても簡単なことなのよ』

モノクロームの世界なのに、二人が歩く夜の町、裏道、佇むどの窓辺にも、街灯よりずっと白く明るく月の光が射し込んでいる。
ほんとうに、恋であるなら簡単なことなのに・・・・。

さて、あまりに個性的な登場人物のなかで、いちばん印象に残ったのが、ヤクザのラスネールだ。そこが、最初に観た印象と違っている。
偽善を嫌い、犯罪渡世を自分の信義として貫きたいラスネールは、最後に人を殺してしまう。なぜ? 彼がいちばん貧乏くじを引いてしまったからか?
いや、そうではない。彼は自分の人生にオトシマエをつけたのだ。
だって、実は、彼こそがガランスをいちばん愛していたのだから。
彼は、解放したかったのだ、ガランスを、そして、ガランスをあまりにも愛する自分自身を。

映画「De-lovely」 五線譜のラブレター

2004-12-31 | 映画
コール・ポーターという音楽家を知っている人はどれだけいるだろうか。もうとっくの大昔に亡くなっているアメリカのミュージカル作曲家だ。
「ビギン・ザ・ビギン」とか「Night and Day」「You'd be so nice to come home to 」「So in love」などジャズヴォーカルのスタンダードとして、名曲がいっぱい残っている。これらをちょっと聴いたら、あああれか、と感じる人はきっといる、少なくとも50歳代以上の人なら。

「サマータイム」とか「ラプソディ・イン・ブルー」のジョージ・ガーシュウイン、「スターダスト」とか「ジョージア・オン・マイ・マインド」のホーギー・カーマイケル、これらの人とほぼ同じ世代の音楽家である。

今日、雪が降ったので、出かけることにした。晦日の雪。
上野の美術館にでも行って、雪降る不忍池でもぼんやり眺め、久しぶりに「根津の甚八」のカウンターで熱燗一杯でもと思ったら、このコール・ポーターの伝記ふうな映画がかかっていたのを偶然、知った。
「De-lovely」。邦題で「五線譜のラブレター」。日比谷のシネ・シャンテ。ややうら寂しい年の瀬にみる映画としては、もう、ばっちりだった。ストーリーのなかで、彼の作った曲の数々が、ああそういう背景で作られ唄われたのかと教えてくれる、嬉しい演出。もちろんラブロマンスが軸で、哀しく終わるが、明るく終わらせる。

Every time we say goodbye I die a little
Every time we say goodbye I wonder why a little
Why the gods above me
Who must be in the know
Think so little of me
They allow you to go
(Every time we say goodbye)

さよならと言うたびに、わたしは少しずつ死んでいく
さよならと言うたびに、なぜだろうと少し考える
・・・・

きちんと韻を踏んだこの美しい詩の美しいメロディを、ボクにとって神にも等しいナット・キング・コール、その娘のナタリー・コールが、映画のなかで唄うのだ。すばらしくうまい!

帰りに西荻に寄って、飲み納めを「しゃも重」でと行ったら、さすがにもう店仕舞い。ついでに美呂の店を覗いたら、これも終わっている。しかたないここしかないだろうと「いせや」まで足を伸ばして、焼き鳥の煙もうもうたるカウンターで(ちと雰囲気が違うなあ)、映画のシーンをあれこれを思いだしながら熱燗三本。ほろ酔いで店を出たら、もう雪は止み、きりりと寒い。♪ナイトアンデーイとポーターの歌を小声で唄いながら、年の瀬を終える。

Strange,dear,but true,dear
When I'm close to you,dear
The star fill the sky
So in love with you am I
(So in love)

これらのラブソングはみな、ポーターの奥さんであるリンダのために作られたものだが、実は、彼女を演じた女優さんの笑顔や表情が、ずっと昔ひそかに夢中になった人にそっくりで、参ってしまった。あの頃・・・・夜空にいっぱいの星を、ひとりで見あげるばかりだったけれど、ほんと、不思議なんだな、いつだって、すぐそばに、感じられたんだ。