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夢の途中

空に真赤な雲のいろ。
玻璃に真赤な酒の色。
なんでこの身が悲しかろ。
空に真赤な雲のいろ。

早稲田ラグビーの象徴・宿沢広朗氏が逝った

2006-06-18 | ラグビー
この6月17日、日本のラグビー協会の頭脳で次期リーダーと目されていた
宿沢広朗さんが急逝した。享年わずか55歳。

その昔、「早稲田ラグビーといえば宿沢」という時代があった。
1970年に新日鉄釜石を、1971年には三菱自工を破って、
学生チームの早稲田が日本選手権を2連覇したとき、
いずれもSH(スクラムハーフ)として大活躍したのが彼だった。
最初の1970年には自分が社会に飛び出した年だったので、よく覚えている。
社会人をやっつけた学生のひときわ小さな男のことが、
しばしば新聞やテレビで取り上げられていた。

自分の在学時代は、さまざまな活動とアルバイトで、
ラグビーどころか野球の早慶戦にさえ観戦に行ったことがなかったが、
サラリーマンになったそのとき初めて、
宿沢の活躍で早稲田ラグビーを知ったといえるかもしれない。
それ以後数年は注目していたが、その後すぐに低迷し始め、
時折はテレビ観戦するくらいであった。
その後1980年代初期になって、人気を集めた本城、吉野というタレントが輩出した頃から
ぽつぽつと秩父宮や国立へでかけ、
以降ふたたび低迷に落ちこんだ時代は、またテレビ観戦に逆戻り。
1980年代の後半に、昨年まで監督をやって早稲田を常勝軍団に押し上げた清宮や、
堀越、今泉、藤掛の黄金トリオの時代からは、勝っても負けても毎年、
ラグビー場へ足を運ぶようになったものだ。
明治に負けるのは仕方がない、が、たまに奇蹟の逆転?で勝ったときのあの興奮、嬉しさは、
正直に言って、現在の常勝圧勝の感激の比ではなかった。

早稲田のラグビーは、ほんの数名のラグビー名門校からの推薦入学者と、
大多数の一般入試組みとの力の差をどうカバーしてまとめるかが、
毎年の課題であった。
そのなかで一般入試組みの宿沢は、入学早々東伏見のラグビー練習場に来ては
細かいメモをノートに記し、これでは勝てないと思って入部したという。
きわめて論理的なラグビー分析に長けていたことが、
無名選手が多くしかも他の伝統校よりも体格に劣る早稲田が、
どうしたら大きくて強い選手に勝てるかを至上課題としてきたチームカラーに
合っていたのだろう。

その後、三井住友銀行に入社してラグビーから離れたものの、
ヨーロッパに在職中に本場のラグビー状況とコミットし続け、
やがて日本ラグビー協会からその頭脳と分析を買われ協会理事となり、
ビジネスとの二足の草鞋、日本代表の監督にもなってワールドカップで初めて1勝。
その“記録”は未だに破られていないという。
いま大騒ぎのサッカーとは違って?
残念ながら日本ラグビーは未だに世界に通用していないのだ。

ともあれ、宿沢という固有名詞によって僕は早稲田ラグビーを“発見”した。
そして、小さな宿沢がグラウンドをすばしっこく走り抜けていく姿に、
勝敗とは関係なく、小さい者がどうしたら大きく強い相手に勝てるのか、
という早稲田ラガーマンのイメージがインプリンティングされたのだと思う。
37年後のいま、改めてそれに気が付いた。
繰り返すが、ずっと昔、宿沢が早稲田ラグビーの象徴だった時代が、確かにあったのだ。
身長162cmの小兵でラグビーと海外ビジネスの第一線で戦い、
世界をめざす日本ラグビー界の任務を期待されていた宿沢氏は、あっけなく逝ってしまった。
合掌。

早稲田ラグビー、トップ中のトップに完敗。

2006-02-20 | ラグビー
2月19日、日曜の午後2時。奇蹟は起こらなかった。

早稲田ラグビーは、トップリーグのトップオブトップの東芝府中に完敗した。
学生チームの早稲田が勝っていたら、いささかオーバーに言えばそれこそトップリーグは解散せざるを得ないかもしれないというほどにも重要なゲームであった。
せめて、彼らが真っ向から手を抜くことなく学生を粉砕しようと立ち上がったことに、深く感謝せねばならないだろう。

負けた早稲田もまた真っ向から戦った。
もちろん手を抜く余裕などはないし、攻撃の多彩なオプションを繰り出し、果敢に戦い続けた。そのどれかがひとつのトライに結びついたら、状況は少し変わっていったはずだが、東芝府中は最後まで完璧にディフェンスし切った。

先のトヨタ戦でフォワードのラインアウトを面白いように奪い取った早稲田が、今度は逆に取られまくった。
ボールをスローするフッカーの青木選手が開始早々負傷し、一番の長身でラインアウトのサインを出す一方、柔軟なキャッチングでこれまでラインアウトをリードしてきたフランカーの1年生豊田が、これまた開始早々脳震盪で倒れ、やがてドクターストップとなって退場した。

いわばラインアウトの要であるふたりのリズムが狂ってしまったのだ。このふたりは、最も狙われやすい攻撃対象であった。
スクラムではほぼ互角近い大健闘だったものの、ラインアウトで圧倒されてしまうと、攻撃のオプションが全く生かされない。
スクラム、ラインアウトのフォワードのセットプレイはラグビーの基点である。ここが破綻すると、おのずと勝負の先は見えてしまう。

しかし早稲田は、東芝陣内のゴール前で得たペナルティで何度もスクラムを選択し、今シーズン、自分たちの自信を培ってきたスタイルで真正面から堂々と攻め続けた。安易にペナルティゴールを狙わず、最後まで自分たちの誇りに賭けた。
この意気やよしである。

真正面から戦って、負けた。事実はそれだけだ。相手を本気にさせたのだ。それは誇ってよい。

それにしても秩父宮ラグビー場から帰る道すがら、疲労感にどっぷり襲われた。まるで東芝府中のあの強烈な外国人ラガーマンにぶちかまされたように、くたびれきっていた。
そんな疲労困憊に襲われてみて、今年もまた自分は早稲田の選手とともに在ったのだと、強く実感した。よくぞ戦ったものだ、今度はトップリーグで彼らにリベンジしよう。

早稲田ラグビーがトップリーグに勝った。

2006-02-14 | ラグビー
いやあ、泣けた、泣けました。久しく忘れていた早稲田ラグビーの興奮、最後の15分あまりの肉弾戦の攻防をしのぎきった果てに、どれだけの歓喜が待っていたか! 秩父宮で絶叫して涙を流し、帰ってビデオをみてまた涙が滲んでくる。喉が痛い。

2月12日、快晴の秩父宮ラグビー場での日本選手権2回戦、早稲田ラグビーがトップリーグのトップクラスチーム、トヨタを破った。
ということは、どれだけ凄いことであるか、想像できるだろうか。
奇蹟だったわけでも、ハプニングでもなんでもなく、まったく正々堂々、真正面からぶつかって、フォーワード戦をかっちりと制しての勝利だ。
数人のオールジャパンの選手ばかりでなく、世界の頂点に立つニュージーランドのオールブラックスの元選手が二人もいる、爆発的なパワーをもつチームを相手にしてだ。
この意味は、単に勝った負けただけに終わらない。

今から18年も前に、学生の覇者早稲田が社会人の東芝府中を破って日本一になって以来、学生チームと社会人チームとの差はどんどん広がり、学生は全く歯が立たなくなった。
とりわけ社会人チームはトップリーグ制が導入されてから大きくレベルアップし、どのチームも海外から強力な助っ人が投入されるようになって、学生と社会人の公式試合無用論が出るくらいに、差が広がっていた。18年前とは比べようがないのである。

社会人チームのように、同じメンバーが何年間もひたすら練習努力して作るチームでなし。
毎年違ったメンバーで、しかもどれだけ才能があったとしても、体も未だ貧弱で技術もこれから磨きにかけるという学生の集団である。
なぜ、そんな学生チームがトップリーグのトップクラスのチームに勝てたのか。

そこには、その18年前に早稲田チームの一員として日本一になった清宮監督の、カリスマ性と、日本ラグビー界の将来を透視した緻密な戦略がある。
なぜ、日本ラグビーは、世界に通用しないのか?
なぜ、学生ラグビーは、トップリーグに通用しないのか?
なぜ、身体の小さい者は、大きい者に勝てないのか?
そうした問題意識が、伝統的に早稲田ラグビーにあり、理論的な開祖ともいえる故・大西鐡之祐さんから綿々と受け継がれてきた。勝利は、その集大成にほかならない。

One for All、All for One というのは、古くからラグビー精神を象徴する言葉となっている。
ラグビーは15人の役割のスポーツである。それぞれに異なる役割を、背の高い者小さい者、足の速い者鈍足な者、体重のある者細い者、すばしこい者腕力のある者が15人集まって分担し、それぞれの特性を、違う特性をもった他の選手のために駆使し、他の選手たちの力で自分の特性が生かされる。

小さく軽い者が大きく重い者に果敢にタックルに行き、鈍足な者がボールを持ちこたえて速い者にパスをする。そうしてボールをつなぎ、つながれたボールによって、トライが生まれる。
トライは、トライを演出した14人のサポートによって、ひとりの手で行われる。自分の役割を全うした果てに生まれるひとつのトライは、だから15人全員のものなのだ。
そうして、15人の背後には、共に練習してきた何十人ものクラブ員がいる。彼らから押し出されるように出てきたのが、15人の戦士であり代表なのだ。
天才がいようといまいと、そういう意志が強くまとまったチームが勝つのである。強い意志をもたせ、それをまとめるのが、清宮監督の役割だったのである。

こうした舞台を作ってきた清宮監督は、今年で早稲田の監督を勇退し、次年度から古巣のサントリーの監督に決まった。彼を慕って早稲田のキャプテンほかキー選手がまた、サントリーに入社することになった。
他のトップリーグチームにも、そして来年、再来年と巣立っていく学生が、数年後にはトップリーグのあちこちのチームに散じて、それぞれのチームのキー選手となっているだろう。

近年低迷しているサントリーラグビーが、清宮監督の復帰によってトップリーグで優勝できるだろうことは想像に難くない。やがて、オールジャパンの監督にもなるだろう。
そのとき・・・・彼の遺伝子たちは再結集して、世界を舞台にした早稲田の「勝つラグビー」を体現することになるだろう。そうしたプロセスがこれから始まるのだ。
そのとき、それは早稲田ラグビーではなく、「ジャパンラグビー」となっているのだ。

それはさて、日本選手権はまだ終わっていない。来週は、トップリーグを連覇して最強の東芝府中と早稲田とがぶつかる。早稲田が勝つのは、至難の業である。勝ったら、奇蹟としかいいようがないかもしれない。
しかし、かつて、早稲田ラグビーはそうとしか言いようのない“奇蹟”を何度となく起こしてきた。何かが起こるかもしれない2月19日、日曜の午後2時。

アドマイヤグルーヴ

2005-05-02 | ラグビー
秩父宮ラグビー場へ、ニュージーランド学生選抜チームと、日本の学生選抜チームとの交流試合に出かけた昨日、ちょうど京都の淀競馬場で春の天皇賞が行われることを思い出した。腕時計をみたら、時間はまだある。
そこで場外馬券売り場のある新宿で降り、駅の売店でスポーツ新聞を買って、駅構内の軽食屋に入った。店員の指示するカウンター席に座って、イカとタラコのパスタを頼んで、天皇賞のレーシングフォーム(出馬表)を読み始めた。

競馬を少しでも囓ったことのある人にはおわかりだろうが、かつて、競馬が大好きだった作家のヘミングウェイをして、「見なさい! ここには沢山の物語が詰まっている」と言わしめたほど、レーシングフォームに魅力は尽きない。そこには、たった1頭の勝馬を推理するための多くのドラマが、コンピュータプログラムのようにぎっしり数値化されている。それを読み解く楽しみは、なかなか奥が深いのである。

ボクは、さまざまなif~thenを自問自答しては検証し、幾通りもの机上の空論をでっちあげるのにしばし没頭した。しかし、今回のこのレースだけは考えの決め手が見つからず、結論が出ない。
そのとき、ふと頭痛をおぼえたので、顔を上げると、右隣から猛烈な煙害だ。50前後のおばちゃんがさっきからチェーンスモークを続け、その煙を扇子でバタバタとこちらに送り込んでいるのだ。

や、たまらん。ボクはタバコの煙に弱い。

「その煙草の煙を、こちらに煽ぐのはやめてくれませんかね」
つい、ボクは口に出してしまった。少し抗議の気持ちがあったのは事実だ。
途端、すごい雷が鳴った。
「なぜそんなこと言われなきゃいけないのさ! ここは、喫煙席でしょ、タバコ吸っちゃいけないっていうの?」 大きな声だ。いきなり、キレている。
「いや、そうじゃなくて、その煙を扇子でわざわざこっちへ送らないでほしいんですよ」 そうか、ここは喫煙席だったのか・・・・と思いつつ、声が少しおどおどしている。
「暑いんだから扇子つかって何が悪いのさ! えっ、おっさん、文句あるの?」 すごい啖呵だ。おっさんときたから、「そういう問題じゃないんだよ、おばさん」 とついやり返したら、火に油を注いでしまったんだな、これが。

「おばさんって、一体、何よ! 名誉毀損で訴えてやる!」 と、小太りの身体がはち切れそうで、目がねの向こうの丸い目が吊り上がって、赤い唇がとんがるだけとんがって、なぜそんなに怒ってるんだろう?

そこへ男の店員がふたり、あわてて飛んできた。やあやあ、とか、まあまあ、すみませんとか言って、両方をなだめにかかった。ボクは店を出ようかと思い、いや、注文のパスタが未だ来てないぞと思い、しかし、このまま出たらなんかかっこ悪いぞと思い・・・・そこで、禁煙席ってあるの? と店員に聞いたら、はいあちらですと指を指す。そこはすぐ隣なんだけど、仕様がない、そちらに逃げ出した。なんだ最初からタバコを吸うかどうか聞いてくれればいいのに・・・・とぶつくさ言いながら。

だが、終わらない。そのボクの背に、まあ、言いたい放題ぶっつけてくる。
「なぜタバコを吸っちゃいけないんだ、なぜ文句を言われなきゃならないんだ!」
「女だからと、バカにしやがって!」
「昼まっから競馬新聞なんか読んで、やることもないのか、大の男が!」
「売られた喧嘩なら、いつでも買うぞ!」
「休みの日だってのに、ひとりで、女もいないのか!」とか、やあ、なんだかもう、聞こえよがしに、怒鳴り続けるのだ。いったい、どっちが名誉毀損なんだ。

回りの客はほとんど若い連中で、時折、おばちゃんの声に若い女性が肩をぴくっとさせる程度で、おおかたは知らぬ顔の半兵衛を決め込んでくれているのが、却って救い。ボクは、やっと来たパスタをひたすら不味い思いで黙って食べ、あんまり続く罵倒の声に、キッと振り向くと、こっちを睨んでいる目にまともにぶつかるから、いい加減にせいよと、少しにらみ返して、これはしかし、忍の一字だぞとまたパスタに集中して、無視を決め込むばかりである。

店員はなぜだか、すみませんね、すみませんね、と言いながら、どうしようもなく、頼みもしないアイスコーヒーをサービスだと言って持ってきてくれるが、でも、他の人ならこんなときどうするのかなあなどと、考えることもなく考えているうちに、ようやく「あの男が!」と、キャッシャーのところで、最後ッ屁よろしく怒鳴って出て行った。

ああ、恐ろしかった。緊張した。心臓が少しどきどきしている。今まで生きてきて、このトシになって、こんなに人から罵倒されたことはないぞ、もう。しかも、公衆の面前で。

店を出て、足取り重く、思ったものだ。
先ほど検討していたレーシングフォームのなかに、牝馬が一頭いて、少し気になっていた。アドマイヤグルーヴという名の馬で、鞍上は当代随一のジョッキーである武豊。しかも未だ最強の血をつないでいるサンデーサイレンスの仔だが、人気はほとんどない。そういえば昔、やはり武豊のお手馬で牡馬をやっつけるほどに強かった、エアグルーヴという牝馬がいたっけ。
うん、そうか、もう、これしかないな、これだと大荒れになるぞと思って、これから買うことにしたが、実は、もう、相当くたびれきっていた。

しかし、その後の秩父宮のほうは面白かった。ニュージーランドと日本の学生選抜のラグビー戦は、早稲田と関東学院とトンガ出身の選手が中心で、わずか2点差の惜敗ではあったが、それぞれのスター選手が持ち味を発揮して、たいへんエキサイティングだった。

さて、アドマイヤグルーヴはどうだったのか。
さすがに思い出したくなかったので、その日帰ってからは、あえて知らんぷり、忘れたことにした。そして、今日の朝刊でその結果を知った。
結果は・・・・やはり、大荒れだった。だがしかし、アドマイヤグルーヴの名はどこにも見つけられない。そうか、きっと彼女は“焦れ込み”が過ぎて、どこかへ逸走してしまったにちがいない。
ボクは少し複雑な気持ちで、そう思うことにした。

ボクサー・カシアス内藤

2005-02-14 | ラグビー
夜遅く、テレビを消そうとリモコンをとったら、NHKでいきなり「カシアス内藤」のドキュメンタリー番組が始まった。カシアス内藤だって? 今ごろ、なぜ・・・・。
かつて、ドキュメンタリー作家沢木耕太郎さんの「クレイになれなかった男」で描かれた、あの天才ボクサー・カシアス内藤。

昔からなぜか、ボクシングを見るのが好きだった。小学生の頃、家から少し離れたところに珍しくも女子プロレスのジムがあり、高校に入る頃にボクシングジムに変わっていた。そこに、往時ファイティング原田、海老原博幸とともに“フライ級の三羽ガラス”と人気を集めた青木勝利がいた。学校からの帰り道、シャドーボクシングをしながらゆったり走る彼の姿を、何度か見たことがある。それから、彼ら三羽ガラスの試合をテレビで欠かさず見るようになった。(その後の青木の人生は、思いがけず悲惨だったが)。

実際に仕事をするようになってからは、テレビで見るばかりでなく、後楽園ホールなどに何度か足を運ぶまでになった。そして、“本日のーぉ、メーンエベントーぉ”よりも、前に出て攻めるか打たれて下がるか、そうした一進一退の打ち合いが止まらない前座の4回戦ボーイの試合のほうが、面白く感じるようになった。

あるとき、海老原博幸、藤猛、柴田国明、ガッツ石松など6人もの世界チャンプを育てた名伯楽のエディ・タウンゼントさんを、さるPR誌の仕事で取材した。エディさんが出張していた下北沢の金子ジムに行ったら、深い褐色の身体がヒョウのようにしなやかに、ぎらぎらと舞っていた。それが、「復帰戦」直前のカシアス内藤だった。アフロヘアのその存在感は、横でサンドバッグ打つ売り出し中のあの村田英次郎でさえ、かすむほどだった。

その数年前、テレビのミドル級の全日本タイトルマッチ中継で、圧倒的なノックアウトシーンに遭遇していたのだ。左右のボディブローを連打し、ダウン、起きあがったところをまたボディブローを連打し、それだけで、チャンピオンは立ち上がれなくなった。それまでに見たことのない、強烈なボディブロー。それを放ったのが、カシアス内藤だった。
とりわけエディさんのコーチングを得てから頭角を現し、その後も東洋ミドル級のチャンピオンにまで上って、世界はすぐ目前という段になった彼は、しかしなぜか惨敗に惨敗を繰り返すようになり、いつか消えていたのである。

沢木耕太郎さんの「クレイになれなかった男」を読んだのは、ちょうどエディさんを取材したころだったか。その本で、「カシアス」のリングネームが、実はあのカシアス・クレイ(モハメッド・アリ)の名前からとったもので、内気な内藤にはそれが重荷だったこと、相手の顔面を打ち続けていると、つい弟を思い出したりして手をゆるめてしまうことがある、ということなどを知った。精神面でどこかボクサーになり切れなかった男。その彼が、復活するというのだ。
が、沢木さんはその後、カシアス内藤に付きっきりで、続編「一瞬の夏」を書いた。そこには、カムバック以降の彼が“噛まされ犬”となって落ちていく様が、例の印象的な沢木調で描かれている。それ以降彼は、完全にリングから姿を消してしまった。

そうして・・・・時経て現在、工事現場の労働者として生活してきたカシアス内藤は、すでに55歳。喉を癌細胞に犯され、医者からの手術の勧めを断って、この2月初めにボクシングジムを開いたのだという。手術をしたら、もう声が出ないというのだ。
そうした自分の境遇を理解した彼は、ついに決意した。彼の夢を共有した沢木さんと、かつて彼を撮り続けて同じように夢を共有してきたカメラマンの三人で、やり残してきたこと、自分がなれなかった世界チャンプを育てると決めたのだ。
テレビの画面は、いつの間にか墓参シーンに変わっていた。師匠だったエディ・タウンゼントさんの墓石をやさしく清めるカシアス内藤が、アップされる。野生に満ち精悍そのものだったあの表情は、人生の襞を深く刻み込んで、いまはとても穏やかである。

「トレーナーのシゴト、悪いクセつぶす、いいクセ伸ばす。でもボク教えるのは、ヤル気、自信、マナーのみっつネ。テクニック教えるの、こころ教えるの、どちらが大切?」
インタビューに答えてくれた当時のエディさんの、あの独特なしゃべり方が思い出される。確か、この言葉のフレーズを、取材記事のタイトルにしたのだった。
テクニック教えるの、こころ教えるの、どちらが大切?
カシアス内藤は、師匠のこの精神をどう受けとめるのだろうか・・・・。

そのエディさんが、日本人の奥さんとともに日本で生き、アメリカ国籍のまま日本で亡くなってから、おお、もう17年にもなるというのだ。

ラグビー日本選手権・早稲田対トヨタ戦

2005-02-12 | ラグビー
敢然と、闘った。
追う目に、力が入った。赤黒のジャージが、低く、執拗に、タックルする。戦略は、こちらにあった。読みも勝った。技量もあった。技量を超える精神力はそれに増して、こちらにあった。ディフェンスもアタックも、今期一番にすさまじかった。しかし、勝負には破れた。みな泣いた。あれほど悔しく泣けるのは、真に闘ったからだ。

早稲田とトヨタは予想通りのすばらしい試合だった。
ここ数年の早稲田ラグビーは、常に課題をもち、課題を超えることを課題にして練習し、鍛え上げてきた。だから、どの大学チームよりストイックで、ひたむきで、強かった。
大学4年間という限定のなかで、今年は史上最強メンバーのチームとなった。清宮克幸監督という往年の早稲田のキャプテンが課題を出し、選手自らが自らを育ててきたのである。

だから、ここ数年の早稲田ラグビーの試合はおよそ予想できた。客観的にその技量とパワーが理解できた。その意味で、応援するスリリングさはなかった。勝てるか?ではなく、どう勝つか?であり、どう負けるか?だったからだ。
しかし対トヨタ戦の勝敗は予想できなかった。常勝チームでなかった頃の早明戦の気分だった。劣勢をかこちながらも、かつてのように、最後は奇跡的な逆転をするのではないかと。実に久しぶりに早稲田ラグビーを応援する気持ちになっていた。

敢然と、闘った。が、奇跡は起こらなかった。
たったひとつのトライをとっていれば、勝っていたはずだ。たったひとつのトライに、何度でも何度でも執拗に挑戦してほしかった。キックではなく、あくまでひとつのトライを!
秩父宮を後にしながら、言いようのない疲労感にどっぷり襲われた。


早稲田ラグビーの勝利

2005-01-03 | ラグビー
ラグビー大学選手権で、早稲田が予想通り関東学院を破って優勝した。
予想通りでなかったのは、トライ数だった。両校ともディフェンスの良いチームだったので、トライ数は早稲田が5、関東学院は2で、33対14くらいと踏んでいたのだが、結果は31対19。トライ数は5対3であった。

学生の短期トーナメントの試合では、勝つべくチームは1戦ごとに強く育っていく。自分たちで学習し修正しつつ、信じられないパワーでまとまっていく。啓光学園が4連覇した今年度の高校選手権が、それを雄弁に語っている。早稲田も大学選手権の1試合ごとに、とりわけディフェンスが完璧に近くなっていた。

本当は、早稲田は2つもトライをとられないだろうな、とタカを括っていた部分もあった。実際に取られたトライは、ひとつはSO安藤くんの苦し紛れのキックを一瞬チャージされたものだったし、もうひとつはSH後藤くんの外への攻撃的なロングパスがうまく狙われ、これも一瞬にインターセプトされて許してしまった独走トライ。
いずれも早稲田の組織的なディフェンスが綻んだものではなく、偶発的であったと言えよう。が、ウラを返せば、それだけ関東学院のディフェンスに気合が入っていたということである。
しかし“余計”だった3つめ、ノーサイド寸前の関東学院のトライは、意識的に行なったアタックの結果で、これはさすがと思わせるものだった。

この試合の率直な印象は、関東学院は強い!ということ。とりわけ内部にごたごたのあったチームを3年の有賀くんを中心に、短期間にまとめあげてきた春口監督の手腕を賞賛したい。来年以降を見据えた戦略で、フルバックであの爆発的な攻撃のセンスとパワーをもつ切り札の有賀くんを、急遽センターにもっていき、オフェンスよりディフェンスに徹底させた。
その成果は、早稲田の高速自在のバックラインの攻撃を、あわやという瞬間に常に止めていた彼のタックルを思い起こせばよい。彼のラガーマンとしての能力は、実にすばらしい。
3年前のこと、本来は本人の意思どおり早稲田入学が決まっていたはずの有賀くんだったが・・・・彼はその“無念さ”を別な意志に熱く打ち固めてきたのであろうか。その話はいずれまた、書いてみたい。

ともあれ、これで早稲田と関東学院は4年連続の大学選手権決戦相手となり、勝敗もちょうど五分五分。一昨年度、早稲田がこの決戦で惜敗したときに、これで毎年お互いに勝ったり負けたりするようになると予感したが、まさにそのとおりとなった。来年はまたこのチーム同士の決戦になるだろうが、さて次はどちらだ?

今日は、早稲田の完全ライバルとして関東学院を合わせ鏡にして語ってきたが、では早稲田のほうは・・・・? 
それはもういくら語っても語りきれないほどのテーマがごっそりある。何から語っていいか、誰を語っていいか、困るほどである。今回の早稲田の戦略戦術は、後藤翔太の試合開始後すぐのランとパスをみてすぐに感じられる。さらに安藤のキックとラン、No.8佐々木のすべての動き、ロックの桑江やフッカー青木のラインアウトのセット、センター菊池の執拗なアタック、五郎丸の動き・・・・ほかすべてを見ていれば、それらがいかにきちんと組み立てられ練られててきたものか、とてもよくわかる。これらについて、素人の僕にどんなふうに語れるかなあ。

それにしても、大学ラグビーほど面白いものはない。ごまんといる世のスポーツ好きは、どうしてラグビーを観戦しないのだろうか、それが僕にはどうしてもわからないのだ。