GREENな瞬間

緑のような美都里になりたいなぁ。

3ヶ月目。

2006-06-29 12:55:52 | Weblog
“いんすぴれーしょん”
って信じる?

人間って
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感のほかに
第六感をもってるっていうじゃん。

「心のはたらき」と位置づけられている第六感が
いんすぴれーしょんと関係があるのかないのかなんて
詳しいことはわかんないけど

人はみんな
第六感をもっていて
いんすぴれーしょんを感じられるようになっている

と思うんだー。


第六感って
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感が
どれかにかたよらずすべてにおいてリラックス状態で使われているとき
よくはたらく。…気がする。
すべてまったく使われてなくても、すべてがフル活動でもだめ。
ほどよさが大事。

別に霊感が強いわけでも特別なぱわーをもっているわけでもないんですが

いんすぴれーしょんって実はすんごく大切なんではないかと
思っていたりする。

ふと思いついたこと
ふと感じたこと
ふと駆られた衝動


人は欲を理性でコントロールできる
賢い人ほどコントロールできてしまう

しかし人は理性を発達させるにつれて
欲といんすぴれーしょんの区別をつけることが困難になっていったのではないか

頭ん中で
あれやりたい って欲望と
あれやろう  って感じるいんすぴれーしょんが
一緒のことだと解釈されてしまうように進化してきているのではないか

そして理性で
欲と解釈されたいんすぴれーしょんがカタチにならずに抑えられてしまっている。

だから
みんな感じてるはずの第六感でのはたらきも
人によっては
あたしそんなの感じなーい なんてことになっちゃってるのかな

なんてワタシの自論ですが。


そんないんすぴれーしょんで思いついたこと感じたこと
それに従うことに間違いはない
と思い

時間とお金の許す限り
やっちゃえ!

と思う今日このごろなのであります。

というか
時間とお金の許す限り
やれちゃう のが今のワタシの一年間。

いんすぴれーしょんと欲とを履き違えずに
思うままに感じるままに
進んでみよう

と思う今日このごろなのであります。


カナダにて
いろんな感覚が研ぎ澄まされてきている(ような気がしているだけだと思うけど)
3ヶ月目。


さて
いんすぴプラン第一弾。

7月半ば ひとり旅決定。






仲良しこよし。

2006-06-27 08:55:16 | Weblog
最近
となりのとなりのおうちに住んでいるジルおじちゃんと仲良しこよしです。

ジルちゃん(勝手に略してみタ。)は
ワタシのパパより少し年上ぐらいで
日本ラブ!
なフランス系カナディアンのおじちゃんです。

今日もついさっき
「闘魂」
とでかでか筆字でかかれたTシャツを自慢げに着て
ワタシの前に現れました。

「ファイティングスピリッツ!」
とうれしそうに言うジルちゃんを見てたら
なんだかこっちまでうれしくなっちゃいました。


ジルちゃんとワタシ(主に聞き役)は恋バナをします。
ジルちゃんはある若い日本女性と恋をしている。
彼女は日本、ジルちゃんはカナダ。
国籍や年齢などのいろいろな壁が彼らの間に立ちふさがり
彼らはなかなか前に進めない。
そんな行き詰った想いをジルちゃんはワタシに語ってくれます。

恋バナだけではなくジルちゃんはいろんな話をしてくれます。
近くのドーナツやさんで2時間トークが普通です。


自慢の車でいろんなとこ連れて行ってくれたり
一緒にゴルフの練習したり
自転車を修理してくれたり

仲良しこよしなんです(´∀`)



家の前のテラスでこれ書いてたら
またジルちゃんやってきて
「今、元彼女(ジルちゃんのこと忘れられないらしい)から連絡があって呼び出されたんだよー。かえってきたらコーヒーいかない?」
と言って車でびゅーんと隣街まで行っちゃいました。

ただいまジルちゃん待ちです。

数時間後、近くのドーナツやさんに
ジルちゃんの恋バナを聞くワタシがいることでしょう。

攻。

2006-06-23 13:54:09 | Weblog
ニッポーーーーン!!

一点目の盛り上がりはなんだったんだーーー?!


世の中
なんだかんだと
「ワールドカップ」なるものに
盛り上がりを見せておりますが

このワールドカップ期に、ちまたによく出没する
“にわかサッカーファン”のうちのひとりのワタシが
悲しいことにそんな流れにまったく乗れずに(うちで試合観れないんだもーん)
日々を過ごしておりました。


今日の第三戦「ニッポンVSブラジール」
これはにわかファンとしては観ねばなりますまい!


仕事のお休みをいただき
前々からこの試合観戦の計画を企てておりました。

んで本日
ネットで見つけた「トロントにいるニッポン人が集まってこのワールドカップ第三戦をみんなで応援しようじゃないかー!企画」に乗らせていただき
トロントのでっかいスポーツバーにて
昼間っから(日本じゃ真夜中、こっちじゃ午後3時。)
ビール片手に(ってかっこよく言いたいのに飲めないもんで実際はコーラ。)
でっかいスクリーンの前で(観たかったんだが人が多すぎてちっさめの画面でだった。)
ニッポン!チャチャチャ!

ご存知の方もそうでない方もいらっしゃると思いますが
スポーツ観戦時のワタクシは

「ウルサイ」
この一言に尽きます、はぃ。
毎回試合観戦後に自己反省です、はぃ。

日本が得点を決めたとき
あまりの驚きとうれしさに
隣にいた連れの彼女と抱き合うと同時に座っていたイスをぶった押しました、はぃ。

そんなワタシのアツい応援は
前半ロスタイムのブラジルゴールのショックと
最初の得点時の興奮での体力消耗により
後半突入時には ちーん。

「ブラジルに遊ばれてる」だの
「ヒデも俊介も活躍してない」だの
「日本、やる気が見えない」だの
「それは止めれたでしょー」だの
ド素人目で言いたいほうだいいいながら
ブラジルの連続ゴールにますます ちーん。

日本がちぢこまってみえたのはワタシだけ?
ブラジルとの実力差なんてだれもがわかっているんだから
もっとあたってくだけろ!の勢いで楽しそうに活き活き試合をしてほしかった。
「攻めは最大の守り」でしょ。守りたいなら守りに入っちゃいけないんよ。攻めることがなによりの守りなんよ。

なーんて
好き勝手思いながら
本日の試合
異国の地で多くの日本人とともに観戦することができました。

移民の国カナダで迎えたこの4年に一度のアツい時期。
ひとつの国に居ながら他の多くの国を肌で感じられるこのすごさ。

刺激的。


んでもって試合後は
一緒に観戦したかわゆい彼女とトロントデート。

先日ナイアガラにきてくれた彼女は
人間的に魅力をいっぱい秘めたステキな人で
もっともっと共に時間を過ごしたかったけれど
そうともいかないのが現実で
やっぱり別れの時はやってくるわけで

ひとりの時間は好きだけど
誰かと共にステキな時間を過ごしたあとのひとりの時間は好きにはなれなくて

おっきな淋しさがこみ上げるワタシに
彼女はやさしい応援の言葉をかけてくれて

そんな彼女に感謝しながら彼女を見送りひとり帰路に着きました。


本当にがんばれる人は
本当にがんばっている人は
「がんばる。」を言葉にしない。

誰よりがんばっているのに
がんばっているなんて微塵もみせない態度で
すらっと生きている
そんなかっこいい人になりたい。

強さをもった人間になりたくてここにきたのに
自分の弱さばかりが見えてその弱さをカバーすることに必死になってて
「ワタシがんばる。」と口でばかり言っている
そんな現実の自分が突きつけられ
その突きつけられたショックを守りに入ることで解消しようとする
自分がここにいる。

帰りのバスの中ふと気づいた。

守りに入っている自分。

カナダにきてからいろいろあった約3ヶ月
この3ヶ月で得たものを失わないようにと無意識に守りの姿勢になっている自分。

周りの応援を受けて得た自由な一年間。
守るべきものは日本においてひとり自由な身でここにきたはず。

なのにここで得た3ヶ月間があまりにステキすぎて
なにかに縛られている自分。
いや、なにかを縛り守ろうとする自分。

「攻めは最大の守り」
そうだよ、それだよ。
今のワタシに足りないもの。


今後の資金のことを考えて…
もっと英語ができるようになってから…
今のおうちがとても居心地いいから…
仕事が決まっていい環境だから…

守りたいものがあるならば
攻めを忘れてはいけない。

守りたいものがあるからこそ
攻めなければならない。

縛らなくとも守れる。
縛らないからこそ守れる。


「あたってくだけろ」
をモットーとしてきたこの約3ヶ月。

これから先は
「攻めは最大の守り」
をモットーとし、


決めた。
ワタシ、攻めます。








デート。

2006-06-20 08:20:49 | Weblog
昨日
ステキな子たちとナイアガラデートしたんです。

ふふふ。

日本からトロントに語学留学にきている友達が
キレイなブラジリアンの子を連れて
ナイアガラへ遊びにきたのです。

ふふふ。

友達に会えたのがうれしくって
久しぶりに日本語トークできるのがうれしくって
ブラジリアンの子が日本語できないのはわかりつつも
日本語でばかり話してしまいました。

…んにゃ、やっぱり正直に…

友達に会えたのがうれしくって
ブラジリアンの子に会えたのもうれしくって
英語でたくさん会話したかったのに英語が思うように話せなくって
日本語でばかり話してしまいました。

はぃ、後者が正しい文章です。

ブラジリアンの彼女はさぞかしつまらない思いをしたことでしょう。
ほんとうに申し訳なかった。
自分のふがいなさにヤラレました。

友達のその子はさぞかし板ばさみで窮屈な思いをしたことでしょう。
日本語ばかり話すワタシと英語で話しかけなきゃいけない彼女との間で。
ほんとうに申し訳なかった。
自分の自己中さにヤラレました。 

その前に
自信満々で「バスターミナルまで迎えにいくから!」といっておきつつ
バスターミナルの場所をちゃっかりしっかり勘違い。
ほんとうに申し訳なかったー!
自分のうっかりさにヤラレました。


ステキな二人と
滝つぼに船で進み、間近でナイアガラの滝を見られるという
かの有名な「霧の乙女号」を初体験。

目をあけているのが困難なほどの風と水の勢いにやられ

近くで滝を観られるという表現は間違いですね、あれは。
近くで滝を感じられるという表現のほうがしっくりきますね、あれは。


そんなこんなの楽しい時間は
あっという間に終わりを迎え
彼女たちは自分たちの街へと帰ることに。

自分を高めることに努力ができ
自分軸とチャレンジ精神を持つステキな彼女から
やさしさと刺激と梅干しのお菓子を頂き
また会おうねと約束しバイバイしました。


夕焼け空の中
ひとりとぼとぼ帰り道
梅干しのお菓子をほおばりながら
これから先の自分の姿と
日本の良さをかみ締めましたとさ。

ちゃんちゃん。









ファザーズディ。

2006-06-19 08:46:13 | Weblog
はぃ。世の中のみなさん。
お忘れではないでしょうか?

今日は何の日? そぅ、父の日。
母の日があれば父の日もあるのです。

母の日に比べ父の日がマイナーな気がするのはワタシだけ?
母も父も 平等に親であることにはかわりないのにね。

「カナダに行きたい? おぉ、そうか。行っておいで。」
と夢に向かう背中を押してくれたワタシのパパは

出発前の引越しを手伝いにきてくれた際に
ワタシの大切なおっきなぷーさんを助手席に乗せシートベルトを締めさせ
ふたり(ひとりといっぴき)で実家に帰った
そんなかわゆいパパです。ふふふ。

ワタシにも人並みに反抗期ってものがありました。
ワタシの標的は父親に絞られ
仕事で朝早く家を出、夜遅く帰宅する父の存在を徹底的に受け入れない
そんな態勢をとりました。

何がワタシをそうさせたのか
今じゃさっぱり
(それが反抗期ってやつですか?)

父に対するそんな感情も時間とともに流れ去り
今では歳を重ねるごとにパパへの愛も深まってゆきます。

あるとき気づきました。
ワタシが小さい子をあやすときは
自分が父親にあやされた方法であやしていると。

仕事の忙しいワタシのパパは
決して子煩悩といえる父ではなかったと思います。

そんなパパにあやされたことが
幼心にうれしかったのでしょうね。

「三つ子の魂百まで」
などという言葉もありますが
うれしい記憶が体に染み付いているのでしょう。


最近沈んだ気持ちの日記が続いていましたが
笑顔で送り出してくれたパパへの父の日の贈り物として
元気を取り戻しつつあるワタシの姿が伝わればなと思います。


あいらぶパパ♡

そんなこんなで
HAPPY FATHER’S DAY♪

ぱわー。

2006-06-18 13:54:18 | Weblog
人に支えられて生きているとつくづく思います。


おとといの夜は
リンダ母さんがぎゅっと抱きしめてくれて
ごはんを作って一緒に食べてくれました。

昨日の夜は
隣の隣の家に住むジルおじちゃんが
車で隣町であった音楽のイベントに連れ出してくれました。

こんなときだからこそ
ひとりで心落ち着かせる時が必要かと思っていたけれど

こんなときだからこそ
だれかと共に話し、笑い合う時が必要なんだなと思った二夜でした。


昨夜は
小さな街での小さなイベントだったけれど
今のワタシにとっては
大きな意味と大きなぱわーを与えてくれたものでした。

ライブ経験者なら誰もが知ってる
生で聴くからこそ感じられる
あのベース音が体の中で響く感覚

久しぶりに感じたあの感覚が
自分の心臓の鼓動とシンクロして
なんだか
生きていることを頭の中ではなく体の中で感じた
そんな夜でした。


どうして人の歌声って
あんなにも人を惹きつける魅力があるんだろうねー。
ワタシは天地がひっくりかえっても人に披露できるような歌声をもっていないので
人よりも余計にステキな歌声に惹かれるのかもしれません。

少し前まで
ワタシの中で“ステキな歌声”っていうのは
流れるような美しい素敵な歌声を主に指していたけれど

ちかごろは
クールでアツい想いのこもった歌声にも
とても惹かれるようになりました。

歌声に惹かれるのはもちろんのこと
人が奏でる音楽にもおおいに惹かれます。


観ている人たちが思わず
踊りだす、リズムをとりだす
そんなロックな音楽イベントで

音楽から
そしてその音楽を囲む人々から
ぱわーをもらってきた夜でした。

命。

2006-06-16 12:26:48 | Weblog
今日
仕事仲間を
ひとり亡くしました。

初めて仕事先に行った日
わかりやすい英語とやさしい笑顔で
ワタシをトレーニングしてくれた彼女は

あってはならない逝き方でこの世を去りました。


あまりに突然の出来事で
あまりに信じられない出来事で

涙がとまらず
心の整理がつかず

ただただ
頬を伝う冷たさを感じながら呆然とするしかありませんでした。


事実を受け入れられない自分と
この出来事を綴るべきかどうか葛藤しましたが

綴ることで彼女の死を受け入れるためにも
必ずいつかは風化してゆく記憶のためにも
綴ることを決めました。


彼女と過ごした時間は短かったけれど
星の数ほどの人間がいるこの世の中でお互い出会ったことには変わりなく

いつかは永遠に会わなくなる出会いだったとしても
今このときを一緒に過ごしていたことに偽りはなく

そんな彼女を支えられるほどの関係ではなかったけれど
どうして彼女はこの世を去らなければらなかったのか


ワタシは
生きられる体をもった人間が
生きることをあきらめることを受け入れられるほど
心が広くない

体が死んだらどんなに時間をかけても生きられないけれど
心は死んでもとてもたくさんの時間をかければまた生きられる
そう思う

彼女がいくら深い悲しみの中にいたとしても
そこで死を選択したことを
ワタシは受け入れられない

言葉にしたなら
受け入れられるのかとも思ったけれど

綴りながらも今だ受け入れられてない

いや 受け入れたくない

世の中なにが正しいのかなんてわからない
何が普通で何が異常で
何が常識なのかなんてわからない
ってカナダにきてすごく感じたけれど

生きられる体をもちながら
自ら生きることに終止符を打つことは
正しくない
と言い切りたい自分がいる

生きることをあきらめることでどれだけ自分が楽になったとしても
それにひきかえてどれだけ多くの人が苦や悲に暮れることになるのか

自ら死を選ぶほどに追い込まれた人間に
それを分かれというのは不可能なのかもしれないけれど

それを伝えてあげられる人間が周りにいなかったのか
あなたが生きているただそれだけで幸せなんだと伝えられる人間はいなかったのか

どうして彼女がその道を選んでしまったのか

起こってしまったことに
どうして を繰り返しても答えは得られないことぐらいわかっているけれど
繰り返してしまうのが悲しみであり哀しみであり

生きていきたくとも生きていけない人たちが
生きていきたくとも死を受け入れなければならない子どもたちが
世の中にはたくさんたくさん存在し

人間は自ら自分の生死を選べるほどの力をもってはいない
もってはいけない



ここに
これから先を
生きていきたいと思う22歳

ここに
これから先を
生きていくことを断念した22歳


22年間の人生を終えた彼女の死から
22年目を迎えたワタシは何が学べるのか


そんなことを考えられるほど
冷静になれるのはまだ先になりそうです。













ひとり。

2006-06-14 16:05:51 | Weblog
哀しい夢をみた。


澄み切った空気の中の綺麗すぎる夕焼けが
あまりにリアルで

しばらくの間
これが夢なのか現実なのか
彷徨った。



気持ち変えて寝ようと思って
シャワー浴びて
けど
続きをみてしまいそうで
なんだか
寝れない。


誰かが隣で寝ていてくれたら
とまでは言わないけれど

朝起きて
ひとりで朝日をみることが
切ない
と思ってしまう
そんな夜。


こんな夜を経験しながら
人はおおきくなるものなのでしょうか。

おやすみなさい。

バースディ。

2006-06-12 13:58:19 | Weblog
日本時間の本日

無事に21年間を生き終え
22年目の人生のスタートを切ることができました。

カナダではまだ11日。
まだ21歳だもーん
歳とってないもーん
まだ若いもーん
なんてくだらない悪あがきはよして

22年前日本に生まれたワタシですので
日本時間でカウントしようと思います。


誕生日は本来祝われる日ではなく
自分をこの世に生んでくれた両親に感謝する
そんな日だと思います。

この場をかりて
「パパ、ママ心からありがとう」

たった5文字の「ありがとう」に
今ある感謝の気持ちすべてを乗せたつもりです。
この気持ちが伝わりますように。


ワタシは「生きたい」です。

生きている人って生きているのが当たり前になりがちだけど
当たり前のことなんて世の中ないんだと思います。

生きることって簡単なようで難しいことなのだとも思います。

これからまだまだ
共に時間を過ごしたい人がたくさんいるし
これからまだまだ
やりたいことがたくさんあるし
これからまだまだ
行きたいところがたくさんあるし

ワタシはこの先「生きていきたい」です。

生きていけるのは
とても幸せなことなんだと思います。

生きていきたいと思えることは
とても幸せなことなんだと思います。

ワタシは幸せなんだと思います。


22年目もワタシなりに生きようと思います。

みんなありがとう。



GRIEF。

2006-06-11 16:13:44 | Weblog
天気の良さに反して
急激に冷え込んだ今日の夕方

ひんやりとした空気の中
高く澄んだ夕焼け空を見ながら。


人が何度経験しても
つらさや苦しみや悲しみになかなか慣れない理由は
想像よりも現実の方が
つらくて苦しくて悲しいから 

楽しみや喜びやうれしさに慣れやすい理由は
現実よりも想像の方が
楽しくて喜べてうれしいから
だと思う。

どんなに前もって想像していても
現実はそれ以上につらくって苦しくって悲しくって

想う人想ってくれる人を失う心の痛みは
人生の中で最大のつらさで苦しみで悲しみで

恋愛 友情 家族愛

愛のカタチはなんであれ
想い人を失う心は
荒れ狂う嵐のようであったり
静まり返った暗闇のようであったり

カタチあるもの いつかはくずれ
カタチなきもの いつかは消え

永遠なんてないものなんだって
理解はできても納得はできない

なのに
そのとき感じるつらさや苦しみや悲しさは
永遠に続くのではないかとさえ感じる矛盾がある

つらさや苦しさや悲しみは
神様が乗り越えられる人にしか与えないと
与えられたからにはあなたは乗り越えられる人なんだ

そんな言葉もあるけれど
いつしか誰しもが感じるつらさや苦しさや悲しみに
出会ったそのときがその人にとっての
乗り越えられる時期なのかと

人生に偶然はない すべては必然である

そう考えたら
そのつらさや苦しみや悲しみに出会ったことも
必然なのかと

その必然の出会いを経験した人は
強くてそしてやさしい人になれる
と思い

いつかは自分に訪れるその出会いを想像しながら
それでもやっぱり
現実はつらくって苦しくって悲しいんだろうなぁ