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酒の肴を独断偏見でエブリデー更新。関西3県境の北摂(兵庫東北部、大阪北端、京都南部)に生息※敬称は略。

久しぶり!マグロ船長 喜望峰から輝く朝陽

2013-05-02 | 日記、野球
日本を出発、もう1年以上の航海のはず。
遠洋マグロ船の服部一郎船長が大西洋から素晴らしい写真を送ってくれた。
「喜望峰を朝日が赤く染めております」
バスコ・ダ・ガマやらマゼランだったかが大航海時代に経由した喜望峰(南ア・ケープタウン)。
数か月ぶりに給油寄港したから、とメールに添付してくれた。
幼稚園時代以来だから、もう60年にもなる付き合いだ。
誕生日は私が4月、船長が6月。
団塊世代同級生で、私が一足先に64歳を迎えエールを送ってくれた。
◆還暦人生の道◆
過ぎ去りし、想いはせれば
 富士荘の蒼き者たちの、旅立ちの部屋
  立ち止まらず 進めど進めど 終わりない
    負けてたまるか 人生の道
 人生の道 LET IT BE

人生の道は長くて遠い
 人生の道は果てしない
  だけど一度通る道なら
  LET IT BE 荒波に負けないで進んで行こう

海にカモメ鳴き 想いはせる
 喜望の峰に夕陽沈む
  その時君はLET IT BE
 刹那の想いを胸に航海しよう

20代の頃、女を口説く小道具。
読みもしないバイロンの詩集を手にしていた。
面白いがロマンチストでもあった。
上記のフレーズには説明がいる。
先に上京していた船長さん(当時はヤクルト社員)。
事情あって引っ越すので私は、その部屋に転がり込んだ。
大学生活の始まりだった。
2階建て6部屋ぐらいあったオンボロアパート。
4畳半、共同トイレの2階角部屋。
北多摩郡東久留米(現在の東京・東久留米市)。
1969年、家賃4500円。
西武池袋線で池袋からJR乗り替え。
法政大学のある市ヶ谷、飯田橋まで1時間少し。
少々、遠かった。
だがまだ田園風景の残るいいところだった。
富士荘とはそのアパートの名前。
狭い小さな部屋で、もう一人の友人・山本信二と作った曲。
といってもギターのコード進行だけ。
題名が「人生の道」だった。
当時は「神田川」を代表とするフォークソング全盛期。
食事をし将来を語りながら3人で作った。
船長が送ってきた詞は当時の曲の詩を加筆、アレンジしたものだ。
よく記憶していたものだ、と感心する。


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