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獄中48年 残酷過ぎる元プロボクサー 元裁判官が衝撃の上申書

2014-03-28 | 日記
冤罪裁判を審理した元裁判官が衝撃の上申書を提出した。
「こんな証拠で死刑にするのは無茶。袴田(はかまだ)君に謝りたい。申し訳なかった。彼が解放されない限り、ぼくは救われない。解放されたとしても、彼の一生をつぶしたことになると思っている」
先輩裁判官に多数決で押しきられた、と袴田裁判を第2回公判から審理した元裁判官(76)は再審上申書を提出。
良心の呵責に堪えられず、死刑判決の出た半年後に退官している。
自殺しようとしたこともある。
死刑囚を48年間も「生殺し」にした罪は重く消えない。
元プロボクサーの袴田巌が27日、再審決定に伴い釈放された。
78歳の死刑囚が、無実を訴え続け獄中48年、死刑確定から34年目にして娑婆の空気を吸った。
獄中の環境などで糖尿病、認知症などで体はボロボロ。
再審決定、釈放を姉から告げられても「うそだ」と信じなかったのもうなづける。
かつて日本フェザー級6位だった、頑強な体だけで獄中生活を支えていた。
プロボクサー袴田は、有望選手だった。
静岡国体に出場するなど、アマで活躍後、23歳でプロデビュー。
プロ入りわずか9か月で、バンタム級日本王者とノンタイトル戦したほど。
結果は判定負けだったが、いかに有望だったかがわかる。
年間19試合(13勝)という無茶苦茶な日程をこなした。
当時は、ファイティング原田、海老原博幸、青木勝利らが活躍するボクシング黄金時代。
当時の袴田の19試合は年間最多として現在も記録として残る。
健康管理のしっかりした今では、考えられない試合数だ。
過酷過ぎる日程が影響したのか、プロ2年目の25歳で体(視力、足)に変調、引退を余儀なくされた。
もし、この時、過酷な日程をこなしていなかったら身体は壊れていなかった。
ボクサーをやめていなかった。
つまり、静岡に帰郷して事件の起きた「みそ製造会社(こがね味噌)」に勤めることもなかった。
会社寮に住み込むこともなく、専務一家4人殺害現場に居合わせることもなかった。
運命はどこで、どう転がっていくのか。
ボクシング日程よりも、過酷な人生がボクサー引退後に待っていたとは。
余りにも悲しい。
【袴田事件】66年8月、静岡・清水市のみそ製造会社専務宅が全焼。火災現場から長女を除く一家4人の他殺体を発見。住み込み従業員だった袴田巌(30)を逮捕。袴田は19日間無罪を訴えたが、1日10時間以上に及ぶ取り調べに耐えきれず自白した。公判中も無罪を訴えたが80年11月、死刑確定。
◆輪島功一(元世界Jミドル級王者)「48年もかかるとはねえ。検察はうやむやにして、潔く非を認める勇気がない。まるで、今の日本の国そのもののようだね」
◆大橋秀行(日本プロボクシング協会会長)「全ボクサーが一丸となって、支援してきました。体調が回復すれば、袴田さんに試合を見に来てもらいたい」




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