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さらば我が友えりも漁師~災いは波状攻撃

2024-05-01 | 日記
若葉の輝く5月MAYになった。
1年中を通じて一番好きな季節かもしれない。
春先に半世紀以上交流した知友を亡くした。
約半世紀前、法大1年と地元高1年。
佐々木和秋。
進行性大腸がん。享年71。

交流はオヤジ一実(故人)から
2代続いた。
和秋は長男で襟裳岬の漁師。
私は夏の2年昆布漁のバイト暮らしを続けた。
7~9月の夏3か月足らずで昆布漁が1年分の収入を得ると言われた。
次男坊は20代で昆布漁中にロープが絡まり海底に消えた。
遺体は上がらず仕舞い。
舟に同乗していた和秋の衝撃は、計り知れない。
のほほんとしていた和秋より、利発な次男。
1度は上京し別の世界に挑んだが、漁師として出直した矢先だった。
漁師の道に戻った次男を
誰よりも喜んだのはオヤジだった。
この生一本な漁師は和秋を責めた。
つらかったろう。
くわえて毎夏、否応なく巡り来る。
漁場は事故のあったところ。
お盆には浜で迎え火を梵く。
忘れろ、といっても詮がない。
そんな和秋が夏を待たず逝った。
つらい十字架を背負いながら、オヤジを引き継いだ。
こちらも社会人になっても、夏には応援グッズを送った。
それが暫くして、師走の交換になった。
年末になると昆布、鮭。
時にはたっぷり天然いくら、サケトバ、、。
景気の良し悪しが、内容の付録で分かった。
こちらも都会でしか買えないものを送った。

ところが昨年師走は珍しく干物セット。
おっ変化球投げてきたな、と思った。
昨夏は時化続きで、満足な漁も出来なかった。
日高昆布不漁とも報じられた。
「無理すんなよ。送らんでエエからな」
事前に伝えていたので、考えあぐねたのか、と思った。
「珍しいもの送ってくれたなあ。初めてやで」
礼を言って、暫くするといつも通り昆布が来た。
こちらのものが届いた時は、直ぐに連絡が来る。
おかしいな、と思ってLINEするが既読には、なるが返信はない。
コールしてみても出てこない。
異変を感じたのは、この時だ。
何かあったら、また、連絡して来るだろう。
此がいけなかった。
正月明け1通のLINEがきた。
珍しく家族写真が送られてきた。
ああ、元気そうだった。
「オヤジそっくりになったね」
そう送り主に返信したところ、以下の文面。
「兄は昨年末から、余命3~5か月のがんなのです。本人からは、内緒に、との話ですが、お伝えだけは、と。涙が止まりません」
前述のパズルのピースがはまった。
正月から気になって仕方なかった。
入院中なら迷惑だし、家族に問い合わすのもためらわれた。
ましてや命のこと。
悶々とした。
と、同時に我が右脇腹の謎の痛みが頻度を増した。
ストレス絡みの肋間神経痛と、自己判断に至った主因でもあった。
和秋は余命といわれた、ほぼ同じ3月14日、天に昇った。

訃報は4月頭、同じ家族からのものだった。
何か事情があったのだろう。
もう少し、したら駆けつけようとした最中の我が闘病生活。
「だべぇ、むろさんに言うたら、すぐだもんな」
ひょっとしたら和秋が、死にストップかけたか。
救急が1日遅れていたら、天国の階段で会えたかもしれないのに。
この日、四十九日法要が営まれた。




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