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水島保男外伝版ブログ

UFOと宇宙の探求、そしてジョージ・アダムスキーとバシル・バンデンバーグの偉大な功績を辿って・・

64年の月日を隔てて 4

2018-12-12 14:37:18 | 日記
1955年7月に開かれた戦勝国による4巨頭会談開催の理由が、地球外文明による地球国際社会の戦後の代表者たちに対しての警告であったと伝えた世界惑星協会とはどのような協会だったのであろうか。

この世界惑星協会の創始者アルフレッド・ナホン教授は心理学者、哲学者であり、当時のフランス政府のアドバイザーでもあったと伝えられている。



協会本部をスイスに置き、惑星協会通信という国際ジャーナルを、フランス、イタリア、イギリス、ベルギー、スイスなどに発行し活動していたが、協会メンバー等の詳細は伝えられていないようである。

ナホン教授の専門は心理学、哲学であるが、UFOに関する本も著作していることはあまり知られていないが、4巨頭会談の開催にまで影響を与えたナホン教授の政府アドバイザーとしての立ち位置を知るのには大変参考となる。



1954年は100万人規模といわれるヨーロッパでのUFO目撃事件が発生し、あの大天文家パトリック・ムーア氏が火星人とコンタクトをしていた。
英国王立天文学会のボス、ヨーロッパ貴族の天文家でもある。



月の専門家であるムーア氏が、なぜか写真記録ではいつも「火星儀」を見つめているのは、いかにムーア氏にとって「火星人」とのコンタクトが真実かつ重大な出来事であったのかを無言のうちに示している。
そしてそのコンタクトの目的は「地球文明の核戦争と核エネルギー問題への警告」の意味をもっていた。

ヨーロッパの王室、貴族のネットワークが、当時のUFO問題の背景に大きく関わってきたことは、1952年11月20日に起こったジョージ・アダムスキー氏の金星人コンタクト事件を、全世界に発信したデスモンド・レスリー氏が英国のチャーチル首相の甥と伝えられていることでも、その様子が窺えるのである。
デスモンド・レスリー氏はアダムスキー氏の体験を、古代インドの核戦争と神々の乗り物と伝えられるヴィマーナに関する研究と共に「共著」として全世界に発信したのである。

  



アダムスキー氏のコンタクト体験を全世界に知らしめたのはヨーロッパ王室・貴族のネットワークであった。
この王室・貴族のネットワークのシンクタンクがオランダを本拠地とする「300人個人委員会」である。

世界惑星協会のアルフレッド・ナホン教授と王立天文学会のパトリック・ムーア氏が、王室・貴族ネットワークを介して交流が行われていたとしても何の不思議もないのである。
いや、「大衆心理の専門家」と「宇宙観測の専門家」が当時のヨーロッパでのUFOウェーブの最中にシンクタンクのUFO調査活動を共にしていた考えるほうが自然である。

なぜならアルフレッド・ナホン教授は、次のような本の著者でもあるからだ。



心理学・哲学の教授が「月」に関するまたETに関する科学的本を書くには、月に関する専門家の協力があったに違いない。
表紙に使われている月面クレーターのスケッチは、ウィルキンスとムーア共同制作による月面図に使われたものと思われる。

AP電で世界に配信された「ある惑星の住民からの最後的警告」は、

ジョージ・アダムスキー氏の金星人コンタクト事件を米国を通じて国際シンクタンクがその真実性をキャッチし、貴族ネットワークのデスモンド・レスリー氏を介して国際社会に働き掛けると同時に、ヨーロッパのUFO大ウェーブの発生、アダムスキー氏の体験の真実性をダービシャー少年らによるアダムスキータイプUFOとの遭遇で確認、その調査に当たったのがシンクタンクの一員であるパトリック・ムーア氏、スコットランドに派遣されたムーア氏はコニストン事件発生から三日後に「火星人」と遭遇会見する。
これらの一連の出来事の社会心理学的対処とその解析を担当したのがアルフレッド・ナホン教授と考えれば、すべての謎が解かれるのである。
最も信頼のおける当事者パトリック・ムーア氏の「火星人会見」による「惑星の住民」の「核問題へのアプローチ」を「地球への警告」と国際シンクタンクの頂点である300人委員会で結論したと推測できるのである。

64年の月日を隔てて 3

2018-12-02 13:47:35 | 日記

4月22日撮影のUFO、距離は分からぬがビルの特徴等でその出現の方向は特定できる。


10月28日撮影のUFO、同じく出現の方向は特定できる。また、その形の特徴が写っている。

では、その形の特徴を見てみよう。



これはアダムスキータイプではないか !
ドーム状のキャビンがあるタイプのUFOの場合、搭乗者が中にいると思われるのだ。
何の用もなく有人の可能性のあるUFOが飛来してくるはずもなく、きっと何かの飛来目的があるはずである。

そもそも、アダムスキー氏のコンタクト事件の主テーマは「地球の核問題」であった。
地球文明が核エネルギーの戦争利用を始め、戦争終結後も核実験と原子力発電を行いだした。
核施設近辺にUFOが現れるという情報は当時より現在まで続いており、UFO飛来の目的が地球の核査察であることは間違いない。



沖縄慶良間諸島、渡嘉敷島近海で起こった近年まれにみるUFO事件も、アメリカより預かった兵器級プルトニユム核開発に絡むUFOのデモンストレーションとも思われ、航空自衛隊のスクランブル発進まで行われた事件である。
この沖縄UFO事件を、国会の場で質疑した玉城デニー氏が、今では沖縄県知事となり、辺野古基地移設の見直しを国に働き掛けている最中でもある。

また、国際社会では、4月に北朝鮮と韓国の融和が始まり、南北統一に向けての初の米朝首脳会談が6月に行われ、朝鮮半島の非核化について協議が始まった。

現在の情勢は、原子力社会の構築に突き進んでしまった地球文明の姿を浮き彫りにしている。

このような世界を作り上げてきた地球文明に対して、最初の明確な宇宙文明による働きかけは、核エネルギーに対するものであった。

1955年7月18日付け、朝日新聞【世界惑星協会では、このほど4大国巨頭会談を開くことに決定したのには{秘密の理由}があると発表した。これは同協会から4巨頭に宛てた覚書のうちに述べられているが、同協会総裁のナホン教授が語るところによると、その秘密の理由とは、ある惑星の住民から{イギリスとソ連の原子力工場を破壊する}と地球へ最後的警告がよせられており、これといかに折衝するかを討議するためだという。覚書は「原子力の利用は平和目的であっても宇宙の崩壊をもたらすものであり、惑星の住民は良くこの危険を知っている。そして、これらの惑星からの攻撃を阻止する唯一の方法は、原子力を放棄することだ」と述べている。(AP)】








64年の月日を隔てて 2

2018-11-29 19:11:28 | 日記
4月22日UFOの目撃と撮影が行われた一か月前の三月に、娘から近く引っ越しをすると聞かされていた。
桜の咲き始めたころに、その撮影ポイントとなる大きな見晴らしの良いテラスがある娘にとって理想のマンションに引っ越したのである。
元はマンションオーナーが住んでいた最上階の部屋を、娘たちが賃貸で住むことになったのである。
聞くところによると、そのマンションの最上階テラスが大変気に入ったらしく、友人たちを呼んでパーティーができると喜んでいた。



娘が引っ越ししてから1カ月ほどでUFOを目撃し撮影する幸運に恵まれたが、偶然が重なったものではなく必然の結果であったといまは確信している。
その確信を抱かせることになるUFOの再来が発生したのだ。

先月10月28日午後16時48分「またUFOが飛んでる、実家の方だから空見てみて・・」と電話がかかってきた。
直ぐに外に飛び出し空を眺めてみたが、それらしきものは発見できずにいたら、娘から撮影した写真が送信されてきた。




雲間に写っている物体はUFOなのであろうか?

この写真からは、それを確認する方法はなかったが、娘の電話での様子から上下左右に繰り返し動いているということだった。
この写真からは距離感もまた地表の建物などの様子も分からないので、夕方の西空に見えていたのだなとしか分からなかった。

16時56分、また携帯が鳴った。

「また出てきた、大きいんだけど・・・すっごい動いている・・・」

遠くの雲間に見えていたUFOらしき浮遊物体は、一度、雲の中にその姿を隠した。
そして数分後、一緒に見ていた娘のフィアンセの視界に何かチラチラと動くものが飛び込んできたそうだ。
それは初めに見た物体よりも数倍大きく見えたようで、その時の電話であった。

「ここから見て八王子の方向、そっちから見えないかな? すっごく大きい!あれ絶対UFOだよ、写真撮って送るね・・」



64年の月日を隔てて 1

2018-11-02 19:29:31 | 日記
1954年という年は、私にとってもう一つの個人的な重要な意味を持つ。
この世にオギャーと生まれたのが、この1954年なのである。


それもあって、この1954年にスコットランドの片田舎で二人の少年がジョージ・アダムスキー氏の撮影した「金星のスカウトシップ」と全く同一の「金星からのUFO」に遭遇し明瞭な写真にその姿を残した事件に大変興味を惹かれるのである。



この二人の少年は、UFOとの遭遇直後に写真以外に目撃したUFOをスケッチにして残してある。




金星のスカウトシップの特徴を良くとらえたスケッチと、完全に同一形状であることが証明されている「写真」が撮られたこの事件の当事者であるダービシャー少年とマイヤー少年の二人は、現在どうしているのであろうか。
当時13歳のダービシャー少年は現在存命なら77歳の初老の紳士、マイヤー少年も70才を過ぎた初老紳士。

この事件を伝えたイギリスの「フライングソーサーレビュー」誌もまだ健在なので、訪ねる機会があれば是非行きたいものである。

そしてここ最近、私の身の回りで起こり続ける色々な出来事が、そのような日が来るのが意外に早いのではないかという事を思わせるのである。

2018年4月22日15時55分に携帯電話が鳴った。
慌てたような娘の声「UFO!UFO!今太陽の傍にUFOが飛んでる!家の方だからそっちでも見えるんじゃない?」

残念ながらその時は旅行中だったため、私はその光景を電話で聞くだけであった。「写真に撮れるかな?」
「撮ってみるね!」

数分後その写真が送信されてきた。




この時は、まだこの写真の本当の凄さには気づいていなかった。