日々の細道

手持ちの回数券が一枚また一枚、残り少なくなっていく老いの日々、どう生きていくか?

親鸞聖人越後上陸解説文

2007年06月30日 | Weblog
親鸞聖人が、流罪地越後上陸の情景を表現したブロンズ像の解説文
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新しき出発・ゴジラひやり・岡島10戦無失点

2007年06月30日 | Weblog
大谷本廟のブロンズ像~親鸞聖人越後ご上陸~新しき出発。

 6月最後の日は梅雨空。陽射しがないのに、気温31度と、真夏日、暑い。今日で、今年も半分過ぎ去った。この半年間、何を考え、何をしたのか、日誌やブログを読み返してみた。この半年間、生きてこれたのが一番の成果、報恩感謝。

 1~3月と3~6月と比べてみて、気力、体力の変化に驚く。閉じ籠もりから、完全に脱出とはいえないが、日々の生活のなかで、沈殿していた好奇心も浮上、今を、よりよく生きたいという意欲も湧き上がってきた。何かができそうだという自信が身に付いてきた。

●今月の初め、やる気を出して、スケジュールを立てた。

>まず、計画ありき。今月の目標は、内外の身辺整理。
>『第一週』・家の中は、二階押し入れ、下食堂、隠居部屋、仏間など、整理整頓。外は、中庭の除草と剪定。アザレア他、木々の剪定、植え替え。
>『第二週』・家の中は、居間、座敷、大廊下、二階寝室などの整理整頓。
外は、前庭の除草と剪定。
>『第三週』・家の中は、二階、クローゼット、娘の部屋、息子の部屋、納戸などの整理整頓。外は、裏庭の除草と剪定。
>『6時起床、11時就寝』
>『食事は、一日三食、規則正しく、朝8時、昼12時、夜6時』
>『庭仕事は、主として、朝食前と夕食前に。水遣り、散水は適宜』
>『パソコン、散歩は適宜』

 月初は、スケジュール通りにやろうと、頑張っていたが、すぐに、スケジュール達成が無理だということに気付く。達成可能なスケジュールに変更すべきだったが、そのままにして、やれるだけやってみることにした。

 庭仕事のうち、中庭の除草と剪定は、ほぼ完了した。スケジュールにない害虫除去、消毒をして、被害を最小限に食い止めた。だが、月初除草したのに、もう雑草が繁殖している。賽の河原と言うべきか。それでも、ここ数年やらなかった、アザレア、サツキの剪定、植え替えは、全部完了できた。サツキ、アザレアへの水遣り、施肥、消毒もかかさず実行。来年が楽しみ。

 前庭と裏庭の除草・剪定は全く手つかず。放置したまま。家の中の整理・整頓も、二階押し入れの中の、古雑誌の一部をちり紙交換に出しただけで、これも、殆ど手つかずの状態。折角購入した、スキャナーも、パソコン周りが整頓されていないので、段ボールに入ったまま、勿体ない。

 結局、6月は、スケジュール倒れに終わってしまったが、最低限の収穫は得た。積み残しは、焦らず、急がず、やれることから、やっていくことにする。

 7月7日、垣内弁天社の七夕祭り。今年は、我が家が幹事当番。柱立て、提灯吊り、お供え、神主さんを招いて修祓式、参拝者接待、七夕笹受け入れ、子どもたちへ、風船、鉛筆、おもちゃなど配布など、この日一日家内総出で、大忙しの一日になりそう。翌8日、立てた柱を撤去、お供えの品々を配布、賽銭集計、決算、これらを済ませて、幹事当番申し送りとなる。


◆松井秀、捕球で一瞬ヒヤリ ヤンキース連敗脱出

 遠征で、1勝7敗と大きく負け越して、ホームに戻った、ヤンキースは、投手戦を制し、2-1でアスレチックスを破り、連敗を4で止めた。

 ヤンキースは初回、ロドリゲスの先制タイムリー二塁打、ポサダにもタイムリー2点先取。投げては、先発ムシーナ投手が7回を被安打6、失点1に抑え、8回2死一、二塁のピンチを、守護神リベラ投手がを切り抜け、リードを守りきった。ムシーナ、4勝目(5敗)、リベラ、10セーブ目。

 「3番・左翼」で先発出場の松井秀は、3試合ぶり4打数ノーヒットだったが、先制のホームを踏み、1得点を記録した。

 6回無死一塁、左翼への浅い飛球に松井秀が滑り込み、ヒヤリとさせらた。昨年5月11日、左手首を骨折したのと、同じようなプレーだったが、昨年とは違い、二塁へ力強い送球で走者を刺した。大事に至らず安堵した。トーリ監督は、「ギクッとした。返球がチームを救ったな」。無安打でも好守の左翼手をたたえたという。


◆イチロー二塁打に2得点、好調マリナーズ6連勝、貯金10

 地元での対ブルージェイズ戦、マリナーズ「1番・中堅」で先発出場のイチローは、4回に二塁打を放ち、3打数1安打、1四球、2得点、打率3割6分4厘。「6番・捕手」で先発マスクの城島捕手は、3試合ぶり、3打数ノーヒット、1四球、打率3割3厘。マリナーズが5-3、ブルージェイズに勝ち、連勝を6に伸ばし、貯金10。

 マリナーズは初回に1失点したが、その裏、ブローサードの2点タイムリーで逆転。2回に2点、4回にも1点を追加、試合をリード。投げては、先発ワシュバーン投手が6回まで9安打を浴びながらも、2失点と粘投。8回途中から、守護神プッツ投手を投入、マリナーズが逃げ切った。 ワシュバーンは7勝目(6敗)、プッツは今季失敗なしの23セーブ目を記録。


◆岡島10戦連続で無失点、1回をピシャリ

 レッドソックスの岡島投手は、29日、地元ボストンでのレンジャーズ戦、レッドソックス2-1、1点リードの8回、3番手として救援登板、代打のディアスをショートゴロ、ここまで2安打のバードを三振、次打者ウィルカーソンをレフトフライと、1回を3者凡退で抑えた。6日のアスレチックス戦から続く無失点記録を10試合に伸ばした。防御率0・92。

 4回に1点先制のレッドソックスは、5回に同点とされたが、すぐその裏、相手ミスなどにつけ込んで、2死二、三塁の好機を迎え、で4番ラミレスの野選の間に三塁ランナーが勝ち越しの生還。

 レッドソックス先発のナックルボーラー、ウェークフィールド投手は、7回途中、被安打7を浴びたが、粘り強い投球で1失点に抑えて8勝目(8敗)。最終回を締めた守護神パペルボン投手が19セーブ目を手にした。試合は、レッドソックスが2-1で接戦を制し、連敗を3で止めた。レンジャーズの大塚晶則投手は、登板なし。

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腹立たしい「光市母子殺害事件」被告と弁護団

2007年06月29日 | Weblog
大谷本廟第2無量寿堂上、花壇に萩の花~遠くに京都タワー~

 梅雨の中休みがつづく。今日こそは、雨と思って、水遣りを控えていたが、逆に、青空が拡がり、雲間から、陽が射してきた。たまりかねて植木鉢に水遣りして、昨日剪定した、サツキ「紅梅鉢」の植え替えをする。先日植え替えしたサツキの小鉢に、鹿沼土を増土。夜になって、ようやく雨。雷鳴が轟く。家内はすっかり元気になった。

 「強行採決」とわめき散らし、口では、徹底審議を唱えながら、一向に、国会議員の職務を果たさずに、サボタージュを続けている、民主党など野党議員のニュースを聴く度に、腹が立ってくる。これでは、政権政党として、信頼できない。明日は我が身と言うことを考えれば、批判だけではなく、与党と、政策のすり合わせに、もっと努力すべきではないかなど・・・。

 それよりも、もっと腹の立つことがある。昨日、「山口県光市の母子殺害事件」差し戻し控訴審3日間の集中審理が終わり、遺族の会社員本村洋さん(31)が広島市内で記者会見、「聞くに堪えない3日間だった。死者に対する尊厳の気持ちもない」と憤りと無念な思いを語られた。

 3日間の審理で、元会社員や弁護側は、これまで認めていた殺意や犯行状況をことごとく覆した。元会社員は、26、27日の被告人質問で、弁護団の指図通りの筋書きを「丸覚えして朗読」し、「この法廷で話したことがすべてです」と供述、これまでの公判で、認めていた殺意や、犯行状況をことごとく否認した。「今までの7年を全く無駄にする発言は許し難い」と、本村さんは怒りをにじませているが、同感である。

 元会社員が、被害者の女性に、自殺した実母を重ね、甘えたかったとか、殺害後の強姦を「死者復活再生儀礼」、赤ちゃんを床に叩きつけたのはままごと遊びなどの、主張は、支離滅裂で、信じることは出来ない。

 この日、元会社員が退廷する際に、本村さんと、初めて目が合ったという。「鋭い目でにらみつけられた。今日ほど憤りを感じたことはない」と本村さんは、語気を強めた。元会社員の被告は、公判中とはいえ、この7年間、何を考え、生きてきたのか、唖然とする。贖罪意識はは全く感じられない。この点も、21人もの大弁護団の作為とみる。

 弁護団は会見で、「供述の変遷もあるが、不自然だとは思っていない」と反論、「(被告は)謝罪の気持ちを持っているし、そう話している。どう表現し、深めていけるかが課題」と言う。

 これらの弁護士は、被告人の人権を守るという名目で、依頼されてもいないのにしゃしゃり出て、勝手な論理で、社会の注目を集めたいという魂胆は、誰もがお見通しだ。被害者とその遺族の尊厳を傷つけながら、詭弁、飛躍の論理で、公判を攪乱する主張は、許すことがでない。

 いくら、言論の自由、法曹の自由とはいえ、こういう弁護士連中に、弁護士資格を与えることに疑問を感じる。ネット上でも、この弁護士らに対すlる懲戒請求を求める声が高まっているというが、当然。公判の成り行き次第では、所属弁護士会に懲戒請求したいと思う。

 7月24~26日にも集中審理が行われ、精神鑑定人の証人尋問、9月18~20日に情状面の被告人質問などが行われる。本村さんは今後の公判で意見陳述する意向という。本村さんの苦悩の日々はまだ続く。

 



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松坂10勝成らず・イチローが阻む・最後の剪定

2007年06月28日 | Weblog
大谷本廟・納骨永代経法要終り、総門前の参道、静寂。

 27日、シアトルでの「マリナーズ対レッドソックス」戦、松坂大輔投手登板、イチロー、城島との対決を期待、衛星中継で観戦した。

◆松坂10勝目ならず、イチロー適時打、3度目の対戦で10勝阻む

 レッドソックス先発の松坂大輔投手は、マリナーズ「1番・中堅」で出場のイチローとメジャー3度目の対決は、失点となる先制打を許したが、2三振を奪う好勝負。松坂は、8回失点1と、今季一番の力投だったが、味方打線が追加点を奪えないまま、1-1の同点でマウンドを降り、10勝目はお預けとなった。

 ボストンでの過去2試合、松坂とイチローの対決は、5打数ノーヒット、2四球という内容だった。この日、1回裏、三球三振。両チーム無得点で迎えた3回裏、松坂は、2死から9番・バークに、この日初ヒットを許したが、センターが後逸して、二塁打となり、続くイチローが、初球を、詰まりながらもセカンドの頭上を越え、センター前へ、ぼとりと落とし、先制適時打となった。

 松坂は、4回、5回、いずれも3者凡退に抑え好投。6回、一死走者なし、イチローとの3度目の対決は、変化球で見逃し三振に討ち取り、この後も三塁を踏ませなかった。松阪は、8回、113球を投げ、被安打3、与四球1、奪三振8、失点1と好投、防御率3,80。

 1-1同点の9回、松坂の後を受け、岡島投手が登板。先頭打者イチローにフルカウントからショートへの内野安打を許し、次打者の犠打とヒットで一死一、三塁のピンチを招き降板したが、3番手パペルボン投手が後続を断ち、岡島は、1/3を投げ、被安打2を許したが、9試合連続無失点、防御率は0,95。

 イチローは、松坂、岡島から安打2本を放ち、さらに、延長11回裏、一死走者なしの第5打席、レッドソックスの4番手ピネイロ投手から四球を選び出塁。次打者ロペスの左中間を破る当たりで一気にサヨナラのホームを踏んだ。4打数2安打、1打点、打率は3割6分4厘。城島捕手の出場はなかった。

 マリナーズは、延長11回、2-1のサヨナラ勝ち。同一カード3連勝。逆に、レッドソックスはシアトルで3連敗。勝てないレッドソックスにとって、「シアトル・セーフコ・フィールド球場」は、、ジンクス通り、ますます「鬼門の球場」となってしまった。マリナーズにとり、「鬼門のボストン」のジンクスはどうなるのやら。


 昨夜は、体が火照って、体温が下がらず、就床しても、なかなか眠れなかった。今朝は、すんなり起床したが、脳は、まだ、暑い最中と記憶しているようで、汗が流れ出た。

 試合が終わってから、植木鉢に水遣り。雨が降らなかったので、結構乾いていた。挿し木した若苗も元気、鹿沼土に張り付いている。お天気は、雨近しという感じで、鉛色の空が次第に色濃くなってきたが、夕方になっても、まだ、雨は降らない。

 水遣りしたあと、シャワーを浴び、二階ベッドでお昼寝。窓からそよ風が時折入ってきて、心地よく、今度はすぐに寝入った。目を覚まして、左右の腕を見たら、静脈が中に沈んで、皮膚の表面がしわくちゃだらけ。水分不足のせいかと、水を一杯飲んで、下に降りたら、腕が元通り、戻った。静脈が目を覚ましたよう。今度は、また、汗が噴き出した。

 以前、「汗を出なくする薬を下さい」と言ったら、「歳を取ったら、そのうち汗が出なくなりますよ」と薬局の人に笑われた。、死んだ母は、「汗をかくかくと言っても、あんたは、どこぞ悪いところがあるのではないか、医者にみてもらいなさい」と言っていた。家内も、最近は、母と同じことを言う。だが、医者に診て貰う気はさらさらない。汗をかきかき、まだ生きている。

 昼寝から起きて、サツキ「紅梅鉢」の剪定をした。花が沢山咲いているので、家内にジャックされたままだった。ようやく花が終わりに近づき、やっと解放してもらったので、居間で剪定した。思いっきりが良くなったので、剪定は早く済んだ。家内が千倍液を遣ったというので、植え替えは、明日以降にする。

 注文した、JUST「一太郎2007」が届いたので、早速、バージョンアップにとりかかった。これまでの辞書引き継ぎに、時間が少しかかったくらいで、簡単にバージョンアップできた。ATOK2007の善し悪しは、まだ分からないが、何となく、変換がスムースに行えるみたい。

 家内も、喉の腫れがだいぶ良くなったみたいで、元気を取り戻し、いつものように、家事をしている。昨日買った、京和菓子は、何せ、元禁裏御用達の老舗のネームバリューと家内の好みにマッチしたことで、喜んでくれたようだ。まだ、菓子箱を眺めて、口にしていない。

 私は、どんな高価な酒でも、頂き物はすぐに封を切って、腹の中に入れてしまうが、家内は、すぐに食べようとしない。賞味期限があるからといって、冷凍したりして、時間をかけて賞味する。その心理は到底理解できない。

 昔、アイスキャンデーを口にして、噛まずに、いつまでも、ペロペロ嘗めていた女の子がいた。早々に食べた私たちに、見せびらかせているようで、イライラしながら見ていた。嘗めているうち、アイスキャンデーが溶け、突然、固まりが地面に落ちた。泣きっ面に拍手喝采、溜飲をさげた。
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一人で食事・おみやげは冷菓と水羊羹

2007年06月27日 | Weblog
生ビールとさつま焼酎お湯割りで、江戸川定食、完食。

 大谷本廟から京都駅まで、タクシー。街中は、修学旅行シーズン終了とかで、タクシーは、スイスイと走ってくれた。

 いつものように、駅ビル内の江戸川に入り、「江戸川定食」を注文。生ビールとさつま焼酎のお湯割りを飲みながら、食事。いつも、家内か、息子たちと、一緒に飲食していた。一人では、侘びしく、味気ない思いがする。カウンターに、一人座り、ビール、酒を飲み、一品料理を摘む男性を眺め、旅行者なのか、仕事帰りのサラリーマンか、いずれにしても、男一人、酒を汲み、料理を摘む姿は、侘びしく、悲しく、見えた。

 料理は全部平らげた。一人でも料理は、美味しかった。久し振りに飲む、薩摩の芋焼酎のお湯割りは、風味があって、気に入った。デジカメで撮った写真には、まだ、しば漬けなどが残っているが、そのあと、みな食べ、完食。

 江戸川を出て、おみやげを探した。家内が倒れても、優しい言葉もかけてやらず、十分な介抱をしてやらなかったので、罪滅ぼしの思いで、家内の好きな和菓子を買うことにした。扁桃腺炎で、うまく飲み込めないというので、簡単に飲み込めそうな和菓子を物色、店員に「飲みこめるやろうな?」と念押しして、禁裏御用達の老舗「俵屋」の冷菓詰め合わせと水羊羹を買った。

 帰りの近鉄特急は、発車3分前、お急ぎ下さいと言われ、飛び乗った。あえて禁煙席にしたが、運良く、二階席で、展望がいつもと違う感じ。流れていく、車窓の景色は、眺めていて、飽きなかった。

 我が家に戻ったら、家内が、丁度、買い物から戻ったところだった。症状が改善し、声が出せるようになったと喜んでいた。家内の脳も、私の脳の反応をキャッチして、私より先に死なせてなるものかと、巻き返しにでたのかもしれない。しぶとさでは、私は、とうてい家内には、太刀打ちできない。家内を後家さんにしないよう、頑張らねば・・・。

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一人で大谷本廟・納骨永代経法要へ

2007年06月27日 | Weblog
大谷本廟は親鸞聖人のご廟所~名著堂の前には供花がいっぱい~

 薩摩・大隅など南九州では、大雨ときくが、奈良、京都では、今日も、梅雨の中休み。朝方、植木鉢の水遣りを済ませて、お昼過ぎ、息子に近鉄奈良駅まで送ってもらう。「大谷本廟納骨・永代経法要」が、25日から28日まで、毎日午前10時、午後2時の2回、行われている。家内の体調が良くないので、今日は、一人で、午後2時からの法要に出席することにした。

 近鉄奈良駅では、タッチの差で、京都行き特急に乗り遅れてしまったので、大和西大寺まで出て、橿原からの京都行き急行に乗り、京都駅からは、タクシーで、五条・大谷本廟に駆けつけた。近鉄車中で、数珠を忘れたのに、気付いたが、手遅れ、大谷本廟売店で、数珠を買って、法要会場の礼拝堂に行くと、丁度、法要が始まるところで、滑り込みセーフ。

 礼拝堂内の席は満杯で、礼拝堂と第一無量寿堂とを結ぶ、回廊に設営された、テント内のパイプ椅子に着席、傍のモニター画面を通しての法要参加となった。テント内へは、時折風が入ってくるが、回廊欄干のコンクリートの放射熱で、暑い。隣の椅子に移動して、扇子パタパタ扇いだ。

 法要は、法名奉呈後、導師による三奉請、表白、阿弥陀経読経、念仏、回向と続き、本願寺布教師・山下義円師の法話で終了。亡き人が念仏聞法に招いてくれる、この縁を大切にして、「世のなか、安穏なれ」と願い、生きる。法要終了後、参拝者全員が、礼拝堂と名著堂の二カ所に参拝、焼香して、解散となった。

 仏説阿弥陀経の由来について、詳しくは知らないが、頂いた法要の小冊子に、この経文全文が書き込まれていて、仏説阿弥陀経の表題下に、三蔵法師と鳩摩羅什師の名前が記載されている。三蔵法師が、原文を、遠くインドから中国に伝え、それを鳩摩羅什師が現在の経文に翻訳したという。それが、我が国にもたらされ、現在も変わらず唱えられている。浄土信仰は、飛鳥時代、すでに行われていたというが、この経文を飛鳥人が唱えていたはずで、悠久の歴史を感じる。

 焼香を済ませて、第二無量寿堂納骨所に立ち寄った。花も何も供えなかったが、父母と対面。対話を交わした。私を気遣い、達者で過ごすよう、声は聞こえないが、そのように伝わってくる。父の思い、母の思い、死して後、私が生きている限り、見守ってくれている。

 今日は、付き添いさんの家内なしで、一人で参拝できた。汗をかきかきではあったが、頭も体も、予想外に調子がよかった。歩行も、今までのような、違和感がなく、スムーズに歩いて、不思議に思えた。

 家内の体調不良が続くのを、私の脳が見て取り、バージョンアップにスィッチ・オンしたのではないだろうか。つまり、妻に先立たれた時、家内に依存しなくても、生活出来るように、思考、行動のバージョンアップが必要と判断したのではないかと思う。あり得ないことではない。本能的に、反応したのだろうか。

 法要が終わり、自販機で飲料水を買い、喫煙所で一服した。同じように一服していた、中年男性と、言葉を交わした。北陸の出身の父が、特攻隊生き残りだったが、すでに、北陸では戦死として葬儀を済ませており、任地の中国地方に住まうことになってしまった。北陸の親戚と中国地方の親戚が、この法要の機会に、両地の真ん中、京都で会うことなったいう。仕事が忙しくても、法要に参加したら、スッキリした気分になり、達成感があると、その人は言った。墓参したあと感じる、あの感じのこと。先祖供養の精神は不滅といえよう。

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扁桃腺炎で家内ダウン・シアトルはボストンの鬼門?

2007年06月26日 | Weblog
まほろばの里、王家の谷を目指して~天理市東南部~

 未明に夕立があったようだが、日中、今日も、梅雨の中休み。朝方、今にも降り出しそうな、雲行きだったが、一向に雨は降らず、夕方近くには、空が明るくなって、陽が射し込んだ。西の窓から、西風がそよそよと吹き込んで涼しい。

 植木鉢への水遣りは、軒下のサツキの鉢のみ。野外に出している鉢は、雨で湿っていた。植え替えして、日が経った。肥料を遣っても、もう良かろう。昨日の続きで、アザレア、サツキ、その他の鉢にも、ホームセンターで買った、固形肥料(遅効性)を置いて回った。次いで、虫除けに、スミチオンのスプレーを撒布。植え替え時期が良かったようで、どの鉢も順調に生育。葉の緑が一段と濃くなった感じがする。

 家内は、今日も元気がない。扁桃腺炎の症状が改善されないようで、喀痰するたび毎、喉が痛いという。服薬の副作用なのか、全身の虚脱感が抜けないようで、大半、ベッドで横になった。あまり寝ることのない家内だが、加齢と共に、免疫力低下は避けられない。ちょっとした油断が、大病に繋がるので、気を付けなければならない。

 天照大神が、天の岩戸にお隠れになって、世の中が真っ暗になったという、古事記の記述ほどではないにしても、我が家でも、暗い雰囲気に包まれる。夕食は、我が家の坊ちゃん連中が、買い物に走る。卵豆腐、刺身、缶詰(鯖味噌煮)キムチなどを所望した。家内の容態次第では、男性陣が主役に変身せねばと思う。


★城島8号2ラン イチローは20試合連続安打成らず

 25日、シアトル・セーフコ・フィールドで行われた「マリナーズ対レッドソックス」戦を、NHK大リーグ中継で見た。両チームとも、相手ホームグランドでの勝ち星が少ないという、ジンクス通り、今日の試合、レッドソックスにとって、シアトル・セーフコ・フィールドは、「鬼門の球場」だった。

 マリナーズ「6番・捕手」で先発出場の城島捕手は、7回に、ダメ押しとなる8号2ラン本塁打を放つなど活躍。3打数1安打、3打点、1四球、打率は3割8厘。「1番・中堅」で先発のイチローは、4打数ノーヒット、1四球で、今月4日から続いた、連続試合安打は19でストップ。打率は3割5分9厘に。

 マリナーズは、1-2で迎えた5回、レッドソックス先発のタバレス投手に対し、打者11人の猛攻で5点を奪って、2-6と逆転。7回にも城島の2ランなどで3点を追加、勝利を決定的にした。試合は、マリナーズが9-4でレッドソックスを下し、3連勝を飾った。

 マリナーズ先発のウィーバー投手は、5回2/3を投げ、被安打6、失点2(自責点は1)に抑え、2勝目(6敗)を手にした。レッドソックス・タバレス投手は、5敗目(5勝)。この試合、レッドソックス・岡島投手の登板はなかった。松坂投手は27日、このカード3連戦最終戦に先発登板の予定という。
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半世紀前の三人娘、「じゃんけん娘」は・・・

2007年06月25日 | Weblog
まぼろしの邪馬台国から西を眺める~天理市東南部~

 今日は、梅雨の中休み。曇った梅雨空から時折陽射しがのぞく。昨日の雨で、植木鉢は湿気が残っているので、水遣りは、夕方に変更。サツキ、アザレアの植え替えから、かなり日が経過したから、肥料を置き、薬剤を散布する。

 家内は。数日来、喉が痛んでいたが、診療所で貰った、消炎剤を飲んで、様子を見ていた。昨日、今日と、症状が一向に改善されないので、朝方、診療所で診察を受けた。扁桃腺炎だった。先生から、「扁桃腺が若い」と言われたというが、70才を過ぎているのに、扁桃が萎縮していないとは。私は、小学校に上がる前、耳鼻科で、アデノイドを切除してもらっているので、扁桃腺炎にはならない。

 先日、NHK・BS2の「衛生映画劇場」で、当時、人気抜群だった三人娘(美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ)が歌い踊る、ミュージカル風ラブ・コメディー、「ジャンケン娘 」(1955年)「ロマンス娘」(1956年)「大当り三色娘」(1957年)の3作品を視た。監督は「若大将」シリーズや「社長」シリーズなど、数々のヒットシリーズを手がけた杉江敏男。

 これらの映画を、以前、テレビで見ていたかもしれないが、見た記憶がない。今度初めて見たという印象が強い。今から半世紀前の映画だが、古さを感じさせない。登場する三人娘の生き生きとした、若々しい姿に見とれた。三人とも、堂々たる演技で、人気だけではない、実力を垣間見せた。他の出演者も若い。私も、家内も、当時、22歳と20歳。自分の姿を、出演者の姿に重ねて、当時を回顧した。

 映画終了後、現在、唯一人生き残る、雪村いずみさんが、出演、撮影当時の様子を、懐かしく語っていたのも、感慨深かった。いずみさんも、老いときれいなお付き合い。好感が持てた。

●「ジャンケン娘 」(1955年)

三人娘によるラブ・コメディーの第1作。美空ひばり18歳の作品。
東京の女子高生ルリ(ひばり)と由美(チエミ)が修学旅行で訪れた京都で舞妓の雛菊(いづみ)と知り合い、彼女が思いを寄せる名前しかわからないハンサムな青年捜しに協力する。
〔製作〕杉原貞雄、福島通人
〔監督〕杉江敏男
〔原作〕中野実
〔脚本〕八田尚之
〔撮影〕完倉泰一
〔音楽〕松井八郎
〔出演〕美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ、浪花千栄子、山田真二 ほか

●「ロマンス娘」(1956年)

「ジャンケン娘」に続いて、三人娘が主演する第2作。夏休みの自転車旅行の資金稼ぎに、デパートでアルバイトをすることになった三人娘は、会長宅に招かれ、そこで三人は、会長の孫探しで、金をせびる中年紳士の企みを、未然に防ぐ。当時大人気の三人娘が、本人出演のミュージカル・ショーを観劇するシーンが奇抜。

〔製作〕杉原貞雄
〔監督〕杉江敏男
〔原作・脚本〕井手俊郎
〔脚本〕長谷川公之
〔撮影〕宗倉泰一
〔音楽〕神津善行
〔出演〕美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ、宝田明、森繁久彌ほか

●「大当り三色娘」(1957年)

 三人娘主演、ミュージカル仕立ての青春ラブ・コメディー第3作。三人娘がお手伝いさんになる。日本舞踊や歌の勉強をしながら、お手伝いさんをしている仲良し三人組が、いづみに持ち上がった縁談をきっかけに騒動をまきおこす。

〔製作〕杉原貞雄
〔監督〕杉江敏男
〔原作〕中野実
〔脚本〕井手俊郎
〔撮影〕宗倉泰一
〔音楽〕神津善行
〔出演〕美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ、宝田明、山田真二ほか

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美空ひばり生誕70年と私たち

2007年06月24日 | Weblog
雨にも負けず、墳丘上へ~伊勢松阪宝塚古墳~


 今日は、朝から終日雨。梅雨らしい一日となった。今年の梅雨は、雨の日と梅雨の中休みの日とが、交互に訪れている。体の方が季節に適応しようとしても、揺さぶりをかけられているようで、体調維持がむつかしい。今日は、水遣りの必要もなく、庭仕事パス。

 今年は、昭和を代表する歌手・美空ひばりさんの生誕70年ということで、NHKは、昨日、今日の二日間、BS2で「BSまるごと大全集 生誕70年 昭和の歌姫・美空ひばり」特集している。ひばりさんが歌う、連続70曲の「夜の部」と、今日23日日曜の午後、アーカイブ映像を解説付きで紹介する「昼の部」に分け、全10時間半の生放送で、ひばりさんの在りし日を追想する特集である。

 「美空ひばり年表」(NHK)を見ていて、ひばりさんは、私より4才、家内より2才年下、戦前の誕生、はぼ同世代ということに気付いた。

・1937年(昭和12年)5月29日 横浜市磯子区滝頭で生まれた。

・1944年(昭和19年)4月 滝頭国民学校に入学。

*小学校ではなく、国民学校に入学。この頃、私は、国民学校5年生。この年の9月、父が戦死。

・1945年(昭和20年)12月 小学2年生の時芸名・美空和枝として、父が主催する「美空楽団」で、初舞台。

*この年8月6日、広島原爆投下、8月9日長崎原爆投下、8月15日敗戦(終戦)。中学入学を目前にして、世の中、コペルニクス的大転換に惑う。授業内容も大混乱。軍国主義に関わるものはすべて禁止。旧軍解体で、町や村に復員兵や復員学徒が戻り、活気が溢れたが、戦争の悲惨さ、不条理をいやというほど見聞きした。学校の授業で、「自由主義」「民主主義」を教わるも、教える教師の方も、消化不良、聞き流す。「英会話」が流行。上達はパングリッシュ(進駐した米・英・豪州兵の相手をしていた婦人の英会話)とも。

・1947年(昭和22年)4月 横浜・桜木町での「市民のど自慢大会」で、審査員の古賀政男から評価を得た。

・同年10月 日劇小劇場「新風ショウ」出演。「美空ひばり」を芸名に。

*この頃、私は、旧制中学2年生。駅前の闇市(マーケット)で、紙に液体で占い事を書き、炙ると、占いの答えが出てくるという商品を売っていて、取り巻いていた群衆の誰かが、「美空ひばりは・・・」を占えといっていたのを記憶している。ひばりさんの知名度は、この頃すでに全国的に拡がっていた。それにしても、当時、12才のひばりさんのことを・・・、下劣な質問、下品な回答を書くわけにはいかない。

・1949年(昭和24年)3月 映画「のど自慢狂時代」で映画初出演。
・同年8月 映画「踊る竜宮城」に出演。同主題歌「河童ブギ」を初レコーディング。
・同年9月 映画「悲しき口笛」で初主演。同主題歌「悲しき口笛」リリース。

*この年4月、新制高校入学1年生。旧制中学2年生の頃、新制高校併設中学となった。以後新入学なく、下級生なし。高校1年生まで、下級生なしが続いた。新制高校は、居住地区制の再編成で、県立、市立の中学校生、女学校生、商業学校生、新制中学生などを混入、普通科、商業科、家庭科の編成で開校した。

*指定日に登校、建物の入り口の、只今試験実施中の張り紙を見て、驚き、慌てた。入試のことは、全く聞かされていなかった。事務室に抗議したら、「君たちは、旧制中学入試をすませているから、新制高校へは無試験入学となっている」と云われた。但し、試験がなくても、登校しなければならないという。試験の3日間、登校して、グランドでソフトボールをして遊んでいた。

*受験生が頭を絞って、入試問題と格闘しているのに、遊び呆けた罰か、芋畑をならした程度の荒れたグランドで、暴投の球をジャンプ一番、捕球したが、着地で、足を滑らせ、左手首を骨折してしまった。すぐに、近くの病院へ運ばれ、治療を受け、ギブス装着。入学早々無様な顛末。

*この頃、私は、ひばりさん初主演の映画「悲しき口笛」を、市内の映画館で見ている。主題歌「悲しき口笛」を歌う、シルクハット姿のひばりさんを想い出す。その歌声も頭に浮かび、口ずさむ。

・1950年(昭和25年)4月 精華学園中等部入学。このころ、マスコミバッシングにあう。
・同年5月 ハワイ、アメリカ西海岸公演。7月、帰国。
・同年8月 映画「東京キッド」主演。同主題歌「東京キッド」リリース。
・同年12月 「越後獅子の唄」リリース。

*私は高校2年生。学区外に転宅したが、転校せずに通学。部活の映画研究部の部長にされて、全校生徒の映画鑑賞会を何度か開催した。殆ど洋画だった。ひばりさんの映画「東京キッド」は見に行った。この頃のひばりさんに対するマスコミバッシングのことは、よくわからない。当時、承知していなかったように思う。

・1951年(昭和26年)2月 「私は街の子」リリース。
・同年6月 「角兵衛獅子の歌」リリース。
・同年10月 「あの丘越えて」をリリース。「私は街の子」「あの丘越えて」がヒット。映画「鞍馬天狗・角兵衛獅子」「ひばりの子守唄」など8本出演。

*私は、高校3年生。卒業後の進路について、何も考えずに、相変わらず、映画館通いをしていた。欧米の映画ばかり見ていたが、ひばりさんの映画だけは、良く見た。ひばりさんの歌は、おそらくラジオで聞いていたと思う。

*ひばりさんの後を追いながら、たどってきた私の回顧も、今日は、これまで。次回また。




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戦争を知らない子供たち・松坂9勝・井川5回降板

2007年06月23日 | Weblog
まほろばの里・天理市東南部~まぼろしの邪馬台国~


 雨が上がって、また、梅雨の中休み。青空が拡がり、風爽やか。昨日の雨で、植木鉢は、あまり乾いていない。サツキの挿し木や小鉢だけに、水遣りする。植え替え予定のオンシジュウムから、花芽が伸びていた。根が鉢から飛び出しているが、いじらないで、このまま、様子をみることにした。


 今日は、沖縄戦終結62年「慰霊の日」。凄惨な沖縄戦から、かなりの年月が経過したが、沖縄の人にとっては、忘れがたい悲惨な過去、風化させてはならない。


 昨夜の「報道ステーション」の番組で、団塊の世代に贈る!第7弾~「戦争を知らない子供たち」編を特集していた。

 「団塊の世代がどのような時代を生きてきたのか検証するシリーズ第7弾。“戦争が終わってぼくらは生まれた”の歌詞で、団塊世代を象徴するヒット曲となった「戦争を知らない子供たち」。1970年の大阪万博で初めて歌われたフォークの名曲は、どのようにして誕生したのか?元ジローズ・杉田二郎氏の証言と、作詞をした北山修氏のメッセージを核に、時代にほんろうされたこの曲の数奇な運命を明らかにする」。(テレビ朝日)というが、反戦歌という捉え方だった。


 「戦争を知らない子供たち」 (楽曲)について、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』は、次のように解説している。

 「1970年当時、世はベトナム戦争の真っ最中であり、憲法の制約のある日本政府もアメリカ合衆国の戦争遂行に基地の提供といった形で協力していた。日本国内でも一部の文化人や学生を中心に反戦平和運動は盛り上がりを見せていた。そのような中で発表されたこの曲は日本における代表的な反戦歌となった」。

 さらに、「この曲に対する北山修の意見の変化」の項目で、

 「当初、北山修は、親しみやすく新しい反戦歌としてこの曲を作詞し、LP「戦争を知らない子供たち ~万国博ホールにおけるコンサート実況盤~」にも、彼の心からの反戦メッセージが収録されている」。

 「だが、1980年頃より自ら下らない幼稚な歌詞だと発言したり、自分たちが大人になっていく過程で大人たちに言われた『<俺たちは戦争で苦労したんだ。いま、お前たちが好き勝手なことができるのは俺たちが苦労したおかげなんだ。> <いまの若い奴等は軟弱だ。俺たちは軍隊で鍛えられているからお前たちとは違うんだ>などという言葉に反抗したくて作ったんだと思う』という話を度々語るようになった。」

 「よってこの歌は、当初は北山が新しい反戦歌として製作したものの、他人からの厳しい意見や、自らの価値観の変化によって、現在は、北山にとって、古い世代に属する大人たちの価値観に対する皮肉を含んだ反抗の歌ということとなってる。」とWikipediaは、結んでいる。

 20年くらい前、京都嵐山で、会社の祝賀会があった。余興の歌として、新入社員が希望したので、この「戦争を知らない子供たち」の合唱を許可した。活きの良い「戦争を知らない子供たち」が、くたびれた「戦争を知っている(体験している)大人たち(とくに、役員、幹部社員)」を目の前に、元気に歌ってくれた。

 初めて聞く、この歌を、役員、幹部社員たちは、口をあんぐり、呆然とした姿で、眺めた。反戦歌と言うより、むしろ、若者に理解がない、戦前派への抵抗という感じで、多少の共感と驚きで、聞き惚れていたのを思い出す。


★松坂、300勝投手マダックスに投げ勝ち9勝目 岡島も1回ピシャリ

 22日、ペトコ・パークでの行われたインターリーグ「パドレス対レッドソックス」戦を衛星中継で視た。

 レッドソックス先発登板の、松坂投手は、通算339勝のマダックス投手と、緊迫した投手戦を展開、6回まで被安打5、与四球5、奪三振9、失点1と粘投、同じ6回を被安打7、失点2のマダックス投手に投げ勝った。レッドソックスは、松坂の後、ロペス、デルカーメンとつなぎ、8回、岡島、9回、パペルボン投手がを完ぺきに抑え、レッドソックスが2-1で勝ち、松坂は9勝目(5敗)を手にした。

 松坂は、ストレートは球威があったが、決め球変化球の制球が悪く、立ち上がり、3者連続四球を与え、無死満塁のピンチを招いた。一死後、5番バレットにレフト前タイムリーを打たれ、早々と先制点を許したが、後続を抑え、この回を最少失点でしのいだ。2回以降は波に乗り、5回に2死一、二塁、6回には2死一、三塁のピンチを迎えたが、得点を許さなかった。打者としては、二打席凡退した。

 岡島は、1点リードの8回、4番手として登板。6番から始まるったパドレスの攻撃を、空振り三振、セカンドライナー、空振り三振の3者凡退に抑え、7試合連続無失点。防御率は0・98と0点台になった。

 レッドソックスは1点を追う4回、ヨーキリスとバリテックが、連続タイムリーを放ち、逆転。その後は、松坂ら5投手の好リリーフで1点を守りきった。最終回に登板した守護神パペルボン投手は、17セーブ目。一方、打線の援護なく、松坂との投げ合いに敗れたマダックスは、4敗目(6勝)。


★「対ジャイアンツ戦」井川、勝ち目前で降板 復帰飾れず
 松井秀が先制犠打、ボンズ749号ホームラン

 メジャー復帰後初先発のヤンキース井川は、4回、主砲ボンズを3球三振に討ち取るなど、4回まで無失点と好投したが、5-0とリードで迎えた、5回、長短打2本で1点を失うと、二死後、再び二塁打を浴び、満塁のピンチを迎え、ボンズに押し出し四球を与え、あと一人討ち取れば、勝利投手の権利というところで、無念の交代となった。井川は、4回2/3を投げ、被安打5、与四球3、失点2。

 松井秀は二回、右犠飛で1打点を挙げたが、3打数無安打。ヤンキースは、打線が爆発13安打、7-3で勝ち、連敗を3で止めた。この試合、6-2で迎えた8回、ジャイアンツのボンズが、ヤンキース4番手プロクター投手から、右中間スタンドへ通算749本目のホームランを放ち、歴代最多記録まであと6本に迫った。
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雨がふるふる・桑田巧投・ゴジラ8号ヤ軍3連敗

2007年06月22日 | Weblog
雨がふるふる前方後方墳の墳丘~伊勢松坂・宝塚古墳~ 


 今年の梅雨はどうなってるのと書いたら、今日は朝から終日雨となった。やはり梅雨なのか。今朝、しとしと降る雨のリズムが心地よかったのか、寝坊してしまった。

 学校へ行っていた頃、朝方、雨がしとしと降っていると、親子共々、寝過ごしてしまうことがあった。どうして起こしてくれなかったのかと、母親を責めて、学校へは行かなかった。みんなが揃って授業をうけている教室へ駆け込むのは、折角の緊張感ある雰囲気を壊すようで、居たたまれない。ズル休みでも、教室での屈辱感よりは、マシに思えた。要するに、遅刻するのが嫌だった。

 職場で働くようになってからは、ズル休みはもちろんのこと、遅刻をしないようにこころがけた。たまに、ひどい車渋滞で遅刻することがあると、遅れたという屈辱感は子どもの頃と同じでも、年の功、図々しさで、なんとか凌いで、ズル休みはしなかった。二日酔いでも、口からビールの霧を吐きながらでも、仕事はやり遂げた。

 うちの家内は、出席順が、後ろの方のY(や)だったから、出席を取っている頃に登校しても、滑り込みセーフになることが多かったという。遅刻常習犯とまでいかないが、遅刻することには、何の抵抗も、屈辱感もなさそうだ。今も、集会などの、集合時間には、無頓着で、遅れても、何食わぬ顔で登場している。端の我々がやきもきするほどだ。昔から、”ヤマト時間”いう伝統が脈々と続いている土地柄でもあろうが・・・。

 我が家の子どもの殆どが、学校に遅刻するのを嫌がっていたと思うが、ただ一人例外が存在した。しかも、遅刻の常習犯だったらしい。家内と同じように、出席を取っている時すれすれに、教室に入るのだが、残念ながら、出席順が最初の方のI(い)だったから、滑り込みタッチアウトが多かったと聞く。おまけに、かばんにつけた鈴を、ちんちろりんと鳴らしながら入室するのだから、遅刻バレバレも当然のことであった。

 その常習犯も、時間に厳しい企業に就職して、今や、時間に追いまくられ、遅刻もズル休みもできない。時間をきちんと守る生活を続けている。時間を遵守するということは、頭のいい人、そうでない人、誰でも努力すれば可能なことだ。他人に迷惑をかけない、自分を律する第一歩なのだから、人間最低限のモラルとして、努力してほしい。

 東京の娘からメールが届いた。孫娘二人、それぞれが、お礼を云う動画が添付してあった。二人の元気な姿を見て、元気な声を聞いて、すっかり嬉しくなった。孫娘の父方祖父母はすでに亡くなり、祖父母は私たちだけとなった。打ち出の小槌が半分になったようで可愛そうに思う。彼女らが成人するまで、達者で居らねばと、いまさらながら、決意を新たにする。それにしても、携帯は便利だ。遠く離れていても、撮影、すぐに送信、画像・音声ともに届くのだから。


★桑田、初対決イチローを三振に マリナーズ完封2連勝

 NHKの大リーグ中継、21日、セーフコ・フィールドでの「マリナーズ対パイレーツ」戦を視た。パイレーツの桑田投手と、マリナーズのイチロー初対決がついに実現した。

 0-3で迎えた6回、2番手として登板の桑田は、この回ベルトレからメジャー初三振を奪い、1安打は許したが、この回無失点。続く7回、先頭打者イチローをカウント2-1と追い込み、外角低めの変化球で、三振に切って取ると、続く、ロペスから3者連続となる三振を奪い、イバネスもピッチャーゴロに打ち取り、2回を被安打1、奪三振4、無失点に抑えた。危なげないナイスピッチングだった。

 「1番・中堅」で先発出場のイチローは、第4打席で、桑田に三振を喫したが、レフトへの二塁打、レフトへの先制のタイムリーなど、4打数2安打、打点1、打率3割5分8厘とし、連続試合安打を16に伸ばした。

 「5番・捕手」先発出場の城島は、4打数1安打。打率3割1分5厘。桑田との対戦は実現しなかった。

 マリナーズは、5回、イチローの適時打などで3点を先制、投げてはエースのヘルナンデス投手が小気味のよい投球で、8回まで、被安打6、奪三振9、無失点と力投。最後は守護神プッツ投手が無失点で締めくくった。

 試合は、マリナーズが3-0と、2日連続の完封勝利。パイレーツとの3連戦を2勝1敗と勝ち越した。ヘルナンデスは、約1カ月ぶりの白星で4勝目(4敗)。プッツに20セーブ目がついた。バンベンショーテンが2敗目、桑田には勝敗はつかなかった。


★本塁打は松井秀の1本だけ ヤンキース3連敗

 21日、敵地でのインターリーグ、「ロッキーズ対ヤンキース」戦、ヤンキース「6番・左翼」で先発出場の松井秀は、2回一死一塁の第1打席、カウント0-2からロッキーズ先発ロペス投手の3球目を、センターオーバーの8号先制2ラン。しかし、その後は凡退、この日は4打数1安打、打点2、打率2割9分。

 ロッキーズ「2番・二塁」で先発の松井稼頭央は、同点の5回にヤンキースの先発クレメンス投手からセンター前ヒット、すかさず二塁への盗塁(今季13個目)を決め、3番ホリデー左翼手のセンター前タイムリーで生還、3点目のホームを踏んだ。3打数1安打、盗塁1、得点1で、打率3割1分6厘。

 ヤンキースは、2回、松井の2ランで先制したが、その直後、先発のクレメンスが本塁打2本を浴びて同点。さらに5回、クレメンスが2点の勝ち越しを許し、打線も7回、代打カブレラの犠飛で1点差に詰め寄ったが、試合はここまで。ロッキーズが4-3で勝った。

 ロペスは4勝、フエンテスは20セーブ目。クレメンスは、4回1/3を投げ、被安打7、失点4で2敗目(1勝)。ヤンキースは、この3連戦、すべて逆転負け3連敗。勝率35勝35敗、5割に逆戻りと失速。








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梅雨は?元気な声「行って来ます」

2007年06月21日 | Weblog
東京の孫娘R子は小学2年生~幼子4年前の写真~

 今日21日午前、気象庁は、北陸、東北南部・北部で梅雨入り、沖縄は梅雨明けしたと発表した。関東地方では、梅雨とは思えない天気が続いていて、14日の「梅雨入り宣言」以来、雨が降ったのは宣言当日だけという。気象庁には、苦情の電話が相次いで寄せられていて、気象庁は、「結果的に見れば、予報が外れたと言わざるを得ない」と判断ミスを認めている。修正は・・・。

 奈良も、今日は、カンカン照り。午後、夕立の気配はあるが、まだ、雨は降っていない。植木鉢も、今日は、よく乾いていたので、丹念に水遣りした。水遣りで、少し外にいただけで、全身汗みどろ。シャワーで汗を流した。西からの風が、涼しく、爽やかで、心地よい。だが、二階に上がって、パソコンに向かうと、頭のてっぺんから、汗がしたたる。西の窓を閉めたままで、傍に、電熱器(PC)があるからか。

 昨日朝、東京の上の娘が、Eメールしていたのに、気が付かず、就寝前に読んだ。父の日プレゼントのお礼メールの返信だった。こちらが送信した頃、中国、韓国、大阪の仕事中だったから、仕事を終え、帰宅してから、メールしたらしい。娘のメールに、添付ファイルがあったので、Quick Timeで開いてみた。

 朝、孫娘二人が、「行ってきます」と云って、出かけるシーンの動画だった。二年生の下の孫R子が、先に玄関を出たので、娘が、「先に、一人で行くの」と声をかける。六年生の上の孫娘M子が、玄関で、しばらく一呼吸。だが、結局、二人揃って、家の角を曲がって走り去っていった。二人の元気な姿を視て、心が和む。

 下の孫娘R子は、2000年1月1日に生まれた。2002年4月、近くの保育園に入園が決まり、家内と二人、娘の桜見物がてら・・・の言葉に釣られて、上京、二週間ほど、二人の孫娘を送迎した。R子は、最初の数日、ベビーカーに乗り、保育園に行き帰りしたが、すぐに、私が抱っこする羽目に。

 R子は、朝食を手早く済ませ、出かける支度も早かった。M子のほうは、すねるわけではないが、何となく、ぐずぐずしていた。保育園へ行く途中でも、一緒に歩かず、遅れ加減だった。R子が、ベビーカーから、振り返って、早く行こうという意味なのか、「まー」と呼んでいた。

 あれから、6年経ったが、動画を視ていて、ふと、その頃とよく似た情景に見えた。同じ姉妹でも、遺伝子が異なるのか?家内ー娘ーM子。?ー?ーR子。

 今朝、上の娘から、ケーキ・お餅の宅急便到着の電話があった。下の娘にも、同じものを送ったが、留守中に届いているので、まだ、電話はない。









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思い出いっぱい「死語の世界」

2007年06月20日 | Weblog
何を語るか~庭のあじさい~

 今朝、情報誌「読売ファミリー№990 2007年6月20日号)を読んでいて、面白い記事をみつけた。昔よく使われていた言葉だが、時代の流れの中で、いつのまにか使われなくなり、なり、消えていった言葉「死語」を、読者から募集し、寄せられた「死語」の数々を紹介している。

★「なんで消えたの? 「死語」の世界 思い出いっぱい」
 「少し前まであったのに、社会や時代の波に飲まれたのか、いつのまにか消えてしまった言葉を読者に広く募集したところ、たくさんの死語が寄せられました。皆さん、それぞれの言葉に当時の懐かしい思い出がいっぱい込められているようです。(大桑雅子)」

★<よみファクラブ員から寄せられた>「死語ランキング」
①「ナウい」②「チョッキ」③「シミーズ」④「冷コー」⑤「ズック」⑤「乳母車」⑦「チョベリグ、チョベリバ」⑦「ちり紙、はな紙」⑨「とっくり」⑨「てぬぐい」⑨「つっかけ」⑨「水屋」⑨「えもんかけ」⑨「おニュー」⑮「まえかけ」⑮「メリケン粉」⑮「ズボン」⑮「月賦」⑮「よそいき」⑮「かわや、はばかり」

●「ナウい」(八尾市・女性・39才)
 中2の子どもが英語の宿題をしていて、now(いま)の意味がわからない。傍で見ていたお父さんが一言、「ほら、”ナウい”ってよく言うやろ?」。「お父さん、”ナウい”って何?」。「”ナウい”はすっかり”古い”です。当時はまさに今風のおしゃれな言葉だったのですが・・・」

◎「チョッキ・シミーズをはじめ、圧倒的にファッション関係の言葉が多いのも注目です。ファッションは流行や時代によって呼び名も変わりますからね」。

●「シミチョロ」(大阪市・女性・60才)
 「中学、高校のころ、スカートの下からシミーズ(下着)がチョロッと見えないか気にかけていましたね」。

*「シミチョロ」は、女性間では、だらしない、はしたないの代表格だったが、男性間では、意見の分かれるところ、色気を感じる御仁も・・・。夏には、おばあちゃん、おばちゃん、中年以上の女性は、シミチョロどころか、シミーズ一枚の姿で、夕涼みしていたよ。

●「とつくり」(阪南市・女性・45才)
 「最近の人気ドラマの主人公が着ていました」。ハイネックと呼ぶのが今風なんでしょうが、タートルネックという言葉もあまり耳にしなくなったような・・・」。

●「パンツ」(京田辺市・女性・58才)
 「私が子どものころ、パンツは確実に下着のことでしたが、今ではショーツと呼ぶそうです。昨今、ズボンがパンツと称されていますが、いまだにパンツという言葉を耳にすると下着を思い浮かべてしまい、ほおを赤らめてしまいます」。

*男性はパンツが越中ふんどし。女性はズロースをはいていた。「パンツ」という言葉を聞いたら、男性の下着がを思い浮かぶ。

●「乳ばんど」(尼崎市・女性・60才)
 「高校生の時に初めてブラジャーを買ったら、母が、”乳ばんど”と言って夢を踏みにじられた気持ちがしました」。

*「乳ばんど」(ブラジャー)は、戦後しばらくして普及。戦前のズロースに次いで、日本女性が西洋下着の着用第2号?

●「よそいきの服}(伊丹市・女性・51才)
 「子どものころは外出着は本当に出かける時だけのもので、帰ってくるとすぐに、『よごしたらあかんから脱ぎなさい』と言われたものです。社会人になった娘に『よそいきは大切にしなさい』と言って『意味がわからへん』とわらわれました」。

*「よそいきの服」には、悩まされた。汚してはいけないので、窮屈な思いをした。それでも、食べ物や飲み物などこぼし、服を汚して、良く叱られた。

●「月賦」(高槻市・女性・69才)
 「月賦で買った洋服のことを話していたら、横から孫が『ゲップって?』と不思議そうに聞きました。ローンのことですが、今は死語ですかねえ」。

*洋服、ミシン、電化製品、自転車、自動車など、高度成長経済下、一億の民が、「月賦」のお世話になりました。今は、カードや消費者金融。資産より、負債が多い若者を創出。

●「半どん」(岸和田市・女性・38才)
 「完全週休2日制に伴いなくなりました。小学生のころは、わけもなく土曜日はうれしかったです」。

*「半どん」の土曜日午後は、ルンルン気分で、百貨店や書店を覗き、ビヤホールなどで、祝杯をあげた。デートタイムに活用する御仁も・・・。

●「貞淑」(東大阪市・女性・69才)
 「私の名前を説明するとき、”貞淑の貞”です、というと分かってもらえたのですが、今では、通じません。そこで、”王貞治さんの貞”というのですが、もはや、”王監督”なのです。仕方なく”怖い話の貞子”と言ってやっと通じます」と、「モラル低下で日本から貞淑が消えたと嘆いています」。

*名前の説明は、相手の世代によって、理解が異なるので、苦労します。日本から「貞淑」が消えて、何処へいったのでしょうか?「貞潔」「純潔」というのも、一緒に何処かへいってしまった。

●「ドロン」(宇治市・女性・37才)
 飲み会で、「すみません、お先にドロンします」と帰って行った彼。昭和のサラリーマンにおいがしました。

*いろんなところで、「ドロン」を決め込みました。言って「ドロン」するのではなく、いつのまにか消えているのが、正当派「ドロン」。「カネを借りてドロン」というのもありますが、これは、まだ未経験です。

●「ハンサム」(大阪市・女性・44才)
 社交辞令で「ご主人ハンサムね」と言うと、逆に「イケメンと呼んで下さい」と返され、褒めなきゃよかったと思いました」。

*「ハンサム」や「イケメン」の同義語、反対語も、まかり間違うと、セクハラということに、なるやもしれず。君子危うきに近寄らず。

●「回す」(高槻市・女性・44才)
 テレビチャンネルを「回す」と言ってしまいます」。

*「カチャカチャっと」ロータリー式チャンネルを回したころが懐かしい。テレビの前に、家族みんなが揃い、一緒に、同じ番組を視ていた。チャンネル管理人もいたが、アニメタイム、音楽タイム野球タイム、映画タイム、時代劇タイム、番組の棲み分けが出来、誰かが我慢して、秩序があった。

●「ドンパチ」(宇治市・女性・35才)
 映画を見ていて銃撃戦の時に「ドンパチやってんなぁ」と言うと家族に笑われました。もう使わない言葉ですか?」

*「ドンパチ」は今も健在で、死語ではないと思うけど、如何?「暴力団」も検挙を恐れて、従来のように、公然と「ドンパチ」しなくなったというが・・・。

◎まとめは、(堺市・女性・59才)
「自分にとっては死語ではなく、思い出の中で生き続ける”活語”だ。と話し、「花のOL時代は「歌声喫茶」や「ゴーゴー喫茶」で、「レスカ」(レモンスカッシュ)や「クリソ」(クリームソーダ)を注文し、「イカす(素敵な)男性に「モーションをかけ」(気をひく)ていましたが、今は「おセンチ(感傷的)な「オバタリアン」です」と、まとめた。

*紹介された「死語」の数々、世代間の相違も興味があった。よみファクラブ員は、中年女性が多いようで、男性の意見も知りたかった。「死語」といえども、言葉の背後には、時代背景が伺われ、各人の生き様が透けて見える。

 「死語」を「広辞苑」で引くと、「古く使用され、現在は全く使用されなくなった言語または語彙」とあるが、思い出の中には生き続けている。現在、社会一般で使用されなくなったのが「死語」だが、全く使用されないわけではなかろう。個人として、各世代毎、各人毎に、「死語」となっても、脳内には温存され、生きている限り、使用する機会は残されているが、「死後の世界」に入った時、脳内の「死語」が、完全に、「死語」となる。

 今日は、梅雨の中休みで、午前中は晴れ間が拡がったが、蒸し暑い。水遣りしだけで、汗が噴き出す。午後、シャワーを浴びると、涼しい南風が入ってきた。南の方で夕立が降ったようだ。



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娘へのお祝い返し、家内の手作りケーキ

2007年06月19日 | Weblog
お店のケーキとひと味違う~家内の手作りケーキ~コストも違うよ


 今日も、梅雨の曇り空。蒸し暑い。水遣りも、サツキの小鉢や挿し木とアザレアだけ、手持ち無沙汰。デンドロビュームの植え替えが必要だが、今日は、サボることにした。

 一昨晩、昨晩と、父の日プレゼントの「風の谷のビール」と新潟精酒「苗場山」を、息子らと頂いた。「風の谷のビール」4銘柄は、いずれも、新鮮で、芳香、コクがあって、とてもうまかった。芳醇な液体が、のどの奥を、柔らかく通り過ぎる感じだ。私の好みは、「黒ビール(チェコ)とエール(イギリス)。重厚と軽快、対照的な味わいが好きになった。

 いつも発泡酒を愛飲している息子は、ビール本来の味わいを喜んでいた。黒ビールのアルコール度は、5.5%だが、特に、濃厚に感じたようだ。ビールのうまさは、鮮度が第一。熱処理せずに、酵母菌が生きている、地ビールを、新鮮なうちに、飲むのだから、美味いのが当然かもしれない。「風の谷のビール」は、飲めども、飽きない、バラエティーに富んだ、良いビールだった。娘よ、ありがとう。

 瀧澤酒造の本醸造・新潟精酒「苗場山」は、香りもよく、味わい軽やかで、美味かった。ただ、私の世代は、杯がねばねばになるような、昔の男酒が恋しい。最近の日本酒は、インターナショナルなワインを意識してか、また、ギャルをターゲットに考えているのか、フルーティーな柑橘系の香りが主流とみえ、サラリとしたものが多い。地酒でも、原料、仕込みから、製法までが、画一的になっているように思えてならない。とは言いながらも、送ってくれた娘には、勿論感謝いたしております。娘よ、ありがとう。

 家内は、娘らが、母の日・誕生日、父の日に、胡蝶蘭や酒、ビールなどを、送らねばならず、物入りで、大変だったと、案じた。私は、咄嗟に、「親が病気になって、看病することを思へば、安いものだ。」と言ってしまった。

 家内と結婚40余年、「朱に交われば赤くなる」の喩え通り、私が、家内に感化され、家内が、私に感化されたようだ。私は、家内が以前、言っていたのを言ったまでで、家内のは、以前、私が案じていたそのもの。似たもの夫婦だ。

 今日、家内は、お祝い返しのケーキを焼き上げた。明日、白餅、よもぎ餅を搗いて、手製の蕗とキノコ、山椒入りの佃煮と一緒に、東京の二人の娘に送るという。母の愛の方が、父の愛よりも勝ったみたい。






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十薬(ドクダミ)とジャガイモ・岡島3連投活躍

2007年06月18日 | Weblog
十薬(ドクダミ)の花~通り過ぎてやるのが可愛そう~


 朝方、雨は上がったが、終日、曇りの梅雨空。夕方、開け放した、二階の窓から入る外気が、まるでクーラーの冷気のよう、Tシャツ一枚でいたが、長袖シャツを羽織る。植木鉢の土は、ほとんど乾いていない。今日の水遣りはパス。

 中庭に、十薬が、まだ、残っていた。白い、小さい花を咲かせている。肉眼で見たら、さほど、きれいだとは、思わないが、デジカメで撮影してみると、実物よりも、美しい。カメラのレンズを通しての画像美だ。

 十薬は、一般にはドクダミといい、その生薬名は菜(じゆうさい)という。健康ブームの昨今、コンビニのお茶にも入っている。母が、広島で一人暮らししていた頃、夏場、腎臓の機能が低下してか、両脚が良く浮腫んでいた。足の裏に、浮腫み取りの湿布薬を貼り、麦茶とドクダミの同量を煮出して、お茶代わりに飲ませた。利尿効果か、脚の浮腫が取れたこともあった。

 広島の原爆被災の人で、体にガラス片が入っていたが、ドクダミを煎じて飲み続けたら、ガラス片が、皮膚表面に浮き上がって来たという話を、小学生の頃、聞いたことがあった。服用以外、患部に貼ったのかもしれない。化膿した患部に、吸い出し膏薬のように、ドクダミを貼ってもらった記憶も・・・。

お恥ずかしい話だが、高校一年の冬休み、クリスマス前後、空腹だったから、おやつのドーナツを揚げていた。突然、油が跳ね、顔面直撃した。顔が熱い。すぐに、水道水で顔を洗ったが、顔がヒリヒリし、すぐに、顔の皮膚が変色してしまった。

 外出から帰った母親が、びっくり仰天、すぐに、皮膚科へ行くように言ったが、皮膚科へは行かなかった。原爆当時、火傷の患者は、薬品不足もあり、火傷した皮膚を、捲り取って、油薬を塗る程度の治療だった。皮膚を捲られる痛みも強烈で、回復も遅かった。

 その頃、ジャガイモを颪金で擂ったものを、患部に貼り付けて、火傷を治した人がいたというのを思い出した。痛みもなく、早く治ったという。早速、母親は、ジャガイモを擂り、脱脂綿をつなぎに混ぜ、顔パックのように、貼ってくれた。ジャガイモの水分が、皮膚の熱を抑えてくれるようで、とても心地よい。

 母親は、何度も、このパックを交換してくれた。顔からパックを剥がす時、顔の皮膚から、簡単に剥がれ、痛みもなく、火傷の傷全面が、シッカロールのような、デンプンの微細な粉末で覆われていた。顔の火傷は、隠せないので、年を越して、三学期、学校へ行くのが、憂鬱だった。だが、回復が早く、火傷の劣等感を意識することなく、学校へ行くことができた。

私は、ジャガイモが大好きだ。ジャガイモは、皮膚表面でも、修復してくれるのだから、食べたら、おなかの中の悪いところを修復してくれるはずだ。家内に、ジャガイモ料理を催促している。ドイツ人のジャガイモの好きは、理に叶っているわけだ。


◆松井秀は1安打1得点、王建民が好投、ヤンキース連勝

 7日、地元でのインターリーグ、「ヤンキース対メッツ」戦、ヤンキース「6番・左翼」で先発出場の松井秀は、2回、先頭打者で、メッツ先発のヘルナンデス投手からライト前ヒット、カイロのタイムリー二塁打で生還(3点目)。4打数1安打、1得点、打率2割9分7厘。

 ヤンキースは、1回裏、ロドリゲスの27号2ランで先制、序盤3回までに、5-0と大きくリード。5回、デーモンの4号ソロ、8回、ポサダの9号2ランなど、中盤、終盤、効果的に得点を重ねた。

 投げては、先発の王建民投手が、6回までメッツ打線を零封。完投こそ逃しはしたが、9回途中まで、2失点と好投。8回2/3を投げ、被安打6、与四死球2、奪三振10、失点2で7勝目(4敗)。試合はヤンキースが8-2で快勝。今季、メッツとのサブウエーシリーズは、3勝3敗の五分の成績となった。


◆岡島3連投、最終回を無失点、ボンズは748号放つ

 17日、地元で行われたインターリーグ「レッドソックス対ジャイアンツ」戦、レッドソックスの岡島投手は、9-5、4点リードの9回表、無死一塁、5番手で登板。3連投にもかかわらず、1回を無安打、奪三振1、無失点に抑え、試合を締めくくった。5試合連続無失点で、防御率は、1.04。3試合とも勝ち星やセーブはつかなかったが、チームの3連勝に貢献、頼もしい存在だ。

 レッドソックスは、2対2で迎えた3回裏、オルティスの適時二塁打などで、一挙5点を奪い、勝ち越した。先発のウェークフィールド投手が、6回途中、被安打8、失点5で降板したが、4投手の継投で、リードを守りきった。ウェークフィールドは今季7勝目(7敗)。試合は、レッドソックスが9-5で勝った。

 この試合、ジャイアンツのボンズは、6回、レッドソックス・ウェークフィールド投手から、今季14号、通算748本目となるソロホームランを放った。ハンク・アーロン(元ブレーブスほか)が持つ、メジャー歴代最多記録、755本まであと7本に迫った。

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