日々の細道

手持ちの回数券が一枚また一枚、残り少なくなっていく老いの日々、どう生きていくか?

アザレアの花二輪開花

2007年04月02日 | Weblog

 朝起きて、居間のソファーに座って、庭を眺めたら、アザレアの濃いピンクの花二輪、色鮮やかに開花していた。集中治療室からの回復、退院第1号だ。手入れせずに、あのまま放っておいても、開花したであろうが、手入れをしての開花だから、成果が現れたような気分で、とても嬉しい。それ以外の鉢も経過良好、次々と退院(開花)間近かで楽しみだ。

 

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1 コメント

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再開コメント38日目 (一郎)
2019-11-23 15:45:36
「集中治療室からの回復、退院第1号だ。」

この言葉をそのまま受け取ると ブログ主は入院していたのかと思うが

それはまだよくは分からない

しかしこれまでの記述から 数か月庭にも出ていないということだから

やはり体調がかなり悪かったのだろうとは想像できる

そして庭に出ての鉢や庭木の手入れを始めるようになった

その甲斐あっての二輪の花 ブログ主には大きな励みになったことだろう

花は植物が生きていること成長していることの証 その結果

目に見える形で私たちに知らせて暮れる

そして花によって季節やと気な流れを感じる

自分自身も変わりつつあるということを 自然の変化で感じる

自然と自分とは一体なのだと知る

時の流れがそのまま自分の成長になっているかと言えば

必ずしもそう言い切れない面はあるにせよ

ともかくも自然は休みなくその歩みを進めている

その流れはいつも一定なのだが 人は早く感じたり遅く感じたりする

その心持の違いは何なのだろうと思う 

なにも違いやしないのに ただその時々の体験の重さ軽さ

それが自分に与えた印象や感動の強弱が

時の流れの速さ遅さの感じに影響しているのだろう

人の心ほど分からないものはない 見えないからでもあるが

それは自分自身の意識外の働きが影響するからかもしれない

恐らく自分によって認識意識されている領域考えは

その全体から見ればわずかだと本で読んだことがある

無意識の領域がかなりの部分を占めているとも

だから自分を知っているというのもほんの一部ということになろうか

人間の心の働きはだから理解するのは難しい

自分の事でも分からないことが多いからだ

それを何らかの手掛かりで少しずつ解いていく

それも生きるために必要な作業なのだろう

人はそうしたものなのだろう

自分んを問い続けることをやめない

自分を知りたいという思いもやまない

それが面白くもあり煩わしくもある

せいぜい楽しむことだ 煩わしさも難しさも

楽しむことだ 自分のことを知ることは楽しいことだから

嬉しい発見なのだから

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