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夢を求めて、女の一人旅物語

大好きなところはヨーロッパです。好きな言葉は夢です。ブログは私の心の窓です。

アルプスに抱かれた音楽の都 ③

2012年08月19日 19時39分07秒 | 旅行記

朝は荷物を出す必要がないので、9時にホテルを出て旧市街まで徒歩観光現地の日本人のガイドさんが案内してくれることになりました朝食は特にオーガニックの紅茶が美味しかったです。その後、ツアーの人たちに話しましたら、「知らない、飲んでない」と。唯一の発見者が私だけでした朝からフルーティーな香りが漂ってきたら、優雅な気分になりました

今日は楽しみにしていた芸術と音楽の都[世界遺産]ザルツブルク市内観光ザルツブルクは神奈川県の川崎市と姉妹都市です。だから川崎市長は「川崎市は音楽の町にしたい」と宣言しているらしいホテルからちょっと歩くと、昨夜、写真で撮ったアンドレア教会から旧市街に向かう。アンドレア教会は昼間も夜も素敵な姿が変わらない。

今日は土曜日で、結婚式が多いと。新婦より目たった豊胸の女性がいました・・・・・彼女たちは朝からハッピーな一日が始まりミラベル宮殿で自由行動!

ミラベル宮殿は1606年ルネッサンス様式で建設され、大司教ヴォルフ・ディートリヒが愛人と子供たちのために建てたもので、最初は愛人サロメ・アルトの名前をとって「アルトナウ宮殿」と呼ばれていました

当時の大司教は絶大な権力を握っていましたが、さすがに愛人のための宮殿建築には非難が集まったそうです。「ミラベル宮殿」の名は、後継者の大司教シティカスが改名したもので、「美しい眺め」という意味です。

1818年に火災に遭遇、建設当初の姿を留めていないらしい。現在、行政オフィスとして、一部は結婚式場として使われ、世界中でももっとも美しい結婚式場として知られています。

ここは映画「サウンド・オブ・ミュージック」でマリアと子供たちが「ドレミの歌」を歌いながら、駆け上がって行く庭園の階段です。

ミラベル庭園や、旧市街を中心とする他の歴史的建造物も含め、1996年に「ザルツブルク市街の歴史地区」として世界遺産(文化遺産)に登録されました。ミラベル庭園を出ると、三位一体教会が見えました。

ザルツブルクにおけるフィッシャー・フォン・エルラッハ最初の建築といわれています。1694年から1702年にかけて建てられ、2本の時計塔を有するバロック様式の教会です。

橋を渡って、旧市街に入る手前に、ザルツァッハ川沿いにあるカラヤン生家がありました

ヘルベルト・フォン・カラヤンは(1908年4月5日 - 1989年716日)

1955年より1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務め、一時期それと同時にウィーン国立歌劇場の芸術監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督などのクラシック音楽界の主要ポストを独占して、圧倒的な権力を誇った。

20世紀のクラシック音楽界において最も著名な人物のひとりであり、

日本では「楽壇の帝王」と称されていた。   

 

 

 

ザルツァッハ川にも遊覧船があるようです。乗ってみたくなりました

メインのゲトライゲ通りに入りました

一目で店が分かる看板がここの名物というか、看板通りというか別名になったらしい

ザルツは「塩」、ブルクは「砦」の意である15キロほど南のバート・デュルンベルクで産出される岩塩をハライン (Hallein) 市において製塩し、大司教から特権を与えられたラウフェン(Laufen)の船乗りたちがハラインからザルツァッハ川を通じてヨーロッパ各地に送っていた

塩の積載量に応じた通行税をこの地の大司教が財源にしていた。町の豊かさを感じながら、楽しく散策できるところです

まず、モーツァルト生家に入場見学!1756年年1月27日にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが誕生したといわれる家は、ゲトライデ通り9番地に所在する黄色い建物の4階にあり、現在はモーツァルト記念館として残されている。

1769年、ときの大司教ジークムント・フォン・シュラッテンバッハ は、13歳のモーツァルトを宮廷楽団のコンサートマスターに任命している。ここには愛用のピアノやヴァイオリンなどの楽器、唯一自筆の楽譜のほか、父レオポルト、母アンナ、姉ナンネルルをはじめとするモーツァルト一家(妻と子供たち)の肖像画などが展示され、成人した2人の男子はどちらも子どもを残さなかったため、モーツァルトの直系の子孫はいない生前より死後のほうが有名なモーツァルトは35年で不幸な一生が終えたという館内には撮影禁止!

建物の4階の窓から生家の前の写真です町を歩くと、素敵な喫茶店が目立ち、実はここはザツルブルクの名物のお菓子「ザルツブルガーノッケル」を出してくれ、とっても美味しいということ。

ここは有名なチェコレート屋さんです。早速購入しました。やはり上品な味&香りでした本店はカピテル広場のところにあります。兼喫茶店です。

たくさん美味しそうなケーキが並んでいました。「祝祭劇場」のところに来たら、ちょうど花嫁さん?バスから降りてきて、早速シャータ!

建物は1924年冬季乗馬学校から劇場に改築され、その後、ザルツブルク音楽祭の会場として使用され、館内を見学できるそうです時間があれば入ってみたかったです。カラヤンの像もあるそうです。これから大聖堂に入場!

大聖堂の前に、1920年以来、ザルツブルクの夏音楽祭に使われた大きいステージが設置されていました今日のザルツブルク大聖堂は、1628年にバロック様式によって建て直されたものである。ザルツブルクの歴史において最も華麗な祝典は、1628年の大聖堂の献堂式であったが、それは三十年戦争のさなかの出来事であった。

イタリア出身のヴィンチェンツォ・スカモッツィ(1548年-1616年)の設計案が廃案となり、同じくイタリア出身のサンティーノ・ソラーリオ(1576年-1646年)によって設計された大聖堂は、ドームの乗る大理石の双塔をもち、ペディメントをはさんで構成されたファサードを特徴とする。モーツァルトはここで洗礼されたそうです両端に立派なパイプオルガンがバランスがよく、右側のオルガンはモーツァルトが使用したそうです。威風堂々とした大聖堂でした

大聖堂のすぐ近くに綺麗な墓地がありました。午前中は観光、それから夜のコンサートまで自由行動です

観光後、みんなが添乗員と一緒にモーツァルト生家のところに戻ることになっていて、私が添乗員に「ここから離団させてください」と言ったら、彼は「分かりました」と。昨日の部屋のトラブル後、私に気を使うようになったのかしら?!まず、私たちはさっき通りがかりに見つけたアクセサリの店に入りました

 

どれでもほしくなる

選んだら、この二つにしました

 

 

 

 

店員の女性はとっても気持ちがよく、素敵な方でしたちょっと値段の交渉をしてみたら、彼女は「あなた選んだメーカーはドイツのメーカーです。それだけは安くないできない」と。自分はすぐ納得大体気に入ったものはいいものというか、安くは買えない

満足して店を出ました近くの教会に入ったり、見学しましたが、また親友に「ごめん、もう一度、さっきのネクレスも買いたい」と。再度店に戻ってきました彼女に「すみません、また戻ってきて、ネクレスを見せてください」と。彼女が喜んで、別れたとき、 「Come back welcome again」と言われました洋服の色も気に入ったので、購入しました

親友に「夜のコンサートに早速着で行きますよ」と。昼食はモーツァルトの生家の前のテラスにしました。大変混雑していたけど、偶々席が開いてましたテラスでビールでも飲みたくなりましたおいしい!次は白ワインも注文しました

魚料理はサーモンしかなかったので、オーストリア料理のじゃがいもですが、茹でてあって、ハーブとオイルをかけたのはほとんどでした。

丁度一休みにもなって、満足しました実はザルツブルク名物を食べる計画もありましたゲトライデ通り33番地の路地にファーストフード店のボスナです。

カレー風味のホットドッグである。私たちはわざわざ昼食の時間を避けたのに、長い列で~す待つことにしましたボスナのレシピはいたって簡単で、カリカリに焼いたパンにマスタードを塗り、鉄板で焼いた細い2本のポークソーセージをはさむ。つづいて生のタマネギのみじん切りとパセリをかけ、最後に特製カレー粉をふりかける。出来上がったボスナは半分ほど隠れる白い紙にはさんで手渡してくれる値段は値上げしたらしい。買ったのは3.1ユーロでした。このおばちゃんは2m² の店でずっと働き続けてきてようですこれは店のオリジナルです。いろいろあったけど。でもみんなが大体オリジナルを注文したらしい。ボスナはザルツブルク市民と世界からの観光客、そしてウィーンフィルなど音楽祭に参加する芸術家の胃袋に収まっているという

店には座席はないので、購入した人はすべて、ゲトライデガッセを歩きながら食べることになる最後、ホテルに戻る前に、どうしても諦めきれなくて、行きたいところに入りました。カピテル広場にあるザルツブルクの老舗のカフェです

一番広場を眺められる席が取れましたここのケーキは無添加&自家製です。スタッフがたくさんのケーキを持って、テーブルごとに販売してくれましたツアーの人たちは誰も来なかったらしい。

「あなたたちはすごく一番いい席に座ったじゃないですか」と言われました。大満足の半日でしたザルツブルクは紀元前14年、ローマ軍がアルプスを越えて侵入する。クラウディウス帝の時代には属州ノリクム(現在のオーストリア)の各地に都市が築かれ、ローマ文化影響を受けたそうです

ザルツブルクの原型である古いケルト人の町はユヴァウムあるいはユリクムと呼ばれていたが、馬車が走ったり、時間があれば乗ってみたかったです

一回ホテルに戻り、集合してから、ホーエンザルツブルク城に向かいました

毎年の夏にはたくさん世界中から観光客がやってきます。夏のコンサートシーズンです。広場の大きい野外スクリーンでコンサートを鑑賞!

まずホーエンザルツブルク城でディーナーをしてから、コンサートがあります。

館内のエアコンがついてないので、かなり暑くなりました。

城塞の歴史は、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世と教皇グレゴリウスの聖職叙任権闘争にさかのぼります。当時の大司教ゲプハルト・フォン・ヘルフェンシュタイン1世は、弱体化した皇帝の権力に対し、自らの地位を高めようと教皇側に味方しました。ところが、歴史的に有名な「カノッサの屈」にて、ハインリヒは教皇と和解。

このため大司教は、皇帝の報復を恐れて、城塞を築く必要に迫られたそうです。結局、ゲプハルト大司教は亡命を余儀なくされ、ホーエンザルツブルクの城塞建築は後の歴代の大司教に引き継がれました。

丘からザルツブルクを一望しながら、食事をするのはとっても素敵です。食事が終わるごろ、夕日の光が窓からちらっと見えましたので、早速外へ出てみました。ロマチックな光景です。

私の腕は抜群ですね・・・・・・夕日を待っていた人たちは写真を撮れたかしら!見ることができたと思うけど、撮れた人は私だけかしら!ホーエンザルツブルク城からの夕日は夢のような世界です。

大きな夕日が目の前、手を出せば届くような錯覚をします約2時間のコンサートはとっても楽しかったです。途中にツアーの「帽子の貴婦人」はなぜ退場してしまったのか!昨日、最後、バスに乗車したとき、私と彼女だけが残っただけど、彼女はご年配だと思い、「さきにどうぞ」と彼女からひと事のお礼もなく、帽子に相応しい傲慢な姿勢を崩さなかったです・・・・・・成田空港で搭乗する前に、彼女は帽子を被ったまま、ずっとうろうろしながら搭乗してからも帽子を外さず、その後、「帽子の貴婦人」のあだ名にしました

コンサート途中の休憩のとき、窓から夜景を撮ろうと思ったけど、なかなかうまく撮れませんでした

ケーブルカー下山、町の夜景です。ミラベル宮殿のバロック博物館をはじめ、祝祭劇場、大聖堂の前のステージ、野外の大きいなスクリーン、音楽の神童モーツァルト&楽壇の帝王カラヤンのゆかり、アルプスに抱かれた歴史ある音楽の都ザルツブルクは間違いなく音楽家たちの憧れた聖地です体の芯まで楽しませてくれたので、濃厚な一日でした

 


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