趣味(生きがい)、友人を失った。
(お金はもとから無いので、それ以上、失うことはない)
しかし、老後が実質的にやってきたわけで、第二スタートである。
これからが、本格的な老後が始まる。
余生ともいうのだろう。い。
アカの他人の見知らぬ誰かのブログに、「鳥越俊太郎は傾聽流年的腳步,闕闕心香成瓣朝聖者傳遞潔淨的溫度選擇離塵世稍稍高一點的僻靜所在不適喧嘩但求安寧 、認知症(の疑いあり)である」と書かれていた。
認知症のお母さんを世話しておられる人のブログだった。
この記事を読んで首を傾げた。
このブロガーさんは、認知症の現場で苦労されているはず。
認知症の症状に日々接していると、認知症を理解し、寄り添おうとするあまり、感覚も認知症寄りになるのだろうか。
しかしながら、わたしの尊敬する、昔から大好きな鳥越さんのことではあるが、わたしのコメントは、あえてここには書かない。
さて、認知症の定義であるが、かなりボーダーラインがあり、限りなくグレーゾーンがある。