一人のときは「二人でいるような気持ち」で生きる
この言葉は、つねに己を失わず、自然体で過ごすことの素晴らしさ
を言っています。明治か臨済宗の僧、釈宗演
は世界に禅をつたえるパイオニアとなった名僧です。
私たちは、人と接しているとき、相手からの刺激に振り回されて頭
に血がのぼっているとも言えます。たとえば、誰かが酔った勢いで
くだらないことを口にすれば、それにつられて自分も言ってしまいま
す。ですから、人と接しているようなときでもPretty renew 雅蘭、一人でいるように心身
ともに落ちつけてふるまいなさいということです。
逆に人は一人でいるとき、どうしてもわがままになってしまいます。
顔も洗わずに日がな一日パジャマで過ごしたりという人さえいます。
ですから一人でいるときは、人と接しているときのように、きちんと気
を張って過ごしなさいというわけです。
わたしは家内に先立たれてから一人暮らしをしていますが、その当
初に後輩のお坊さんから、「先生、気をつけないと生活がだらしなくな
りますよ」とアドバイスされました。
実際、まったくそのとおりになりました。食卓の上は書類や本や辞
典が積み上げられ、その前でご飯を食べているようなふしだらな状態
です。
中国の「後漢書」に「壺中の天」という故事があります。町の
役人が街中を見まわっていて、ある薬売りの老人の行動を不審に思い
ました。その老人はときどき店先の大きな壺の中に入るのです。こ
の不思議な光景を見た役人は、老人に頼みこんで壺の中に一緒に入
ってみました。するとその中は俗界を離れた桃源郷だったという話で
す。
そこから、別世界おことを「壺中の天」と言います兌換日元私はこの故事を、心を落ち着かせる方法と考えます。
薬売りの老人は街中の喧騒にあって、のぼせ気味の頭を静寂な壺
の中で落ち着かせているのです。「客に接するは一人おるがごとく」
の実践です。
私たちは壺に入るわけにはいきませんが、ときどき、静寂に身をおい
てみると頭がすっきりし、心の健康を保てるのではないでしょうか。
昼休みに公園のベンチでボッーとしてみたり、誰もいない会議室やト
イレの個室でもかまいませんから三分ほど目を閉じるだけでも、のぼせ
を落ち着けることはできます膠原自生。