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わがことの数々と・・・

会社のこと、社会のこと、なんにでも一言言ってみたい我輩が、いまここにいます!

宝くじ

2006-01-07 10:47:16 | Weblog
 恥ずかしいことに、わたしは宝くじを買う。ここに、こんな記事を書くくらいだから、当然あたっていない。昨年も、ぜんぜんダメだった。最低100枚は買っている。おととしは、1万円が数枚あたっている。自信があったのだが・・・。
 ついでに白状すると、有馬記念の3連単は、とれなかったが、馬連は的中した。トホホな暮れから正月。

 昨年の夏には、5万円があたった。このときは、たった20マイだった(わたしは、この記事をかな文字入力をつかって入れているが、このマイという字がなかなか変換されない。マイクロソフトのWordは毎年のようにマイナーなチェンジをおこなって稼いでいるが、最近はライバルがいなくなり、その緊張感が取れたのか、ますます悪くなるばかりで、進歩というものが実にくだらない使用するものにとってどうでもいいものばかりなのは、なぜか?)。
それで、おとといスクラッチを10枚買ったところ、5マイに100円が当たった。

 それで、何がいいたいか? つまり、宝くじも競馬もすべて他人に依存したもので、自分の力でいかんともしがたい。こんなものが、すべて世の中になってしまっている。自慢じゃないが、今わたしがすべて自給自足で生きていく、などと宣言をしても、まったく不可能だし、周りの人に迷惑がかかることになる。

 お互いに依存しなければ、わたしたちは生きていけない。じっくり考えなくとも、毎日の挨拶もしない隣人と、まさに運命共同体なのだ。巨大な地震が起きたら、たちまちわたし達は、不愉快な隣人も自分も同じように、被災者となってしまう。

 やっと買った自宅も、不快で付き合いたくない隣人たちとも、私たちは、なんと運命を共同している、ということを宝くじから想像してみた。このちっとも面白くない話に、落ちはみつからないか・・・。

  宝くじ買い急いでくじく師走

  どちらも、おあしに絡んでいますって、こんなところかな。



年の初めに思う

2006-01-02 22:16:24 | Weblog
 今年の正月も、大晦日からの地元の神社の氏子の仕事で、31日と元旦は忙しかった。やっと今日2日が正月のようなもの。地元の神社は、250年以上の歴史はあるが、境内も小さく、地元に知られているとはいえない。
 それでも、600人程度の初詣の人たちが、元旦の零時からの一時間半の間に、おいでになった。それで、お札や破魔矢の売上が、例年よりも伸びて、氏子の役員としては、まずまず喜んだ。
 
 こうした神社の運営も、毎年いろいろな施設の補修、たとえば伸びきったの樹の枝はらいや、道路と境内の際の塀の補修など、補修費がかさみ基金の取り崩しをおこない、いまや基金もかなりへってしまい、会費の値上げもしてしまったところだから、こうした収入の増加をある程度あてにしている。。

 また、ちょうど年代の入れ替えの時期にさしかかり、今後10年くらいは、今まで活動していた戦中派の人たちから、戦後の世代へのバトンタッチにさしかかり、勢い活動も低調になるようだ。
 
 わたしたちの村も、近代化し都会のベッドタウンとして戦後に発展したので、農家の数も500件以下である。農業をやる人は、年々へっているし、農協があるが農地はいまや都市住民に囲い込まれ、その自由を失い、社会主義的な土地税制によって、農地は相続とともに姿をけしており、その後には人工的なとってつけたような自然を付属品とした建売住宅があふれだしている。

 農業に注ぎ込まれる予算は莫大なものではあるが、それらは全農や農林省系の特殊法人などに流れて、実際に農業をになっている農家に補助として入ってくるものはほとんどなく、せいぜい品評会の商品程度であり、いつもいつも実際に農業をやっているものに対する直接的な助成などは泣きに等しい。
 巨大な農協系の間接人員が、その甘い汁をすっているわけだ。日本の隅々の業界団体がその甘い汁をすっているわけであるが、実は団体に所属するこの農家や企業ではなくて、税金の助成の恩恵はその組織に天くだっつた役人の利権と権力と俸給に、助成しているようなもので、まったくもって、理不尽とということだ。既に、法律があるから・・・などと役人たちは言い訳をするであろう。

 しかし、次の改革は明らかに農業を対象におこなうことになるであろうが、小泉氏が退陣した後には、大きなゆれ戻しがやってくるように思えてならない。
 彼ほどに、決意を持ったものがあらわれるだろうか・・・。こうみると、かの首相の信長好きから判断すると、次の首相は家康的な超保守が、日本の行政の長を担当することになるのだろうか。ことしも、政治と株から目は離せないとしになることだろう。 
 
 さて、わたしの今年の予想。
 1)株価は、日経平均が20000円に達するだろう。
 2)中国で大地震がおこるだろう。暴動が多発し、民主化を求める人民が増えて、更に毛沢東の共産主義の度合いがつよまり産業は停滞するであろう。大陸からの撤退する企業がおおくなり、自動車産業のTの業績はひどく落ち込み、Hが更に台頭するであろう。
 3)日本の首相は、Aではなく、期待しない人になり、国民はびっくりするだろう。しかし、彼は何にもできない人であることがすぐにばれて、国民から首にされるだろう。
 4)北朝鮮は日本との国交と援助を、求め続けるだろう。拉致問題は、劇的な結末を迎えるだろう。
 5)米国は、イランに限定的な武力による制裁を実施するときに、イスラエルと共同作戦をおこなうだろう。
 6)日本は、イラクに兵を1/3程度のこし、撤退をするだろう。
 7)中国は、日本の艦船に武力をつかうが、日本の攻撃に手ひどい負けをみるであろう。
 8)半導体の優位は、日本が奪い返すことになろう。
 9)ワールドカップサッカーで、日本はやっとのことで1次リーグを勝ち抜くだろう。
 10)耐震構造建築の偽装に等しいような、別の日本の行政の不備が発覚し、著名な企業が廃業に追い込まれる事態がはっせいするだろう。そして多くの国民が、被害を受けていたことが明らかになるであろう。



 
  

年の瀬の買い物

2005-12-26 20:37:58 | Weblog
 年の瀬に近いので、買い物にでる。主に正月用品であるが、築地まではいけないので、近くで済ました。スーパーではなくて、卸売りをしているなんとなく昔風の小売業者が仕入れに行く場所だ。
 わたしは、その中に入っている大手の食品卸会社で、毎年買い物をする。

 お供え餅。おせち料理の品々。今年はも若鮎の煮しめたものや黒豆など、家族は少ないのに、なぜか量の多いものばかり買い込んでしまったよ。ドレッシングも、業務用の大きいやつ、キントン用の栗も買い込む。

 買うものは、どうしても飲み物が多い。アルコールではなくペットボトルのお茶などだ。あとは、非常食も買い込む。それらは、インスタント食料品だ、わたしはほとんど食べないが、子供たちはよくたべている。

 非常食といえば、カップラーメンの類をしまっておいたが、賞味期限が半年も過ぎてしまい、食べてみて味もなく下痢気味になってしまったので、結局捨てることにした。水なども書未期限切れが、大量に残っている。早いうちに取り替えてしまっておきたいが、なかなかできない。

 年の瀬の買い物というと、もう一番は御徒町であろうが、年の瀬の忙しい人ごみの商店街を歩いたことはない。暮れの賑わいを離れた御徒町もまた、なかなかいいものですな。ガーとしたにつづく、いろんな店。ニセモノなのか、本物なのか、素人にはわからないようなものばかり売っている。昼間から、だるそうな親父や中年のオバさんが店番をしている、女物のバックや小物売り。でも、アメヤ横丁の年食った店員のいるところもまた、面白い。年の瀬以外なら落ち着いた商店街なのだ、アメヤ横丁は。

 年の瀬に、買い物に付き合って、今年の終わりをしみじみ思う。月日は流れ、わたしはのこる。そして、また来年を期待しているのだ。若い彼女からの誘いを、のんびり待つような、そんな男にもなりたい、などと思いつつ。

お葬式に思う

2005-12-25 10:19:01 | Weblog
 この2日間、お葬式の手伝いをしてきた。お葬式は、お寺をも借りておこなった。朝から、いろいろな準備に出かけることになる。隣組の者たちと、その準備に行くのだ。
 わたしたちは、この隣組と冠婚葬祭をおこなうしきたりになっている。江戸時代以来の村の習慣になっており、都会となった現在もまだ続いている。江戸時代の中期にこの地に開墾に来た人たちは、他の村から新天地を求めてやってきたのだ。
 江戸時代の農村の管理政策としての五人組、それはお互いを助け合う互助組合的なもので、日本の集団主義的発想の原点になっている。監視と連帯とも言うべきもの。
 そんな村のおきてに沿って、お葬式は葬儀屋さんが、ほとんど取り仕切るのだけれども、我々の助けも必要、というわけで結構忙しい。
それでも、葬祭場を借り切るので、たいしたことはない。自宅でおこなう場合は、いろいろと準備におわれて、男衆に比べて女衆(隣組の女房たち)は、大変だ。男たちは、主に受付と香料の勘定、警備などにつく。役所への死亡届などもおこなうし、他の隣組に訃報をとどける仕事もある。
 昭和30年代の中ごろまでは、最大の労苦としての野番として、土葬のための穴掘りがあっという。土葬する穴を掘ることは、大変だったらしい。時には、骨が出てきたり、副埋葬物のお酒が出てきたりなど。今のようにユンボがあるわけじゃなし、土葬する穴はたたみ一畳の広さと、深さは1.5m以上だったという。でも、そんなことをやっていた人たちも少なくなり、代替わりになってしまった。

  故人は84才の隣組に属する人の母親でした。

  いつも葬式に出て思うことは、禍福は糾う縄の如し、ということだ。これをわたしは、人生訓にしている。このうちもーは、バブル期の不動産投資を失敗して、家屋敷を失ってしまった人だ。周りから切れ者で通っていたのだが。誰しも言うことは、むなにもしないことが財産を失わない唯一の方法だ、ということだ。そのとおり、と思う。

 財産があろうとなかろうと、生きることは、ひたすら死の淵への歩みに他ならない。あなたの一呼吸一呼吸が、確実に死に向かって歩いていることなのです。やがて、その呼吸は停止するのです。すると、生きていることの喜びを確実に知りたい、と思うことが多くなる。
 生きていることの喜びは、人の買えないものを買うことでも、海外旅行に行くことでもなく、自分が生きている、という実感を確実に感じ取ることではないだろうか。

 しかし、家族や恋人の笑顔が一番、と思う人もいるだろう。美しい女性や子供たちの心からの笑顔を見ることに、あなたは生きることの喜びを感じますか?





夜への彷徨-1

2005-12-15 10:37:26 | Weblog
 あさ8時過ぎにメールが入った。待っていたものが、きた。やっと送ってくれたんだ。といっても、一日たってからの返信なのに。
ーいいわよ。どこにする?
たったそれだけだったが,新鮮なときめきだった。もう何年になるか、好きだと思った女に声をかけて、はじめてのデートまでにこぎつけた時の新鮮な喜び。そこで、はじめて会う彼女の笑顔を見つけたときの、全身に流れる電流。さあ、どーする?自分に問いかける声が、聞こえる。

 すでに、10年以上前に、わたしはある女性と恋愛関係になり、とほとほ自分と相手に疲れて、傷心のまま妻の下に帰った。思えば、長に日々・・・苦痛の連続時間であったが、その記憶も薄れ、また自噴の心には、若い情勢に対するやむに止まれぬ思いが満ちあふれてくるのが、分かった。
 勿論、人が聞いたらまあ、元気ねぇーなどというかもしれないが、わたしにとっても切実真剣な思いなのだ。

12月だ

2005-12-13 21:43:06 | Weblog
 12月になると、せわしなくなりつい自分も流されてしまう。そんなとき、座禅の心構えが有効になる。一呼吸一呼吸、人はそれを数えて生きる、かったるいし、この忙しいのに、と思うが、それがとっても現実的なことでもある。ひと呼吸を失えば、わたしたち人間はたちどころに酸欠となり、脳に酸素を送れないわけだから、すぐに壊れてしまう。

 人間とは、かくもか弱いものなのだ。

 今年の暮れにかかり、小学生が犯罪被害者になり、痛ましい限りだ。わたしたちは、自分の住む町や隣近所が正常であることを望んでいるし、不埒者が住んでいないと、つい思いがちであるが、そこに怪しいものがたとえいたしても、それに対してわたしたちは無抵抗なのではないだろうか。何ができる、というのだ。せいぜい余計なお世話、といわれるぐらい。

 悪いことは悪いといわない、すぐに相手に輝を使うばかりで自己を主張しないから、いざ主張しなければならないときに、できない。それで、周りに乗せられ流される日本人・・・マスコミの言いなりになりがちだ。
 
 わたしなどは、典型かもしれない。何でも集団になれば、こわくない、この精神が我々一人ひとりにだめにしている。

 そんなわけで、私たちはついつい宗教集団に走ったり、政党活動をしたり、あるいは市民運動と称して、いろいろと難癖を社会や市役所や学校などに集団で訴え、市議会などで市民派などというものになって追求ばかりする。すぐに、派閥を作って仲間を増やそうとする。その中の一員でいることが、自分に安心感を与えるからだ。
 もちろん、会社であり、公務員であったりなど所属する組織に在るからこそ、自分には明日が保障されていると思っている。情けない限りだ。

 そんな風潮の中で、わたしたちは自立した責任あるひとりの社会人としての判断にもとづいた行動が、今こそ必要といえよう。自分の5感をみがき、孤立するというかひとりであることに自信と責任をもてばよいであろう。

 事件や事故の多い中、わたしたちはますます明日が、今日の続きではなくなっていることに気づく。ますます自分教が蔓延していく。それは決して自己中の社会ができるのではなくて、自立した者同士の孤独な連帯をめざしていくことだ。
 それは、ハンドマイクで人や組織を糾弾などはしない。
 メールによる友情をドンドン深めていけるようになればいいだろう。
 人と人のつながりが強い会社にしていきたい。徒党を組まないが、連帯はする。力を合わせるが、圧力にはしない。

  


小春日和に「人は見た目が9割」を読む

2005-11-25 12:02:01 | Weblog
 本日は、小春日和だ。こんな日は、のんびりコーヒーでもすすりながら、暖かい日差しの有難味を満喫して人は見た目が9割」を半分以上読んでいる。これは、近くの書店でも売切れていたのたが、Amazonに注文し購入した、送料と代引き手数料をとられ、ずいぶん高い買い物をしてしまった。
 で、内容であるが、フンフンウンウン同感することがある。われら男どもは、つい女の嘘を見抜けず、いつも女にわれらの嘘を見抜かれ、つらい思いをしているので、参考になるところがあった。
 やはり、「嘘を言うときは、相手の目をみてゆっくりという」ことが必要らしい。よのなか、格好いい女や男がもてはやされ、そんな遺伝子に恵まれない人々は、隣国では最高権力者すら顔に手をいれる時代。あなたは、自分の顔を、充分に相手に好感を持って迎えられていますか?
大好きな女性の心からの笑顔をいただいておりますか?

この本の著者は、演出家であり漫画家でもある。それゆえに、読み解いていくと「いかにしたら、見た目をよくできるか」が述べられている。しかし、とわたしは言いたい。世の中に見た目はとても悪いんだけれども、とても女性に持てる人がいるんだが・・・。正直言って、わたしは女性にもてたいので、とってもそのことが気になる。

 ぼろを着て、風采もわるい、勿論金はほとんど持っていないので、女性の援助で生活しているようなもの。でも、彼は、ある女性合唱団の名のとおった指揮者である。作詞作曲もしているが、売れているとはいえない。年齢が70才ちかいので、勿論もてる、といっても20-30代の若い女性ではありません。そんな自己中の爺さんのどこがいいのか、わからない。
 だだ、彼にはまだ夢があって、それに没頭している。生活の様をみると、わたしにはごみためのような生活にしか見えないなのだが。別荘をもっていて、そこに行ったことはないが、一度招待されていってみたい、と思っている。

 写真なんか見せてくれるが、小沢征二と並んで撮った写真があったりする。

 先ほどの爺さんは。勿論例外と思われる。人は見た目ではない、というが、この著者のいうとおり、ほとんどが見た目である。見た目を、磨いていく技術が必要なのだ。また、チョイ悪オヤジ・・・などという作られたファッションで身をつつむべく、伊勢丹に行く親父のあわれさ。かれらは、さしずめ俺も学生時代に同棲をして、漫画のとおりの青春だった、などというんだろうなおー。また、糸井気取り爺さんも、すかないねえ?

 「人は見た目が9割」読みやすく、お勧め本です。


ベトナム人の日本への紹介

2005-11-19 13:00:49 | Weblog
 大卒のベトナム人技術者に日本語教育を施し、日本に技術者として紹介するビジネスが始まった。それはハノイ周辺の、日刊工業新聞で10月17日に報道されていたが、「ベトナムコミュニケーションイニシアティブ」(以下VCI)という日本のNPO法人が主催している。この法人は、NPO本陣として、早稲田大学の「早稲田大学研究開発センター」に本拠を構えている。その学校を、訪問してきた。以下現地で書いたものをそのままけいさいする。
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理事長の挨拶 設立目的>>
日本に若者をおくり、技術を習得し、帰国後にそれを活用したい。ともに、日本と越国が、一緒に活動しよう。ともに、出発できれば、よいと思う。
(フィン・ムイ氏 東大に留学経験あり。数学者。ハノイ大学の教授をへて、タンロン大学を設立)


石川氏>>
  高齢社会を迎える日本社会にたいして、ベトナムには若者が多いので、協力できないか。
  ハノイ工科大学を卒業した生徒が、会議に参加。成績優秀。7月に入学した生徒。日本の会社で仕事をする希望をもっている。
  早稲田大学でセミナーをおこなう(11月16日)。ここの学生は、CAD,CAMを学んでいる。
  今後は、半導体、IT関係の技術者を紹介していきたい。

西川氏>>
なにかあったら、メールをください(昨日も夕食時にスピーチ)。

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訪問者からの質疑
①I社の社長
 学生のみんなに、大変関心を持っている。ソフトウェアの会社を経営している。優秀なエンジニアの方なら、受け入れをしていきたい。

②H氏  
 ー技術レベルの構成は、どうなっているか。
 1日4時間の言語教育。機械工学の勉強をしている。早稲田大學の支援もいただくことになった。

③ソフトの言語は? Cなど。
 やってはいない。機械工学専攻で、その上に日本語教育をおこなっている。

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VCI側の説明>>
  企業で働く人材としては、最初はゆっくりやって人を準備していけば一番順調である。
現行では、企業の中で熟練者は足りないのと思うのでそれは企業で訓練してもらうしかない。
アカデミーは、来年二回目の入学者をハノイ大學5回生から受け入れる。
ハノイ工科大学の5年生を入れる。大学の規模は、学校全体で5000人
一年勉強(日本語と技術的内容)をして日本の企業に入れたい
行う教育は、いますぐ働けるようなオーダーメイド型の教育(松下型)。青田刈りに近い。企業が希望する人材内容に即して教育はするが、企業にうまく合う教育を優先する。
優秀な人間ができても合わなければすぐにやめてしまっては意味が無い。

タンロン技術大學400人くらい。
企業に入ってからの定着率は不明。
東芝でも日立でもとにかく人がいない。日本の大学卒業者と同じ待遇で入れるので待遇はよいし、ベトナム人は家族を大事にするので卒業して5、6年して30過ぎてからやめるとは思えないし、5,6年いたらベトナムのほうのトップに近い位置にいる。帰ってきたものたちが、会社の支店かベンチャーを起こすか?今はなんとも言えない。
アカデミーの希望は、中小企業から大手まで。

オーダーメイドの基本的な考えは、学生に機会と指導をあたえる。
無料で部分的な知識をあたえたい。コネではなく機会で会社に入れたい。
日本語の壁を乗り越えれば日本の社会に入れる。そのための試練であると考えている。
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 同様なニュースが、朝日新聞の9月21日に報じられていた。これは、VCIを設立したフイン氏のことなどだ。


帰国後飯坂温泉に

2005-11-16 09:06:42 | Weblog
 12日の土曜日に帰国したが、翌日地元の参加団体の旅行で、飯坂温泉に行く。途中深まり行く紅葉を見ながらね東北道を下っていったのだが、地方の田んぼのある風景を見るにつけて、心和むのは米を食う日本人だからか?
もちろんハノイから、カムラン港を目指して下ったときも、のどかに広がるベトナムの田園風景というものは、あった。そこでも、無論主な農産物は米であるんだが。海外で知る祖国日本のありがたみ、ということもあろう。

 飯坂温泉が、那須塩原の次くらいにしか地理の知識のなかったわたしには、はるかにやってきたもの、と感じ入ったしだい。でも、団体旅行が、たとえ気の置けないジモチィーの集まりであっても、面白いものでない。

 温泉は、匂いもなく普通のお風呂かとも思うもので、やっとやってきた温泉というものではなかった。福島市内から、20-30分のところ。宮城県境まで少々、という位置。

 地方は、疲弊しているか、そんなことはわからないが、なんか昔ほど観光でやってきたものに、物を売りつけよう、という人々はいない。ここで、商売でやっています、よかったら買ってね、という感じで、外国に観光客としていってきたわたしには、普通に思えた。

 もちろん、ハノイの住民で観光客に群がって「ロレックス!ロレックス!」と言って近づいてくるものは、まったくいないし物乞いをするものなど、まったく見かけなかった。外国人に興味を持つものはほとんどない。
 しかし、不思議なのは、昼間からバイクで制限速度を忠実に守って、道路一杯に走っている人たちは、一体どこにいくのか?余計なお世話だが、不思議に思った。

  また、道路の渋滞もないし、取調べてをしている警察官の姿など、ほとんど見かけなかったハノイ。地方の温泉宿に旅行しながら、ハノイへの旅を反芻していたわたしであった。


※わたしの文章の読点のあるべきところに、「ね」があるときは、「、」の間違いです。


ハノイ便り 3

2005-11-11 09:53:36 | Weblog
ハノイの工業団地を昨日は一日まわる。いわば、分譲地の見学に等しい。大手商社が合弁し造成したところで、当初の区画はすべて完売していた。私の会社が、進出する計画はまったくないが、海外に工場をつくりたい、と検討している会社には、いいのではないだろうか。

 まあ、その理由ととして、工場経営のためのインフラがととのっている、ひとつは未だ安い、良質な労働力があつめられる、などがあろう。いわば、中国の経済特区を小さく小さくしたもの。ベトナムは、すべてがちいさく我々日本人には、きわめてしたしたいものだが、いかんせん、その生活のしかたには、我々はとてもなれることはできないだろう。

 1平米1-4ドル。工場建設費は、ベトナム人とその工法?!によれば、1平米100ドル。だいたい0.5ヘクタールから分譲し、上限は、たとえばタンロン工業団地のキャノンのように20万平米までも可能です。ただし、40年から50年間土地の賃借契約を結び、一括払いとなります。途中で売却といっても、なかなか難しいところは、ありそうだ。
 
 だいたい、ハノイ市の党委員会などとの契約となり、こうした造成された所しか、向上を作ったりすることはできないのだ。

 住友商事が開発したタンロン工業団地については、既に当初開発した区画はすべて完売したそうだ。そこにキャノンが入っている。大体工業団地に入居した企業は、どこの団地においても、増資をしたり増改築をしたりと恵貴のいい話を聞くばかり。