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わがことの数々と・・・

会社のこと、社会のこと、なんにでも一言言ってみたい我輩が、いまここにいます!

スタンフォードの風-3

2006-03-14 20:10:09 | Weblog
スタンフォードを吹く風は、勿論日本とはまったく異なる。それは、ブームとなり、やがてはM&Aされる風だ。資本の力で、投資がより多く回収できるパフォーマンスのよいところへと、風も銭も回っていくのだ。
ところで、シリコンバレーに1万人移住計画、というのがあるのをご存知だろうか。むろん、日本にいるヒトで知っている人は少ないだろう。なんせ、あちらで唱えているのだから。昔の移民は、行くほうが騒いで募集するのだが、シリコンバレーは逆なのだ。現地で成功している、現地でどうにかやっている人たちが中心となって、さらに日本の力を結集し、グローバルなビジネスを、日本に限らず、米国や全世界で展開してほしいから、そんな呼びかけをおこなうっている。シリコンバレーのNPO法人らが尽力されているのだ。不毛の大地を耕して、畑にしてくれ、という運動ではないのだ。



スタンフォードの風-2

2006-03-12 10:49:20 | Weblog
パロアルトの高級住宅街にあるホテルでの研修を終えて日本に戻ってくると、突然に新宿の雑踏に遭遇する。すると、もう一度シリコンバレーのあの青空を懐かしく思うものだ。フーバータワーにエレベーターで昇ったのだが、わたしと同時に父兄のような中年の夫婦が一緒だった。彼らは、あまりしゃべらずに静かに見渡していた。少しすると、チャイニーズの女性たちが上ってきた。うるさく騒いでいた。わたしは、タワーからすべての方角を写真に撮ることにした。その日は、ひどく風がつよく寒かった。東の方角には、サンフランシスコの湾が見えたが、それは湖のようだった。南東方向の山には、白いものも見ることができた。ここで、北とはシスコの町の方角だし、南とはここから30分程度のサンノゼの方角だ。西は、当然山を越せば、そこは太平洋である。山の上の、スタンフォードのアンテナ、それは牧場の風車のようにも見える。このアンテナの周辺では、牛が放牧されているのだ。
タワーからの有名なアンテナを撮った。米国で1位か2位ののすばらしい高速道路280号線からのアンテナの写真もある。
パロアルト周辺は、静かだし、ここにハイテク長者があつまっているのか、という幹事もしない。米国のVCとして活躍する大場氏よると、今にも消え入りそうだった隣の住人が、ある朝突然にブームをおこし、百万ドル以上の収益を獲得することになったりは、日常茶飯事だという。そんな隣をうらやんで、起業しても結局は失敗する、などという話を聞いていた。
日の光が美しいはずの2月26日は、折悪しく春の嵐が吹きすさんでいた。しかし、こちらには春嵐などという情緒ある表現はニュースなどには見られなかった。日本人のわたしは、春一番か、などと思っていたわけだ。


スタンフォードの風ー1

2006-03-02 20:58:32 | Weblog
シリコンバレーに来ている。シリコンバレーには、毎年この時期に天気が荒れるらしい。しかし、もう終った。これから本格的な春がやってくる前触れだ。
青い空、それは確かに日本とはまったくちがう、ように思えてくるから不思議だ。
テクノロジーとITの塔。Hooverの力は、いまだに世界に君臨しているように思える。82号線の道路から、管理棟までの1マイルあまりある距離といい、牧童頭がいそうな牧場には、のどかに牛が放牧されていた。

地元パロアルトは、全米でも有数の高級住宅地。1戸建て1.5億。いまにも、死にそうだった隣のおっさんが、ある日突然Billion$の長者になっていたり、または失墜してどこにいったか、売りにだされていても2週間で買い手がつく、という土地柄。栄枯盛衰は、世の習いとばかりに、ドラスティックにビジネスモデルを作成し、せっせとインテリヤクザ集団のVenture Capitalからいくら引き出そうと、あたま使っている人たちが回りにすんでいる。

自虐的な応援

2006-02-16 09:36:29 | Weblog
どうしても、オリンピックなどの競技でメダルなどとれないと、自虐的になってしまうのは、自分だけだろうか。選ばれた一人ひとりが、世界的な地平にたって競争するときに、われらはどうも島国のものだったことに打ちのめされる。
つまり、井の中のかわず大海を知らずだ。

一方、選手の入賞などを、国家とその国家を支配コントロールする政党などの指導のただしさが証明されたかのような、プロパガンダ放送を臆面もなく垂れ流す国も多く、それらのアナウンサーが支配階級のように居丈高にみえ、国民を愚弄しているように見えるのは、われわれだけだろうか。
国営で自己都合でいくらでもきく放送原稿を自由に差し替えたり捏造したりボツに出来る放送局があるのにはいまさらながら驚く。

すべての言葉が検閲されている国家統制の放送局がある。そのお先棒を担いでいる民主的な放送やメディアが日本にはあるという。

いわば、わが国の戦時中とまったく変わらない国民統制のメンタりティや方法をイデオロギーの粉飾を施しながら行うのであるが、我々の気持ちを大いになえさせるのに、多大の効果があろうというものと、思わざる得ない。

こうした競技そのものを宣伝しまくる国も国だが、多額の税金を投入して何の結果もえられなかったり、放送メディアの者たちが、そのスポーツの本質を知らずして、やたらお涙頂戴式のくだらないストーリーに、仕立て上げて、視聴率を1/10000のほどでもほしがるわが国の放送のありかたも、まったくもって腹正しい限りだ。

燃えあがらないトリノオリンピック

2006-02-14 10:57:07 | Weblog
冬季五輪がはじまった。開始早々に、入賞が期待されたモーグルでこけ、5回出場のジャンプの原田が、なんと規定の理解を間違っていたなどで失格になるは、スノボーのハーフパイプは、試合前にはまるでメダルが取れるかのような放送であふれていたが、子供のような選手たちは、見事に選外に終わった。さもありなん。

正月の駅伝などの放送でも、アナウンサーや解説者が試合を盛り上げようとして、いい加減な形容詞・大げさな形容詞を、恥もなく連発している、由々しい現実が一方にはある。実体のない形容詞、大げさでウランかなの形容詞があふれ、妙にしらけた放送になっていることに、放送メディアの人間は気づくはずもない。彼らにとっては、対象のことよりも、視聴率がどれだけ取れたか、が勝負なので、試合の結果などに関係ないのだ。アナウンサー諸君に、求めるほうがおかしいのだが・・・より現実的な言葉の使い方など。

派手に盛り上げて、実に惨憺たる成績。彼らの強化合宿費用や渡航費など、すべて税金でやっているものであり、個人の趣味や娯楽として民間がやっているわけではないのだが・・・。税金でその試合の費用などはまかなわれているのを、忘れないでほしい。
でも、忘れていないが、勝てないのだ、と関係者は言うだろう。新しい選手層を作り出す必要があろう。夏と比べて、ひどすぎやしないか、というのが大方の感想だ。

立春をすぎて

2006-02-10 10:15:13 | Weblog
立春をすぎると、とたんに暖かくなる日もある。今日などは、そうだろうか。昨日は、ひどく風が強かった。
今月の末にシリコンバレーに行くのだけれども、あちらの天気はどうであろうか。少し時間もあるので、ドライブになど出かけてみたい。この1-2年は、中国やベトナムだったので、米国でのんびりもわるくないか、などと思ってしまう。

先週のことだ、ドイツからメールで、ワールドカップのチケットくじが外れた、という知らせをもらい、がっかり。国内で募集していたチケットもはずれ、なかなかあたらないものだ、と実感。しかし、一次リーグ戦全部に応募したので、全部観戦するには、ドイツの競技場巡りをすることになり、経済的には大変だなー、と少し悩んでいたわけだが、見事にそんな問題の解決をはかってもらったわけだ。

籤にはずれて大いによかった、というべきか。


で、言いたかったことは、立春を過ぎるまでは、のんびりとした時間であるのだけれども、2月に入るとどんどん時の歯車の回転が、早くなってしまうように感じられる、ということ。

ライブドアの失墜

2006-01-24 20:28:35 | Weblog
 ライブドアは、ついにデッドドアになったのだろうか。この1週間の動きは、実に日本的ではないでしょうか。つまり、「一度どぶに落ちた犬は、たたかれる」と。マスコミをマスゴミと呼ぶ人もいるが、わたしもそれに賛成しているものだ。

 しかし、10億株の行方は、どうなるだろうか。しがないホームページ屋の成り上がった行く末は、六本木ヒルズから三畳の格子戸つき拘置所と、馬鹿にする人もおおかろう、と思う。それは、少しいいすぎじゃん、とわたしは思うものです。
 
 そういえば、内閣総理大臣をやったものも格子戸つき別荘に叩き込まれていたが、日本という国は、なんていうか、妙にバランスをとろうとする国民、五人組思想というものがはよくたらくようだ。おごれるもの久しからずを、地で行くのを見学できたわけだ。しばらく前では、無記名債券や金塊を隠し持っていた議員もいたなー。

 特捜本部もやるものだ、と思った人も多い反面、これは何かのたくらみではないか、と反応したものも多かったと思う。そして、日本にはいろんな権力というものがあるんだなー、と思われたことであろう。証券監視委員会というものが機能しないのは、耐震偽装で証人喚問した程度の国会の働きしかできないからであろうか。

 実にいろいろなことを考えさせられた1週間であった。われわれは、常に法律の手の上で生活していることを忘れていけない、ということを思い知らされた、といえよう。

 ホリエモンには、まだまだ浮き上がるチャンスもあるし、そのチャンスをつかむことだろう。でも、もうちょっとユニークで人のためになるようなビジネスモデルを考え付いてほしいものだ。偽計を凝らすのは、うまい、と関心もしたが。

 今回はまあ詐欺的な資金調達というか、株をつかって偽情報で株価を吊り上げ、それにより資金をえていたわけだが、その吊り上げ方があまりにも正常でない、ということだろうか。
 アメリカのワールドコムの社長というのが、テレビに出ていたが、ホリエモンもやがて年をとると、あの手の顔になるのだろうか。そうならないように、精神を鍛えてもらいたい。拘置所をくぐると、腹が据わるというが、いいほうに腹をすえてもらいたい。

 かれにはカリスマ性もないし、人に訴えかけるオーラもないし、リーダーシップのかけらもないし、美的なセンスもないし、歌もへたそうだし・・・・あまり関心する点はないが、少し勉強すれば知的な能力を身につけられるのではないだろうか。

 以前から、彼の顔には、どうも人を不快にする部分があると思っていたが、彼が東大を中退しているからではないか、学歴コンプレックスのために、少し顔がゆがんでいるのではないか、と思う。中退したもので、失敗したと思っているものの生き方は総じてそうじてひどい人が多い。品格がまったくかけているのだ。自分も品格のひとかけれらも持ち合わせてはいないが、多くの人の上に立つものにそれがかけているのは、かなしいことだ。

 それは、常にマネーに事欠きマネーばかりおっているからなのだろう。
 品格のなさというか、鉄面皮さにあきれたのは、たとえば、最近かつて議員辞職し復職した議員さんが、テレビなどで倫理を説いたりするのをみるつけ、この国の甘さ・品格を重んじない風潮を本当に感じてしまう。
 選挙で禊を受ければ、その人間の人格も矯正されるのでしょうか、といいたいくらい。ひとに、倫理を説く前におまえさんは・・・とわたしは言いたい。

  

ジョギングに思うー2周した皇居

2006-01-15 20:57:52 | Weblog
 本日走り出したときは、まだ日がでていて暖かだった。空気は澄んでいたし、近くの景色が際立っていた。堤防の芝などの草木、皆カーキ色になり緑は少なかったが、まるで春の到来のように感じた。11キロメートルに挑戦した。時間は、とてもいえない。
 走っている人すべてに追い抜かれていった。いつものことだ。
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 先週の日曜日は、皇居2周のジョギングにやっと挑戦した。ホテルに泊まっていったのだが、これからは適当なお風呂屋さんを探して、午後から走ることにする。
 以前は、帝国劇場の道を走っていると、猫のション便の匂いがしたが、今回は竹橋付近で馬の匂いがした。

 気持ちのよいのは、半蔵門から三宅坂、桜田門までが一番印象が深い。これから、月に一度くらいは、走ろうかと友人と話している。

 ところで、わたしは、ジョギングをルームランナーで 4.25KM。水泳派クロールで、300Mを週に2回おこなっている。
 それでも、体重が減らない。酒やタバコは一切やらないけれど、ペットボトルのお茶やスポーツドリンクを、最低3本から5本は、一日で消費している。そんなことや、昼食を抜いていて、朝と夜しか食べていないのだが、一回にとる食事の量の調整が、どうしてもうまく出来ていないからだ、と思う。

志の低いわたしの一日は・・・

2006-01-14 19:52:23 | Weblog
 本日は大雨でした。中央高速も対向車の水しぶきが中央分離帯を越えてどーんと飛んできたり、飛沫と雨で視界は悪く、速度もおちてしまうほどだった。
 雪国の大雪の人々にとって、この雨もまた災害となり、すべて過ぎたるは及ばざるがごとし・・・。豪雪に対するボランティアに応募もできませんが、とにかく頑張ってくれるよう祈るばかりです。
 
 2月の末にシリコンバレーへの出張が決まり、スーツやらジャケットを買いに出かけた。ついでに、新宿の京王デパートの駅弁祭りにでかけてきたが、おびただしい人々でごった返していた。

 わたしは、またキャノンの最新版のDVDビデオカメラを購入した。ソニーのDVテープをもっているが、その編集が面倒なので、DVD方式のものを購入することにした。

 先日のハノイの出張の貴重な映像を操作の途中で失うなどというチョンボをしてしまったので、手数のかからないDVD方式を使うことにした。パナソニックのSDカードに撮る方式も検討したが、これがよかろうということで、DC20にした。SDカードは、まだ高いので。
 
 シリコンバレーでは、レンタカーを借りてその辺を走り写真とビデオにとる予定だ。それにしても、英語力をこれから整えようというわけだ。
  

  

中国の友人の便りに思う

2006-01-09 20:16:13 | Weblog
 わたしの中国の友人は、ついに事業を辞め、日本語教師になった、という手紙をもらった。
 理由は、詳しくは語ってくれはしなかったが、いろいろとあったのではないか、と思った。経済政策のありかたというか、地域地域の経済活動に対する地元当局の干渉というか、恣意的で場当たり的で、法治ではなく人治の経済施策に対して、ついていけなくなったのではないか、とおもう。
 
 また、友人の会社には、日本で倒産した会社の社長が、いた。わたしは、そんな人大丈夫ですか、とはとてもいえなかったが。そんな人が、何か悪いことをしていなければ・・・と思うものだ。日本で倒産して、夜逃げのようにして、中国にわたって成功?している人もいる、という。

 でも、うれしいことに、友人は日本語講師の職を得たという。この方は、日本語が得意で、わたしは日本語でメールのやり取りをしていて、なんというかほとんど中国人としての意識は、わたしは本来が鈍い性質なので、きにかけていなかったが・・・・。
 この時期に、日本語を若者に教える、といううれしい限りだ。たとえ、どんな教科書で幼稚園から大學ままで反日教育をうけとしても、日本語を学ぶことによって、日本に対する知識を、更にたかまるものであろう、と期待したい。
 しかし、日本語が流暢な政府の役人ほど、日本の悪口に等しいような放言のような捏造発言をしているものが多い、という。
 
 しかし、中国共産党政権の成立時期に、どれだけ日本と日本人が協力したのか、此の際そうした実績を是非だれかにまとめてほしいものだ、と思うものです。

 恩を仇で返す、というのは日本ではもっとも嫌われ者だ。我々日本人は、奥ゆかしいので、他人に与えた援助というものを語らず、美談にされるのを嫌う傾向があるが、ベトナムのように道ひとつにも、ODAによるものである、とはっきり国民に訴えてくれるような、国家としての腹の座った国には、我々も更に援助をしたいものだ。

 日本のいろんな風俗や水商売などで働く密入国者やオーバーステイの中国人の諸君に、金のためには何でもするんだろうが、日本という国についての良さを学んで帰ってほしいものだ。
 
 われわれは、あまりに現代史をしらなすぎるので、是非再教育教室などを設けてもらいたいと思うものです。