特に、気候が温暖な南部は、タバコや綿花などの大規模プランテーション農業で栄え、ミシシッピ川を越えた地域への進出にも関心が高まります。
そこは、フランスの植民地で、ルイジアナと呼ばれていました。
そのフランスは、当時ナポレオン戦争の真っ只中にありました。
ナポレオンは、ルイジアナの植民地経営がなかなかうまくいかないこと、敵対するイギリスがカナダから攻め込んできた場合、防衛することが難しいことなどから、むしろアメリカ合衆国に売却し、その利益を戦争の費用にあてることを選びました。
1803年、ルイジアナ購入によって国土が倍増したアメリカ合衆国の人々は、さまざまな困難に打ち勝って西部に土地を開拓していきます。
「ミシシッピには金鉱がある!」この噂に人々は熱狂した。ルイ15世の時代、フランスはアメリカ・ミシシッピ川流域を中心としたルイジアナを植民地としていたが、当時は資源も産業も乏しい荒れ野。ミシシッピ会社はその独占開発権を持つ国営企業だが、実態のないペーパーカンパニーだった。ところが政府が、金鉱を掘り当てたなどと宣伝して、この会社の株式の販売を始めたところ大人気となり、株価が急上昇する。株式や不動産などの価格が、実態から乖離(かいり)した水準に跳ね上がるバブルの発生だ。
1720年に起こった「ミシシッピバブル」は、チューリップの球根が高値を呼んだオランダの「チューリップバブル」、イギリス政府が売り出した南海会社の株価が暴騰した「南海泡沫事件」と並ぶ世界三大バブルの一つだが、その規模と経済に与えた影響は桁違いに大きかった。
ミシシッピバブルの首謀者はジョン・ロー、時の財務総監であり、「バンクロワイアル」という事実上の中央銀行の創設者でもあった。ローはイギリス人で、女性を巡っての決闘で相手を刺殺し死刑判決を受けるが、刑務所から脱走してフランスに流れ着いた「お尋ね者」。ところがローは、自らの「経済政策」を政府に売り込んで気に入られ、強大な権力を手中にする。
1719年~1721年 ミシシッピバブル↑
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