❨812❩1973.11.19.月.晴/日本人ヒッピーたちのいるユース・ホステル/マドリード:スペイン
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体育館でスペインから上がって来た旅行者に「マドリードに日本人ばかりがたむろしているユースホステルがある」というのを聞いていた。哲夫はヨーロッパではそんな話は聞いたこともなく、パリでも一人か二人、グループでも三、四人は見た事はあるが、十人以上がそれも長い人では一ヶ月以上滞在しているユースホステルなどいままで無だった。それで哲夫は興味を持って、マドリードに行ったら訪ねてみようと思った。地下鉄ラーゴ駅で降りるとカサ・デ・カンポという森の中で、駅前の売店でユースホステルの場所を聞くと、「左手のオリーブの並木道を真っすぐ歩いていけ」と言われた。正面に小さな池が有り、しばらく並木道を歩くと、遊園地に出た。ユースホステルはこの遊園地と同じ森の中で、軍隊兵舎の跡に建てたにしては洒落た平屋建てのコの字の建物だった。中庭がだだっ広く、正面が事務所兼食堂で、我々旅行者が泊まる建物は右側の建物だった。玄関の横の所に、薄汚い洗濯物が干してあり、入口の段の所に一人の日本人が座っていた。哲夫が「やあ、」と声を掛けると、彼は黙って中に入れと手招きをした。中に入ると、教室みたいに部屋が続いていて中に、二段ベッドが四つずつ並んでいた。夕方のせいか所々空いているが、それぞれのベットに日本人が十人程いた。そして、入口の一角に黒いカーテンで仕切られた部屋が有り、哲夫が中に入ると、正面に荷物の入った大きな括り付けのロッカーが有り、左右に二段ベッドが置いてあり、その真ん中にテーブルと椅子が有り、三人の日本人が座っていた。後からさっき入口に座っていた日本人が来て、四人に成った所で、哲夫と挨拶を交わした。どうやらこの四人でこのユースホステルに来る日本人を仕切っているらしく、それぞれに役名が附いていた。ベッドも決まっているらしく、向かって右の下が番長、左の下が副番長、右の上が事務長、左の上が通訳と決まっていた。番長、正式にはマドリードユースホステル日本人学校番長と言い、大抵一番このユースホステルで古く滞在している人がなり、なかには三ヶ月も滞在している者もいた。番長は世襲制で、この番長がユースホステルを出る時は一昼夜パーティーをやり、副番長とビノの盃を交わして番長の座を譲る。副番長は番長が街に酒飲みや女を買いに行っている時などに番長を代行する。すなわちこの部屋には、常時必ず番長か副番長が居るのである。事務長はこのユースホステルの世話役で、新入生、初めてユースホステルを訪ねた人のベットの手配や食事の方法、その他ここでの生活の全てを教える。通訳はこのユースホステルで一番スペイン語の達者な人がなり、他の外人とのトラブルやこのユースホステルの管理人に日本人の待遇改善、もしくは食事の改善などを要求する時に活躍する。この番長室は、我々日本人貧乏旅行者にとっては大変便利なものである。街に出掛けている時やスペイン、ポルトガル、ちょっとジブラルタル海峡を渡ってモロッコなどを短期旅行する時などは、ここに大きな荷物を預けて於ける。要するにただのロッカーがあるみたいなもので、スペインの駅のロッカーは預けて於いても中の荷物が抜き取られる事が有るのでずっと安全度も高いという訳だ。それにお金が盗まれたり、無く成ったりした旅行者にはしばらくお金が出来るまで無料で泊まる事が出来た。哲夫はなるほどと思った。これはヨーロッパ番の互助会、いや救世軍かもしれない。困った人の人助け、いやルーズな人の人助けか、実際助けられてここを出て、アルバイトをしてたくさんのお金を援助していく人もいるらしい。哲夫はとにかく厄介になる事にして、事務長にベッドを案内して貰った。
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