尚樹は『サラリーマン社長』の奥村に語気を強くしてこういった。
「もう半年話しているのに話が進まないじゃないですか!
奥村さん、実務的な話しをしたいんです!」と。
尚樹がなぜ社長に対して『奥村さん』というのか。
それは、奥村が常務時代に親しく話していた時の名残であった。
今はもう『親しい関係』ではない。
尚樹は奥村のことを『使いの丁稚』くらいにしか思っておらず見下していた。
それからふた月して『実質的な社長』である婿養子の大三郎から、
「話があります。」と、直属の上司から聞かされた。
尚樹は「(いよいよ、本丸攻めだな)」と、内心思った。
新築された二階建ての事務所兼詰所の一階にある『会議室』に事務員に招かれると、
5分程してから、大三郎が長身にスーツを身に纏って入ってきた。
尚樹は「(相変わらず、形から入る奴だな)」、
元々、尚樹は大三郎が好きではなく、いわゆる『KY』である大三郎は、
尚樹が毛嫌いしているのを気づかずずかずかと話しかけてくるタイプで、
尚樹の苦手なタイプであった。
大三郎は手に何も持っていなかったが、開口一番「尚樹くん、いくらならいいの?」
尚樹はこころの中で「(でた!専務の品格も何もない)・・・。」と思ったが、
即答はしなかった。
実際にいくらが相場なのか、司法書士にも弁護士にも事前に相談しなかったからだ。
それは、尚樹の頭の中に思いつかない発想だった。
なぜなら、足の切断事故以来、毎年の入院~手術でそこまで頭が回らなかったからだ。
「(さて、どうしたものか・・・)」と思いながら、本論には入らず話しをかわした。
「専務、足が無くなるということは~。」と、約30分かけて『障害を持つ身』と、
事故があった同じ場所で働かされることのプレッシャーを懇々と話した。
結局、その日は金額の答えは言わずに話し合いを終えた。
「その四」につづく
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尚樹は気脈の通じている直属の上司に「退社」の意志を告げた。
直属の上司は、以前勤めていた会社を辞めこの会社に就職したので
なんらかのアドバイスを貰えると思ったからだ。
アドバイスの内容は要して『立つ鳥跡を濁さず』というものだった。
その時、会社との交渉は始まっていたが、
『暖簾に腕押し』の対応に業を煮やしていたところだった。
そんな中の『立つ鳥跡を濁さず』のアドバイスは「熱した鉛を飲む」思いで聞いた。
尚樹の勤める会社は、尚樹が勤め始めた当初は
創業者が社長を務める言わば「ワンマン」の会社であった。
その当時は立ち上げ当初の会社員も居て、夏場など社長の号令で一部の社員に
拘束時間中だというのにバーベキューの用意に走らすなど良い面もあった。
しかし、創業者が会長に退き創業者メンバーで「社長の右腕」と頼る常務が社長になり、
創業者の娘婿が専務に就くと、専務の専横が始まり、会社の業績は上がったが、
会社全体に一体感が無くなり、「物言わぬロボットが作っている」様だった。
全てがシステマチックになり、他言は許されなくなった。
そんなところで「保証」を求められる状況では無かったが、
尚樹は「どうせ辞めるのだから・・・」と、半分自暴自棄になり交渉に挑んだのだが、
交渉相手が、元常務で今はサラリーマン社長の奥村であったので
具体的な話にはならなかった。
本丸の娘婿専務である大三郎を引き出さなければと思っていた。
しかし、この専務の大三郎、正社員の経験が無く、また高校に進学せず
ブラブラしていて、その時たまたま交際していた
当時の創業者社長の娘と付き合っていて、子を孕んだので息子の居ない社長家に
婿養子として入ったのだ。
大三郎の専横振りは、その時の社員を震え上がらせた。
「全ては金」という考えの基、「札で頬を叩く」様な振る舞いで、
またそれを注意する古参の社員も首をすくめていた。
尚樹はそんな相手と交渉のテーブルに着こうとしていた。
「その3」につづく
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直属の上司は、以前勤めていた会社を辞めこの会社に就職したので
なんらかのアドバイスを貰えると思ったからだ。
アドバイスの内容は要して『立つ鳥跡を濁さず』というものだった。
その時、会社との交渉は始まっていたが、
『暖簾に腕押し』の対応に業を煮やしていたところだった。
そんな中の『立つ鳥跡を濁さず』のアドバイスは「熱した鉛を飲む」思いで聞いた。
尚樹の勤める会社は、尚樹が勤め始めた当初は
創業者が社長を務める言わば「ワンマン」の会社であった。
その当時は立ち上げ当初の会社員も居て、夏場など社長の号令で一部の社員に
拘束時間中だというのにバーベキューの用意に走らすなど良い面もあった。
しかし、創業者が会長に退き創業者メンバーで「社長の右腕」と頼る常務が社長になり、
創業者の娘婿が専務に就くと、専務の専横が始まり、会社の業績は上がったが、
会社全体に一体感が無くなり、「物言わぬロボットが作っている」様だった。
全てがシステマチックになり、他言は許されなくなった。
そんなところで「保証」を求められる状況では無かったが、
尚樹は「どうせ辞めるのだから・・・」と、半分自暴自棄になり交渉に挑んだのだが、
交渉相手が、元常務で今はサラリーマン社長の奥村であったので
具体的な話にはならなかった。
本丸の娘婿専務である大三郎を引き出さなければと思っていた。
しかし、この専務の大三郎、正社員の経験が無く、また高校に進学せず
ブラブラしていて、その時たまたま交際していた
当時の創業者社長の娘と付き合っていて、子を孕んだので息子の居ない社長家に
婿養子として入ったのだ。
大三郎の専横振りは、その時の社員を震え上がらせた。
「全ては金」という考えの基、「札で頬を叩く」様な振る舞いで、
またそれを注意する古参の社員も首をすくめていた。
尚樹はそんな相手と交渉のテーブルに着こうとしていた。
「その3」につづく

その男は「尚樹」といった。
その特徴は、右足の膝から下が無いことだった。
原因は尚樹が努めていた頃の会社での労災事故であった。
その作業は当時誰もがなんの疑問も持たずに行っていた作業であったが、
思わぬ偶然から、右足を失ってしまったのだ。
公的には「障害者」という扱いを受けある程度は面倒を見てくれるが、
当時、努めていた会社の態度は冷淡なものであった。
事故から2年も経つというのに「保障」の話し一つ持ってこなかったのだ。
中小企業であり、今回のような大きな事故は会社にとって初めてだった。
尚樹の2年間というものは、入院当初はそれなりの扱いであったが、
退院すると、「即現場復帰」を求めた。
「イスに座れば出来るだろう」ということだった。
尚樹はその言葉を聞いて愕然とし、
内心、「この会社で努め抜くことは無理だろう」と静かに退社の決意をしていた。
そのきっかけが会社からの「保障」だったのだが、
この2年間というもの一向に来ないものだから、
1年に一度は入院、手術をしていた尚樹もしびれを切らしているところだった。
「その2」につづく

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その特徴は、右足の膝から下が無いことだった。
原因は尚樹が努めていた頃の会社での労災事故であった。
その作業は当時誰もがなんの疑問も持たずに行っていた作業であったが、
思わぬ偶然から、右足を失ってしまったのだ。
公的には「障害者」という扱いを受けある程度は面倒を見てくれるが、
当時、努めていた会社の態度は冷淡なものであった。
事故から2年も経つというのに「保障」の話し一つ持ってこなかったのだ。
中小企業であり、今回のような大きな事故は会社にとって初めてだった。
尚樹の2年間というものは、入院当初はそれなりの扱いであったが、
退院すると、「即現場復帰」を求めた。
「イスに座れば出来るだろう」ということだった。
尚樹はその言葉を聞いて愕然とし、
内心、「この会社で努め抜くことは無理だろう」と静かに退社の決意をしていた。
そのきっかけが会社からの「保障」だったのだが、
この2年間というもの一向に来ないものだから、
1年に一度は入院、手術をしていた尚樹もしびれを切らしているところだった。
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