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車を手放す!?

2020年05月02日 | 雑感
私が、自動車(以下、車)に乗り始めたのは、二十代の半ば頃のことです。免許を取って、乗らないと運転を忘れてしまうと思って、古い中古車を買ったのが始まりでした。それから四十年近くの間、よくもまあ、というぐらい、古い中古車を乗り継いで、また乗り潰してきました。その間、いろんな事がありました。

で、今から数年前に、最後の車を手放して、身近な移動は、全て、自転車でやることにしたんです。

いやぁ、車が無くなった時は、生活が、いったいどうなるか、ウーン、かなり複雑な思いがしたものです。

曰く、お買物が不便になるだろうなぁ、実家に帰る時は、どうするんだろう?たまの車で遠出も面白かったしなぁ、資料を探して全国の行脚もしたよなぁ、などなど・・・

でも、今は、なんせ、乗り物は自転車だけですから、例えば、お買い物は、シコシコ、って言うんでしょうか、キコキコかな?そんな風に自転車を漕いで、体力勝負みたいな感じで出かけるしかありません。

ウチの辺りは丘陵地帯で、もう坂が多くて、ホントに体力勝負な面が多いです。特に、お買い物なんか、もう、出来るだけ行く回数を減らす為に、いっぱい買い込んで、重い段ボール箱を小さな荷台に載せて、いやぁ汗、汗・・。

最後の車が売れて、少しだけお金が入った時には、それでバイクでも買おうかと、一時は思ったんですが、やめました。と言いますのは、バイクですと、やはり、登録に始まって、やれ税金だ、やれ保険だ、ガソリンだ、なんだかんだで、それは、私にとっては、もう、どうでもいい事で、そうした事に煩わせられたくないという気持ちがしたからです。

で、その後は、実際に、そうしたものが無くなったせいか、なんだか、開放感と言いますか、ある種、のんびり感のようなものが出て来て、自転車の走る遅さも、思ったほど気にならなくて、もう、お買い物の時なんかも、マイペースで、季節を感じながら、走るのを楽しむ気持ちも出て来たんです。

そうだ、何も、アタフタと出かけて、バタバタと動き回り、そそくさと帰ってくることも全然なかったんだ、という事に気が付きました。

車があった時は、いろいろ大変でした。車検を自分でやったり、税金、保険、ガソリン代などの費用もかかり、ガソリン代なんかは、税金を含めた金額に消費税がかかるという、二重課税という、わけの分からない事になっているんじゃなかったでしょうか。そして、免許証の書換えなどの手間もかかります。そして、その費用を捻出する為に、あれこれ、やらずもがなの事をしなければなりません。なぜ、あんなに、あれこれと厄介な仕組みになっているのでしょうか?

あれは、思いますには、やはり、裏でレプティリアンが絡んでいるのではないかと思います。人間を、そういう煩わしさにとらえられさせて、波動レベルを下げさせ、同時にお金を搾り取り、支配するという事ですね。彼らにとっては一挙両得な仕組みなわけです。

でも、もう、私には、そういうものはありません。自転車で行く道には、当然、上り坂があれば、必ず下りもあります。上り坂でひと汗かいた後の、下り坂の爽やかさ、というものもあります。

そして、何よりも、目的地へと急いで行く、という発想から、離れることが出来たのが大きいです。何処かへ出かけるなら、目的は、出かけることそのものにあり、お買物が目的なら、その目的は、行き道も帰り道も含めてお買物なのだから、ゆっくりとその全過程を味わえばいいんです。何も、急いで出かけて急いで帰ってくるという事でなくていいわけですね。

私は、車を手放したお陰で、現文明の持つ特徴である、ある種の慌しさ(波動レベルの低さ)から、ひとつ開放された気がします。

車のない暮らし、思ったより良いかもです。

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