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意識の光と闇

2019年02月13日 | 光エネルギー
昨日(2/12)、コメント覧に書き込みを頂いた方の、ご意見にお答えしようとしましたが、ちょっと面白いし、長くなってしまいますので、記事にさせて頂きます。

ここで、これまで、ご説明して来た趣旨によりますと、宇宙に存在するものは全てが光だという事なんです。

まず、素粒子があります。その素粒子が幾つか集まったものが物理的な光の粒子で、それがまた集まったものが電子や原子などの物理的な存在です。つまり物理的な存在も、元々は光だという事ですね。

そして、また、素粒子は私たちの霊を構成するものですが、それ自体にも、固有のエネルギーがあり、それは私たちの意識や想念と同じものだという事でした。これは過去の記事でご説明して来た事です。

そして、それにもまたエネルギーレベルがあり、意識の周波数によってエネルギーレベルが違う、という事でした。善意や喜び、誠実、親切などの思いや感情が、より周波数が高い状態だという事でした。逆に、怒り、妬み、うらみ、悲しみなどの思いや感情は、より周波数が低い状態です。

で、これは程度の問題でもあるわけなんです。少し嬉しいよりは大感激した方が、周波数がより高く、波動で言えば、精妙な波動と言うのでしょうか、そういう状態なわけです。また、ちょっと腹が立った状態よりも怒り狂った状態の方が、周波数が低い、つまり波動ということで言えば、荒い波動だという事ですね。

そして、そのエネルギーレベルの低い意識、つまり周波数で言えば周波数が低い、波動で言えば波動が荒い側から見ると、よりエネルギーレベルの高い方、つまり周波数で言えば周波数がより高い、波動で言えば、より波動が細かい側の意識体、これは霊の事ですが、それは光に見える、つまり、その(対象の)霊の意識が変わると、明るく(つまり光に)見えたり、暗く見えたりする、ということなんです。

つまり、そういう素粒子のエネルギーも、素粒子が霊(意識体)の構成要素なわけですから、(物理的には見えなくても)霊的な目で見ると光に見えるわけで、それは物理的な光ではありませんが、明るい暗いという見え方、ということで言えば、光には違いない、ということなんです。

ですから、逆に、より意識の高い側から低い側を見る(つまり意識を向ける)と、暗く見えるということなんです。そして、ずっと意識レベルの低い側の存在を見ると、闇に見えてしまうということなんです。

ちょっと親切な人と、愛に溢れた人が並んだら、愛に溢れた人の方がずっと光って見える、特に霊的な目で見れば、そう見えるという事です。で、そのちょっと親切な人が、ちょっと意地悪な人と並んだら、ちょっと親切な人の方が、より明るく見えるわけです。そのちょっと意地悪な人が、悪意に満ちた人と並んだら、ちょっと意地悪な人の方が明るく見えることでしょう。

つまり、光があるとか明るいということは、そうした関係性でも言えるわけで、相対的なものとしても、明るい暗いということが言えるということです。真っ暗な所に居れば、少しの光でも、明るく見えるかも知れないわけです。これは、光か闇か、善か悪か、という二元性の問題ではない事は、ご理解頂けると思います。

さて、こういうおさらいをした上で、ご指摘の記事を見て行きますと、

まず、ご紹介したビデオですが、それは、亡くなった人が光を見ても、それは転生輪廻に引き戻す為の罠だから、その光の方へ行ってはいけない、という内容だったわけです。で、私の言わんとする事は、その光というものは本当に罠でしょうか、必ずしも罠であるとは限らない、という事なんです。

これは、ケースバイケースであるとも言えるでしょうけれども、亡くなって闇の中に居る霊人を導く為に光が用いられる場合もあり、それを一様に罠であると決めつけ、生前に、死後それを避けるように人々に吹き込む事は、その、光による善導の機会を失わせる事にもなる、という事なんです。

もし人々に注意を促すとすれば、亡くなった時に光を見た時には、光にも色々あるでしょうから、その光をよく見て、それがどういう性格のものか判断するようにすべきである、ということではないでしょうか。

まあ、そのようなことで、記事についてご注意を促して下さり、感謝しております。

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