4月に有田市の皆さんに寄せていただいた際に定年65歳以降になって役立つがどうかわからないけれど猫の手も借りたい時期に研修と言う形でお手つだいさせて頂ければという提案をさせていただきました。もちろんノーギャラです。(これが肝要)
現在は働いていますので二重就業は禁止されておりアルバイト収入を得ることができません。しかし65歳以降ですぐに農作業などできるわけなく、おそらく、足手まといになるばかりなので離陸期間が必要ではないかと思います。
このような話を先般他の農園主様にお伺いしたところ・・少し微笑んで黙って首をかしげておられました。
「まぁ、サラリーマン生活を続けていて、できるかいな。すぐにアゴだしよるでーーー。」
ぐらいが正直感想ではないかと想像します。
なぜに私がそう思うのは 食料の自給率のどうのというややこしいことでなく、また諸先生方の難しい農業政策論などでなく
いままでの人生で物を作って、栽培して感動を得たり、実感したことないから。
ごく単純な動機です。
流通業に勤務していたときは食料品を値付けして横流しで言葉は悪いがピンハネしていたにすぎません。たしかに販売は商品知識とセールストークが重要でそれは相応には磨きがかかりました。しかし実感がなかったなというのが正直の感想です。複雑な書類を一杯エクセルで作り上げたこともありますがそんなもの今から思うとただの紙くずでした。
現在は一日PCとにらめっこの仕事です。そのような仕事がいつまでもジジィに続くわけがありません。人生の岐路が待ち構えているのです。
ところでミカンの話に戻すと・・
収穫されたミカンはちょっと枝ずれしたものや、鳥がつついたものは味は同じなのに表面の色がことなっていただけでジュース用としてはねられてしまい商品価値がないものとレッテル張りされてしまうのも実に惜しい。そのため廃棄処分される黄金の蜜柑も多数あるようです。
これでは資産がリッチな園主様にしてもがっかり感があるのでは?と思ってしまいます。
一方で、商品化されるミカンの規格はかなり高レベルを要求されるもののようで、先般グレープフルーツを収穫体験させてもらった時に果実を木からはさみで切る際、果実には枝の部分を残さないでください。と教えてもらった。
その理由は枝の部分があるとその残った枝が機械で選果の際、綺麗な他の果実を傷めてしまい、その傷から傷みが進行するからとのことであった。
なるほどと思う。
そのような色々な気遣いやご苦労があり店先に並ぶミカン。店頭に並ばないミカンにも同情しそれも全部買って食べたいとつくづく思ってしまいます。
園主様が
「Hさん、10キロ 奈良で6000円のみかんを作出するために働いているようなもんですわ・」と笑ってつぶやかれた。
それが結局真実なのかもしれません。
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