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ハチの家文学館

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バイクの想い出

2012年09月24日 10時07分36秒 | ハチパパのひとり言

一昨日、鎌倉へバイク(と言っても原チャリ)で出かけたが、わずか30分余りの運転と言えども、暑さもあってちょっぴり疲れた。バイクと言えば若い時の想い出が蘇る。

私が初めて運転免許をとったのは、16歳になって約2週間後の昭和35年8月29日、自動二輪免許である。父親がインディアンというアメリカ製?のオートバイをサイドカー付きで乗り回していた頃で、ホンダのパタパタという原動機付き自転車も我が家にあった。ちなみに普通免許は昭和37年1月に17歳で取得している。高校二年のときに自動車学校の随時科2週間コースで、1週間後に受験したところ合格してしまった。受講料の半分を返還請求したものの、返してもらえなかったのを記憶している。当時、家にはマツダの自動三輪車があって、無免許で乗り回していたから実地試験も一発だった。今の世の中ではありえない怖い話である。

私の故郷浜松は、ホンダ、ヤマハ、スズキで有名なオートバイの産地である。社会人になって兄のホンダCB250で、深夜の国道1号線を時速77キロでセンターライン越しに7台のトラックなどを追い抜き、パトカーに捕まったことがあった。若さゆえの無茶苦茶な時代だった。かなり高額の罰金を払った記憶がある。それにも懲りずにバイクを乗り続け、最初のツーリングで革ジャンを着込み、ホンダCLに跨って伊豆半島を一周したのを今でも鮮明に覚えている。このとき、熱海の自殺の名所錦ヶ浦で出会った西ドイツの青年ライワー・フリッツさんを思い出す。そのとき撮った白黒写真が懐かしい。

蛙の子は蛙というが、息子たちも大学生時代バイクに一時凝っていた。長男はヤマハの名車CL400を中古で買って乗り回していたし、ホンダのオフロードバイクにも乗っていた。二男は専ら私のホンダスーパーカブを通学に使っていたが、戸塚駅近くの駐輪場で盗まれてしまった。ホンダのリードを中古で買って廃車にしたときは、やはりスーパーカブの新車を買ったが、すぐに事故ってしまった苦い思い出がある。このホンダスーパーカブは、1952年発売以来60年経つが、耐久性に富み低燃費・高性能を実現、ビジネスバイクの代名詞として、累計販売台数は2011年末時点で7600万台を突破、輸送用機器の1シリーズとしては世界最多販売台数を記録しているそうだ。

それから水冷エンジン搭載のホンダクレアを、イタリア映画『ローマの休日』でグレゴリー・ペックが 演じる新聞記者とオードリー・ヘプバーンが演じるアン王女が、ローマ市内を二 人乗りして駆け回るベスパに似たスタイルと、クリーム系のツートンカラーに惹かれて購入したが、そのクレアに乗ってカミサンが保育園へ勤めに行く途中、信号無視でナンバーなしの高校生バイクに衝突され、左肩複雑骨折の大けがを負った。

この時の相手がもしも乗用車だったら、赤信号を走り抜けようと加速しているのでカミサンは死んでいたかもしれない。怪我しただけで終わったのは不幸中の幸い、神仏に守られていたとしか思えない。それまで子供好きで保育園勤めを10年以上していたものの、しばらく園児を抱っこすることも出来ない状態で保育園勤務を諦めた経緯がある。

クレアはその後エンジンが焼きついてしまい廃車、今はホンダトゥデイに乗っている。このバイクは、フォーサイクルで排気ガスもきれいで案外馬力があり、坂道の多い自宅周辺でも快適に走っている。購入後6年経過、走行距離は3千7百キロと少ないが、相変わらずピンピカでタイヤは新品に交換したばかり。時々しか走らないのにバッテリーも買った時のままで長持ちしている。黒とシルバーのツートンカラーも気に入っている。

時折、高速道路で乗用車の間を高速で走り抜けるオートバイを見かけるが、もう怖くてそんな真似はできないし体力もない。原チャリで近所をウロウロするのが似合っている年齢になった。  24/8/30草稿



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