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通州事件・済南事件をご存じですか?

2012年09月14日 | 日本学

尖閣国有化問題で邦人への暴行が多発しているという。かくて戦前の通州事件・済南事件を想起せざるをえない。

今や、中共は経済、資源、エネルギー、食糧‥‥等々、多くの困難な問題に直面し、発展の限界に突き当りつつあるのかもしれない。

ゆえに国外に解決の道を求めはじめているのであろう。

 

阪神淡路大震災、東日本大震災の日本人の対応と比べ、日中の国民性、民度の差があると言ってしまえばそれまでであるが、

いまこそ日本人は通州、済南事件を想起し、より慎重で、冷静な対応が求められる。


時事通信によると尖閣国有化問題で邦人への暴行が多発しているという

 2012年9月13日(木)

ますます暴動がエスカレートしそうな勢いである。これ以上、同胞の人的被害がなければよいが。

 

中国・上海市で日本人が中国人から暴行を受けるケースが相次ぎ、少なくとも4人が負傷したことが13日分かった。上海の日本総領事館によると、暴行は日本政府による尖閣諸島の国有化決定以降の10~12日の夜間に発生。歩道を歩いていた邦人が「ジャパニーズ」と言われ、麺を掛けられて負傷した事件もあったという。

また、邦人男性が中国人から「日本人か」と声を掛けられ、突然、足を数回蹴られ、打撲傷を負ったほか、深夜食事をしていた邦人グループが中国人から因縁を付けられて暴行を受け、2人以上がけがをした事件も発生。電動自転車に乗った中国人に炭酸飲料を頭から掛けられたケースもあった。

 また、邦人がタクシーで移動中、バイクの運転手がタクシー運転手に対して「金を払うので乗客を降ろせ」と要求したり、中国人から邦人がペットボトルを投げつけられ、「ばかやろう」と罵声を浴びたりしたケースもあったという。

 北京の日本大使館によれば、上海市以外で負傷者が出ているとの情報はない。中国では尖閣国有化を受け、反日感情が高まっており、日本大使館前では3日連続で抗議活動が発生。同館は13日、今週末から満州事変の発端となった柳条湖事件から81年を迎える18日にかけ激しい反日デモの発生が予想されるとして、在留邦人に注意喚起する通知を出した。 [時事通信社]


通州事件 1937年(昭和12 年)7月29日

 この通州事件は、昭和12年(1937)7月29日に起こった、中国人の保安隊による大規模な日本人虐殺事件です。殺されたのは、通州の日本軍守備隊、日本人居留民(多数の朝鮮人も含む)の約260名で、中国兵は、婦女子に至るまで、およそ人間とは思えないような方法で日本人を惨殺したのです。
 
 戦後の東京裁判で、弁護団は通州事件についての外務省の公式声明を証拠として提出しようとしました。しかし、ウェッブ裁判長によって、その申し出は却下されました。この事件にふれてしまうと、日中戦争は日本だけが悪いと言えなくなってしまうという判断があったからでしょう。ただ、通州事件の目撃者による口述書だけは受理されました。あまりに残虐な内容ですが、その一部を引用します。
 
 「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。某飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、婦人は14、5歳以上は全部強姦されていた。旭軒という飲食店に入ると、7、8名の女が全部裸体にされ、強姦射刺殺され、陰部にほうきを押しこんである者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに堪えなかった。
 
 東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合わせて、それに八番線を通し、一家6名数珠つなぎにして引き回した形跡歴然たる死体が浮かんでおり、池の水は真っ赤になっていた。夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛のごとく針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこそこのちり箱の中やら塀の陰から出てきた」

済南事件(1928)

日本側の参謀本部が編纂した『昭和三年支那事変出兵史』によれば、被害人員約400、被害見積額は当時の金額で35万9千円に達したという。日本人居留民の被害、死者12(男10、女2)、負傷後死亡した男性2、暴行侮辱を受けたもの30余、陵辱2、掠奪被害戸数136戸、被害人員約400、生活の根柢を覆されたもの約280、との記録が残っている。なお、日本軍の損害は、死者26名、負傷者157名。被害者の治療は同仁会 済南病院にて行われ、軍、警察、中国側の立会いの下に同病院内で検死が行われた。

日本人惨殺状況に関する外務省公電には、「腹部内臓全部露出せるもの、女の陰部に割木を挿し込みたるもの、顔面上部を切り落としたるもの、右耳を切り落とされ左頬より右後頭部に貫通突傷あり、全身腐乱し居れるもの各一、陰茎を切り落としたるもの二」とある。なお、居留民の虐殺については、「(犠牲者の)多くがモヒ・ヘロインの密売者であり、惨殺は土民の手で行われたものと思われる節が多かった」(佐々木到一少将、「ある軍人の自伝」)との見方もある。ただし佐々木到一氏は1928年5月3日の事件当時、他の被害者同様に中国側の兵士、民衆に暴行を加えられた上略奪も受けており、所持していた総司令部の護照のおかげで殺されずに済んだことを当時の陸軍省軍務局長 阿部信行宛の報告書「被害状況に関する件報告」(昭和3年5月8日 陸軍省歩兵中佐 佐々木到一)にて述べている。

中国側の資料によれば、中国側の被害は、軍・民あわせて、死者は「中国側済南事件調査代表団」の報告では「約3,000人」、「済南惨案被害者家族連合会」の調査では「6,123人」。負傷者数は「中国側済南事件調査代表団」では「1,450名」、「済南惨案被害者家族連合会」では「1,701名」とされている。

虐殺された日本人の遺体が済南病院で検死されている写真が、中国の新華出版社から出された『日本侵華図片史料集』や吉林省博物館に、731部隊が中国人に細菌人体実験をしている写真として掲載され、そのイラストが中学生用の歴史教科書にも掲載された。同様の写真は『朝日ジャーナル』(昭和59年11月2日号)の「東京裁判への道」(粟屋憲太郎)にも、日本軍が進めた細菌による人体実験の一場面として掲載された。また、平成4年11月21日夜10時からテレビ朝日が報じた「戦争とはかくも非人間的な行為を生むものか」と題した番組では、元軍医と元衛生兵が、吉林省博物館に掲げてある「七三一部隊細菌戦人体実験」(実際は、済南事件で虐殺された日本人の遺体が済南病院で検死されている写真)にひたすら謝罪した。     以上ウェキペディアを参照

  

 

 



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