日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

おヒマをやる。

2008年04月29日 | 言葉や思いをめぐらす日々
ようやくのようやくに、衣替えをした。

衣替えをするたびに、
「おヒマをやる」という言葉の、
美しさを思う。

「捨てる」とは言わずに「おヒマをやる」。

あぁ、昔の人は、
長々と服を(いや、着物だな)着倒したんだな、
と思わせられる。

だって、
絶対に、長々と働かせたものに対してでなければ、
「ヒマ」なんて言葉をあてがうなんて、
考えつかないもの。

しかもそこに「お」をつける発想は、
そのものに対して、情がもてなくては。

働いている人をやめさせるのにも、
「ヒマをやる」なんていうけど、
当たり前のようにその言葉が定着する前は、
それまで働いてくれたことに対する感謝の意を、
込めたい気持ちが源にあったからなんじゃないかって思う。

そこから派生して考えていくと、
「リストラ」っていうのは、
沢山の人たちに、思いを込めていては、
身が持たないところから、
やめさせる側が、
壊れないようにするために、
出てきた言葉って印象を持つ。

日本語だけじゃなく、
そこに英語や和製英語も含めて、
本質から少しずらした言葉を
あてがうということ。

昔は、
「この国の言葉とか、言い方って、
本質を隠す傾向があるから、
なにがなんだかよくわからなくなってくる」
って、時々思っていたけれど、

五行歌を始めるようになってからは、
本質を隠すためだけじゃなく、
思いを込めてしまうから、
変質するんだなって思うようになった。

まぁ厳密に言うと、
今のあてがい方は、どちらかというと、
「思いを込める」というよりも、
「かっこよさ」「軽さ」「防御」「ごまかし」という
動機からって、
気もしないでもないけれど。

去年の秋の衣替えの時、
迷った末に捨てなかったTシャツに、
小さなほころびを見つけた。

正社員として働いていた頃、
イヤイヤ行った慰安旅行で買ったもので、
かれこれ、15、6年の付き合いの
Tシャツだったんだけど。

愛着から、変に惜しむ気持ちを断つように、
ほころびを、さらに大きく引き裂いて、
そこらへんの棚のほこりを軽く拭いて、
「おヒマをやりましょう」と声に出して言った。

聞いてくれてたらいいんだけど。
Tシャツが(笑)

長い間、お疲れ様でした。

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