7月の半ばあたりから、
ようやく、住所変更のお知らせを、
あちらこちらに連絡し始める
(すいません。まだできていないところもあります××)。
で、このふたりには、ちゃんと会って、
連絡しようと待ち合わせした。
「五行歌の会」に入っている人でも、
もうご存じない方も多いかもしれませんね。
大西直子さんと、金美羽さんだ。
彼女らが東大阪歌会に来なくなって、
いや、「会」を退会してから、もう3年ぐらいは経っている。
★
この日は、大西さんと待ち合わせ。
彼女は今、ほぼ毎日、
パートだけれど、仕事に行っている。
「会」をやめる頃に働いていた
知り合いのところとは、また違ってたけど、
その同じ知り合いから紹介されたのだそうだ。
「経理なんですけどね……、もう、なんで私がそれをしてるの!?って
いうくらい、不得意なんですけどね……」
それでもかれこれ、3年目まで続いているらしい。
後日お話する、金さんもそうだけど、
本当に、中学生・高校生のお子さんを持つ母親の、
その激しい働き方に(でも年末調整は念頭に入れて)、
金銭的大変さを初めてリアルに感じた気がした。
そう。マホちゃんは、もう来年高校受験です。は、はや……。
私は私で、
新住所などを教えるのも忘れて
(結局、最後まで忘れてて、まだ連絡できてません……アホです)、
東大阪歌会の閉会の経緯を説明した。
彼女は私と会うと決まったときから、
その経緯をとても知りたがっていたから、
なるべく客観的に、冷静に見た感じで、細かく話す。
――うわぁ、甦ってくるなぁ。
大西さんが、歌会に来て、去っていく流れが。
話しながら、
何度か、回想のフラッシュバックがあった。
★
大西さんは、東大阪歌会を立ち上げた頃は、
まだ子どもさんが小さくて、
「10年過ぎて、子どもが大きくなったら行きます!」
と、言っていたけれど、
結局、待ちきれなくて、
一生懸命、旦那さんを説得して、
来てくれるようになったのだけど、
我を通したら、我を通したで、
不安感が増大し、
私や金さんに対する関わり方に、
少し粘り気が出るようになり、
それがどうしても、
私や金さんは受け止め切れなくて、
厳しい接し方にならざるを得なくて、
彼女が五行歌を離れると同時に、
それ以前から友達関係でもあったのだけど(大学が同じなのです)、
交流はなくなっていった。
……いや、厳密に言えば、うっすらとは、あった。
まだ、歌誌の方に、
『五行歌秀歌集Ⅰ』の評論?が、
掲載されていた頃。
丁度、金さんが、
「会」をやめようか悩んでた頃に、
増田幸三さんが、自分の歌を取り上げてくれて、
やめるのを、思いとどまりそうになった、
というお話を、彼女からの手紙で読んだことがあった。
(まぁ、でも結局は、その後すぐに、退会されたんですけどね)
その伏線があって、ほぼ一年後、
今度は素音さん(だったと思う。手元に本がないのでわからないけど)が、
大西直子さんの歌を、取り上げているのを目にした。
もう、その頃は、
すでに彼女との関係は途切れていたし、
同じような人間関係を築き上げるのは、
とてもしんどい、と思っていたので、
関わりあいたくない、という気持ちもあったのだが、
どうも私は、歌のことになると、
「それはそれ。これはこれ」になっちゃうらしく。
単純に、他人が、自分の歌を取り上げていると知ると、
もう歌を書いていなくても、それなりに嬉しいはずだ、
少なくとも、大西直子という歌人さんにとっては、
と思っちゃって。
ある程度、ドロドロした人間関係が、
時間に洗浄された部分も確かにあったのだろう。
「なんでこんな余計なことするの?」と、
自問自答しつつも、
全然行動は迷わずに、
その素音さんの評の部分をコピーして、
彼女に郵送していた。
通り一遍の……という言い方は、彼女に対して、
失礼かもしれないが、お礼のはがきが、しばらくして、
彼女から送られてきた。
このことが、さらに伏線になったのか、
彼女に確かめたわけではないけれど、
思い当たるとしたら、このコミュニケーションが、
要因のひとつにはなったのだろう。
その翌年。つまり今年。
彼女から3年ぶりぐらいに年賀状が届いた。
それまでは、年賀状も途切れていた仲だったのに。
で、この年賀状が送られてきたという事実が、
今回、彼女に会おうと決心する伏線に繋がったのだ。
★
結論から言うと、
わだかまりは氷解した。
同い年の私が言うのは、
なんだか上から目線みたいに響くので、
困ってしまうのだが、
やはり彼女は、3年前と比べると、
人に対する粘着力がほどよく緩んでいた。
潜在的には、今でもそういう資質はあるのかもしれないが、
働きに出て、いろんな人と接するようになって、
「この人しか、私を理解してくれる人はいない!!」とでもいうような、
焦燥感のようなものが、奥深くに沈んで、
あの頃のように、少なくとも表面的には
そういう要素は顕在化していなかった。
彼女は、あの頃、
私が金さん経由で聞いた私についての話を、
直接私に話したり、
彼女が、金さんにある話をして、
そのことで、金さんが私に
相談(愚痴?)していたことを、
直接私に話をした(あぁなんだかややこしい~)。
「今思い返すと、恥ずかしいです。とても謝りたかったです」
と、彼女は言ったけれど、
彼女が、そんな風にならずにはいられなかった、
奥の奥の背景を知ると、
それはそれで責められない話だと思った。
その事実は、とても衝撃を受けた。
信じられない、と、思ったけれど、
私と同じように思って、
彼女の話を信じようとしなかった、
彼女の愛する人たちの不理解ために、
彼女はとても孤独で、苦しんでいたのだと、
今回初めて知った。
後に、金さんにも、この事実は話したけど、
信じられないようだった。
でも、人々が信じられないことも、
これまた、どうしようもないことで。
ようやく、この1・2年で、
少なくとも、旦那さんだとか、
身内の人に、受け入れてもらって、
それで彼女は、ほんの少し、
楽になり、強くなったようだった。
これからも、彼女は大変だな、と思った。
話し相手ぐらいには、なれますから、
いつでも連絡してください、とお話した。
★
そんな彼女に、
私は東大阪歌会の「次」にしたいことを、
お話させてもらった。
何度も考え直した結果、
彼女と金さんには、ケジメをつけて、
それをさせてもらいたいと、やっぱり思ったからだ。
「できれば、それをさせてもらうことを、
『喜び』として、受け取って欲しいんです。
そうでなければ、やっても意味がないかもしれないとは、
思っているんですけど」
そんな風に話すと、
「歌会が終わる話を聞いて、
『稲田さん、大丈夫かな?』って感じたんですが、
なんか、ほっとしました。
稲田さんらしいです。そういう発想。楽しみにしています」
と、
この話をして、初めてドンビキしない人を見て、
ひどく安堵して、その場で泣いた。
自分でも「あぁ、もう、本当に大丈夫だ」と思った。
喫茶店を出る間際、
「多分、大西さんは、またいつか、五行歌を書き始めると思いますよ」
と言うと、
「今、もう、全然、そういう世界からは離れてますから、
自分がまた書き出すなんて、想像できませんよ!」
なんて言ってたけど、多分、この人は、
周りをオロオロさせてでも、
詠わずにはいられない、アレルギー症状が起こるだろうな、と思えた。
金さんには、思わなかったけどね(笑)。
で、できれば、どうせ書くなら、
人に読んでもらう方向へ行ってほしいな、とも思ったりした。
その時の「会」に対する、
敷居の高さを緩める役目を、
私が担おうとも、密かに決心したりもして。
大西さんとの話、もうひとつ、続きます。
ようやく、住所変更のお知らせを、
あちらこちらに連絡し始める
(すいません。まだできていないところもあります××)。
で、このふたりには、ちゃんと会って、
連絡しようと待ち合わせした。
「五行歌の会」に入っている人でも、
もうご存じない方も多いかもしれませんね。
大西直子さんと、金美羽さんだ。
彼女らが東大阪歌会に来なくなって、
いや、「会」を退会してから、もう3年ぐらいは経っている。
★
この日は、大西さんと待ち合わせ。
彼女は今、ほぼ毎日、
パートだけれど、仕事に行っている。
「会」をやめる頃に働いていた
知り合いのところとは、また違ってたけど、
その同じ知り合いから紹介されたのだそうだ。
「経理なんですけどね……、もう、なんで私がそれをしてるの!?って
いうくらい、不得意なんですけどね……」
それでもかれこれ、3年目まで続いているらしい。
後日お話する、金さんもそうだけど、
本当に、中学生・高校生のお子さんを持つ母親の、
その激しい働き方に(でも年末調整は念頭に入れて)、
金銭的大変さを初めてリアルに感じた気がした。
そう。マホちゃんは、もう来年高校受験です。は、はや……。
私は私で、
新住所などを教えるのも忘れて
(結局、最後まで忘れてて、まだ連絡できてません……アホです)、
東大阪歌会の閉会の経緯を説明した。
彼女は私と会うと決まったときから、
その経緯をとても知りたがっていたから、
なるべく客観的に、冷静に見た感じで、細かく話す。
――うわぁ、甦ってくるなぁ。
大西さんが、歌会に来て、去っていく流れが。
話しながら、
何度か、回想のフラッシュバックがあった。
★
大西さんは、東大阪歌会を立ち上げた頃は、
まだ子どもさんが小さくて、
「10年過ぎて、子どもが大きくなったら行きます!」
と、言っていたけれど、
結局、待ちきれなくて、
一生懸命、旦那さんを説得して、
来てくれるようになったのだけど、
我を通したら、我を通したで、
不安感が増大し、
私や金さんに対する関わり方に、
少し粘り気が出るようになり、
それがどうしても、
私や金さんは受け止め切れなくて、
厳しい接し方にならざるを得なくて、
彼女が五行歌を離れると同時に、
それ以前から友達関係でもあったのだけど(大学が同じなのです)、
交流はなくなっていった。
……いや、厳密に言えば、うっすらとは、あった。
まだ、歌誌の方に、
『五行歌秀歌集Ⅰ』の評論?が、
掲載されていた頃。
丁度、金さんが、
「会」をやめようか悩んでた頃に、
増田幸三さんが、自分の歌を取り上げてくれて、
やめるのを、思いとどまりそうになった、
というお話を、彼女からの手紙で読んだことがあった。
(まぁ、でも結局は、その後すぐに、退会されたんですけどね)
その伏線があって、ほぼ一年後、
今度は素音さん(だったと思う。手元に本がないのでわからないけど)が、
大西直子さんの歌を、取り上げているのを目にした。
もう、その頃は、
すでに彼女との関係は途切れていたし、
同じような人間関係を築き上げるのは、
とてもしんどい、と思っていたので、
関わりあいたくない、という気持ちもあったのだが、
どうも私は、歌のことになると、
「それはそれ。これはこれ」になっちゃうらしく。
単純に、他人が、自分の歌を取り上げていると知ると、
もう歌を書いていなくても、それなりに嬉しいはずだ、
少なくとも、大西直子という歌人さんにとっては、
と思っちゃって。
ある程度、ドロドロした人間関係が、
時間に洗浄された部分も確かにあったのだろう。
「なんでこんな余計なことするの?」と、
自問自答しつつも、
全然行動は迷わずに、
その素音さんの評の部分をコピーして、
彼女に郵送していた。
通り一遍の……という言い方は、彼女に対して、
失礼かもしれないが、お礼のはがきが、しばらくして、
彼女から送られてきた。
このことが、さらに伏線になったのか、
彼女に確かめたわけではないけれど、
思い当たるとしたら、このコミュニケーションが、
要因のひとつにはなったのだろう。
その翌年。つまり今年。
彼女から3年ぶりぐらいに年賀状が届いた。
それまでは、年賀状も途切れていた仲だったのに。
で、この年賀状が送られてきたという事実が、
今回、彼女に会おうと決心する伏線に繋がったのだ。
★
結論から言うと、
わだかまりは氷解した。
同い年の私が言うのは、
なんだか上から目線みたいに響くので、
困ってしまうのだが、
やはり彼女は、3年前と比べると、
人に対する粘着力がほどよく緩んでいた。
潜在的には、今でもそういう資質はあるのかもしれないが、
働きに出て、いろんな人と接するようになって、
「この人しか、私を理解してくれる人はいない!!」とでもいうような、
焦燥感のようなものが、奥深くに沈んで、
あの頃のように、少なくとも表面的には
そういう要素は顕在化していなかった。
彼女は、あの頃、
私が金さん経由で聞いた私についての話を、
直接私に話したり、
彼女が、金さんにある話をして、
そのことで、金さんが私に
相談(愚痴?)していたことを、
直接私に話をした(あぁなんだかややこしい~)。
「今思い返すと、恥ずかしいです。とても謝りたかったです」
と、彼女は言ったけれど、
彼女が、そんな風にならずにはいられなかった、
奥の奥の背景を知ると、
それはそれで責められない話だと思った。
その事実は、とても衝撃を受けた。
信じられない、と、思ったけれど、
私と同じように思って、
彼女の話を信じようとしなかった、
彼女の愛する人たちの不理解ために、
彼女はとても孤独で、苦しんでいたのだと、
今回初めて知った。
後に、金さんにも、この事実は話したけど、
信じられないようだった。
でも、人々が信じられないことも、
これまた、どうしようもないことで。
ようやく、この1・2年で、
少なくとも、旦那さんだとか、
身内の人に、受け入れてもらって、
それで彼女は、ほんの少し、
楽になり、強くなったようだった。
これからも、彼女は大変だな、と思った。
話し相手ぐらいには、なれますから、
いつでも連絡してください、とお話した。
★
そんな彼女に、
私は東大阪歌会の「次」にしたいことを、
お話させてもらった。
何度も考え直した結果、
彼女と金さんには、ケジメをつけて、
それをさせてもらいたいと、やっぱり思ったからだ。
「できれば、それをさせてもらうことを、
『喜び』として、受け取って欲しいんです。
そうでなければ、やっても意味がないかもしれないとは、
思っているんですけど」
そんな風に話すと、
「歌会が終わる話を聞いて、
『稲田さん、大丈夫かな?』って感じたんですが、
なんか、ほっとしました。
稲田さんらしいです。そういう発想。楽しみにしています」
と、
この話をして、初めてドンビキしない人を見て、
ひどく安堵して、その場で泣いた。
自分でも「あぁ、もう、本当に大丈夫だ」と思った。
喫茶店を出る間際、
「多分、大西さんは、またいつか、五行歌を書き始めると思いますよ」
と言うと、
「今、もう、全然、そういう世界からは離れてますから、
自分がまた書き出すなんて、想像できませんよ!」
なんて言ってたけど、多分、この人は、
周りをオロオロさせてでも、
詠わずにはいられない、アレルギー症状が起こるだろうな、と思えた。
金さんには、思わなかったけどね(笑)。
で、できれば、どうせ書くなら、
人に読んでもらう方向へ行ってほしいな、とも思ったりした。
その時の「会」に対する、
敷居の高さを緩める役目を、
私が担おうとも、密かに決心したりもして。
大西さんとの話、もうひとつ、続きます。