『徹子の部屋』をTVでつけっ放しにしていたら、終戦記念日weekということで、すでに亡くなられたいろんな方々の、戦争体験をお話されている部分のVTRを流し続けていた。
TVの見えないところで、
のんびりとお昼寝をしていたけど、耳はダンボ。
淡谷のり子さんのところで泣けた。
15,6歳の特攻隊員の子達が、
命令が下り、歌の途中で、敬礼をして、
二度と戻ってはこない戦地へ行くから、歌が歌えなくなった、という話。
TVを見ていないと思った夫が、
レンタルしてきた『カンフーハッスル』を見ようと、
チャンネルを切り替えた時、
涙ながらに枕を投げたほど(笑)、こたえた。
そして、ひとしきり、「戦争は嫌だ」と思いつくした後、
「伝え方」ということについて、考え始める。
★
いわゆる「ファーストガンダム」と呼ばれている、
ガンダムのお話がはやった頃、
私は十代だったのだが、
いろんな側面があるにせよ、
ガンダムも、戦争の悲惨さを物語っているよな、と思う。
(映画ではなく、TVシリーズのほうが、特になんだけど)
富野監督(か安彦良和さんのほう)って、
戦後の人だと思うけど、
戦争の中の一般市民が一番こたえるむごいことは何か、
ものすごく、把握できてる人なんだろうな、って、
思ったことがある。
ふるさとへ戻ろうとしたら、そこは戦争のため、
ただの「穴」になっていて、呆然と母親が立ち尽くす、とか、
最後の戦いで、状況不利になっているジオン軍のパイロットが、
ほとんど、学徒動員兵で、
死に際「おかぁさ~ん」と叫ばせるとか。
こういうディテールが、『ガンダム』の中には、
沢山施されている。
メインのあらすじの流れでは、
ミハルというスパイの女の子が死ぬ時に、思う。
(知らない人は、すいませんね~)
NHKの『アニメ夜話』だったかな。
ミハルという女の子が死んだところで、
戦争が終結するとか、戦局が変わるとか、
そういうことには一切ならない。
そういう戦争における
何の影響力もない死が描かれているというところに、
感銘を受けたという人がいた(と思う)。
(カイという男の子には、すごく影響したけれどね)
現実の戦争においては、
そういう死が、ほとんどだということを
その物語の中で、洞察されている方がいて、
本当にそうだと共感した。
富野さん(安彦さん?)に戦争の悲惨さを伝えた人は、
身内の人なのか、そうでない人なのか、
どんな人なのか知らないけれど、
ちゃんと伝えて、キャッチして、
富野さんは富野さんのやり方で、伝えたのだ。
子供達を中心とした、人々に向かって。
★
それと同じくらい、
上の世代からちゃんとキャッチして、
自分の世界に取り込んで、
また下の世代に投げ返したんだな、と思った人が、
もうひとりいる。
宇多田ヒカルさんの旦那さん。
紀里谷さんだ。
『キャシャーン』を見て、そう思った。
思った以上に、戦争というものを、
血なまぐさく描かれていたからだ。
例えば、「キャシャーン」として生き返る前の、
「哲也」が戦争に借り出された地が、
そこはすでに攻撃し終えたはずなのに、
また、嘘っぱちな口実を作って、
上官が攻撃し続けていることを、
「キャシャーン」になってからまた知る、
といった感じのところとか。
「正義」とか「解放」という美しい理由などなく、
ただの野蛮な殺戮しかないあの感じ。
上映の時期は、イラク戦争中だった。
紀里谷さんは、
声に出して言わなければならないという、
危機感が募ったんじゃないだろうか、と思ったりした。
映画は不評だったと、夫から聞いたけど、
(原作のアニメも、ものすごく深いしね……)
私は、忘れかけていたものを、
すごく思い出さされたという気持ちがしたし、
何よりも、
その危機感を行動に
実行したというだけでも、尊敬に値する。
そして、
紀里谷さんは、私より一つ年上なだけ。
★
特に、紀里谷さんの「キャシャーン」で思ったのだが、
子供の頃から、学校や親族などから聞いた、
戦争のことを、
ロボット的にインプットしたのではなく、
心からしてはいけないと思っているかどうか、
他の人々に(特に下の世代に)
伝えられるのかどうかで、
「ちゃんと受け継ぎましたよ」ということを、
上の世代の人々に、証明して、
安堵させなければならない年齢に、
差し掛かっている気がする。
淡谷のり子さんのような辛い経験を、
実体験として経験していなくても。
子供の頃に熱狂した『ガンダム』の中に見た
戦争における悲惨さとは何かが
胸の中に伝わっているというのなら。
紀里谷さんのように、
現代にもくすぶる火種に対する危機感が、
自分にもあるのなら。
歌唱力も制作力もメディアも財力もなくっても。
身近な人々に、あるだけの手段を使って。
TVの見えないところで、
のんびりとお昼寝をしていたけど、耳はダンボ。
淡谷のり子さんのところで泣けた。
15,6歳の特攻隊員の子達が、
命令が下り、歌の途中で、敬礼をして、
二度と戻ってはこない戦地へ行くから、歌が歌えなくなった、という話。
TVを見ていないと思った夫が、
レンタルしてきた『カンフーハッスル』を見ようと、
チャンネルを切り替えた時、
涙ながらに枕を投げたほど(笑)、こたえた。
そして、ひとしきり、「戦争は嫌だ」と思いつくした後、
「伝え方」ということについて、考え始める。
★
いわゆる「ファーストガンダム」と呼ばれている、
ガンダムのお話がはやった頃、
私は十代だったのだが、
いろんな側面があるにせよ、
ガンダムも、戦争の悲惨さを物語っているよな、と思う。
(映画ではなく、TVシリーズのほうが、特になんだけど)
富野監督(か安彦良和さんのほう)って、
戦後の人だと思うけど、
戦争の中の一般市民が一番こたえるむごいことは何か、
ものすごく、把握できてる人なんだろうな、って、
思ったことがある。
ふるさとへ戻ろうとしたら、そこは戦争のため、
ただの「穴」になっていて、呆然と母親が立ち尽くす、とか、
最後の戦いで、状況不利になっているジオン軍のパイロットが、
ほとんど、学徒動員兵で、
死に際「おかぁさ~ん」と叫ばせるとか。
こういうディテールが、『ガンダム』の中には、
沢山施されている。
メインのあらすじの流れでは、
ミハルというスパイの女の子が死ぬ時に、思う。
(知らない人は、すいませんね~)
NHKの『アニメ夜話』だったかな。
ミハルという女の子が死んだところで、
戦争が終結するとか、戦局が変わるとか、
そういうことには一切ならない。
そういう戦争における
何の影響力もない死が描かれているというところに、
感銘を受けたという人がいた(と思う)。
(カイという男の子には、すごく影響したけれどね)
現実の戦争においては、
そういう死が、ほとんどだということを
その物語の中で、洞察されている方がいて、
本当にそうだと共感した。
富野さん(安彦さん?)に戦争の悲惨さを伝えた人は、
身内の人なのか、そうでない人なのか、
どんな人なのか知らないけれど、
ちゃんと伝えて、キャッチして、
富野さんは富野さんのやり方で、伝えたのだ。
子供達を中心とした、人々に向かって。
★
それと同じくらい、
上の世代からちゃんとキャッチして、
自分の世界に取り込んで、
また下の世代に投げ返したんだな、と思った人が、
もうひとりいる。
宇多田ヒカルさんの旦那さん。
紀里谷さんだ。
『キャシャーン』を見て、そう思った。
思った以上に、戦争というものを、
血なまぐさく描かれていたからだ。
例えば、「キャシャーン」として生き返る前の、
「哲也」が戦争に借り出された地が、
そこはすでに攻撃し終えたはずなのに、
また、嘘っぱちな口実を作って、
上官が攻撃し続けていることを、
「キャシャーン」になってからまた知る、
といった感じのところとか。
「正義」とか「解放」という美しい理由などなく、
ただの野蛮な殺戮しかないあの感じ。
上映の時期は、イラク戦争中だった。
紀里谷さんは、
声に出して言わなければならないという、
危機感が募ったんじゃないだろうか、と思ったりした。
映画は不評だったと、夫から聞いたけど、
(原作のアニメも、ものすごく深いしね……)
私は、忘れかけていたものを、
すごく思い出さされたという気持ちがしたし、
何よりも、
その危機感を行動に
実行したというだけでも、尊敬に値する。
そして、
紀里谷さんは、私より一つ年上なだけ。
★
特に、紀里谷さんの「キャシャーン」で思ったのだが、
子供の頃から、学校や親族などから聞いた、
戦争のことを、
ロボット的にインプットしたのではなく、
心からしてはいけないと思っているかどうか、
他の人々に(特に下の世代に)
伝えられるのかどうかで、
「ちゃんと受け継ぎましたよ」ということを、
上の世代の人々に、証明して、
安堵させなければならない年齢に、
差し掛かっている気がする。
淡谷のり子さんのような辛い経験を、
実体験として経験していなくても。
子供の頃に熱狂した『ガンダム』の中に見た
戦争における悲惨さとは何かが
胸の中に伝わっているというのなら。
紀里谷さんのように、
現代にもくすぶる火種に対する危機感が、
自分にもあるのなら。
歌唱力も制作力もメディアも財力もなくっても。
身近な人々に、あるだけの手段を使って。
小さな波、ふた波きましたな
なんかうれしいです。(*^^*)
こういう小さなことから革命がはじまる。
沖の方からさざ波を立てれば、
浜には大きな波となって現れます。
「伝える」とは、
「発する側」と「受け取る側」がいて、
初めて成立します。
今までは、お子ちゃまだったので、
「受け取る側」ばかりだったのですが、
(まぁ、「受け取る側」の役目は、一生するんでしょうけど)
今度はどうやって、「発する側」をすれば、
届けられるだろうと、
考え始めなければ、ならない気がしました。
そういうおハチが回ってきた。
とりあえず、それを発している人たちの中に、
耳を傾けて、小さなさざ波の一つを
かたちづくりたいです。
★
そうそう。サンボマスター。
しづくさんのブログ見てから、興味を持って、
昨日、トップランナーの再放送で、
初めてちゃんと見ました。
猥雑でエネルギッシュで、
興味しんしんとなりました(笑)
心の中で握りこぶしを作りながら。
わたしは「ガンダム」も「キャシャーン」もわかりませんが、わたしにとっては、ジョン・レノンであり、坂本龍一であり、ミスチルであり、サンボマスターなわけです。
その志をつねに胸に持っていれば、自分の中の方向性が出てきて、できることってあると信じています。小さなことでも。