日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

戦争を語り継ぐということ。

2005年08月15日 | 言葉や思いをめぐらす日々
『徹子の部屋』をTVでつけっ放しにしていたら、終戦記念日weekということで、すでに亡くなられたいろんな方々の、戦争体験をお話されている部分のVTRを流し続けていた。

TVの見えないところで、
のんびりとお昼寝をしていたけど、耳はダンボ。
淡谷のり子さんのところで泣けた。

15,6歳の特攻隊員の子達が、
命令が下り、歌の途中で、敬礼をして、
二度と戻ってはこない戦地へ行くから、歌が歌えなくなった、という話。

TVを見ていないと思った夫が、
レンタルしてきた『カンフーハッスル』を見ようと、
チャンネルを切り替えた時、
涙ながらに枕を投げたほど(笑)、こたえた。

そして、ひとしきり、「戦争は嫌だ」と思いつくした後、
「伝え方」ということについて、考え始める。

     ★

いわゆる「ファーストガンダム」と呼ばれている、
ガンダムのお話がはやった頃、
私は十代だったのだが、
いろんな側面があるにせよ、
ガンダムも、戦争の悲惨さを物語っているよな、と思う。
(映画ではなく、TVシリーズのほうが、特になんだけど)

富野監督(か安彦良和さんのほう)って、
戦後の人だと思うけど、
戦争の中の一般市民が一番こたえるむごいことは何か、
ものすごく、把握できてる人なんだろうな、って、
思ったことがある。

ふるさとへ戻ろうとしたら、そこは戦争のため、
ただの「穴」になっていて、呆然と母親が立ち尽くす、とか、
最後の戦いで、状況不利になっているジオン軍のパイロットが、
ほとんど、学徒動員兵で、
死に際「おかぁさ~ん」と叫ばせるとか。

こういうディテールが、『ガンダム』の中には、
沢山施されている。

メインのあらすじの流れでは、
ミハルというスパイの女の子が死ぬ時に、思う。
(知らない人は、すいませんね~)

NHKの『アニメ夜話』だったかな。

ミハルという女の子が死んだところで、
戦争が終結するとか、戦局が変わるとか、
そういうことには一切ならない。
そういう戦争における
何の影響力もない死が描かれているというところに、
感銘を受けたという人がいた(と思う)。

(カイという男の子には、すごく影響したけれどね)

現実の戦争においては、
そういう死が、ほとんどだということを
その物語の中で、洞察されている方がいて、
本当にそうだと共感した。

富野さん(安彦さん?)に戦争の悲惨さを伝えた人は、
身内の人なのか、そうでない人なのか、
どんな人なのか知らないけれど、
ちゃんと伝えて、キャッチして、
富野さんは富野さんのやり方で、伝えたのだ。

子供達を中心とした、人々に向かって。

     ★

それと同じくらい、
上の世代からちゃんとキャッチして、
自分の世界に取り込んで、
また下の世代に投げ返したんだな、と思った人が、
もうひとりいる。

宇多田ヒカルさんの旦那さん。
紀里谷さんだ。

『キャシャーン』を見て、そう思った。

思った以上に、戦争というものを、
血なまぐさく描かれていたからだ。

例えば、「キャシャーン」として生き返る前の、
「哲也」が戦争に借り出された地が、
そこはすでに攻撃し終えたはずなのに、
また、嘘っぱちな口実を作って、
上官が攻撃し続けていることを、
「キャシャーン」になってからまた知る、
といった感じのところとか。

「正義」とか「解放」という美しい理由などなく、
ただの野蛮な殺戮しかないあの感じ。

上映の時期は、イラク戦争中だった。
紀里谷さんは、
声に出して言わなければならないという、
危機感が募ったんじゃないだろうか、と思ったりした。

映画は不評だったと、夫から聞いたけど、
(原作のアニメも、ものすごく深いしね……)
私は、忘れかけていたものを、
すごく思い出さされたという気持ちがしたし、
何よりも、
その危機感を行動に
実行したというだけでも、尊敬に値する。

そして、
紀里谷さんは、私より一つ年上なだけ。

     ★

特に、紀里谷さんの「キャシャーン」で思ったのだが、

子供の頃から、学校や親族などから聞いた、
戦争のことを、
ロボット的にインプットしたのではなく、
心からしてはいけないと思っているかどうか、
他の人々に(特に下の世代に)
伝えられるのかどうかで、
「ちゃんと受け継ぎましたよ」ということを、
上の世代の人々に、証明して、
安堵させなければならない年齢に、
差し掛かっている気がする。

淡谷のり子さんのような辛い経験を、
実体験として経験していなくても。

子供の頃に熱狂した『ガンダム』の中に見た
戦争における悲惨さとは何かが
胸の中に伝わっているというのなら。

紀里谷さんのように、
現代にもくすぶる火種に対する危機感が、
自分にもあるのなら。

歌唱力も制作力もメディアも財力もなくっても。
身近な人々に、あるだけの手段を使って。

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4 コメント

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静かにうなづくものたち (しづく)
2005-08-18 22:12:26
このいなださんの記事をみて、静かにうなづく人たちがいることを思います。

心の中で握りこぶしを作りながら。



わたしは「ガンダム」も「キャシャーン」もわかりませんが、わたしにとっては、ジョン・レノンであり、坂本龍一であり、ミスチルであり、サンボマスターなわけです。

その志をつねに胸に持っていれば、自分の中の方向性が出てきて、できることってあると信じています。小さなことでも。

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静かにうなづきかえします。 (いなだっち)
2005-08-19 09:48:27
そうですね。

沖の方からさざ波を立てれば、

浜には大きな波となって現れます。



「伝える」とは、

「発する側」と「受け取る側」がいて、

初めて成立します。



今までは、お子ちゃまだったので、

「受け取る側」ばかりだったのですが、

(まぁ、「受け取る側」の役目は、一生するんでしょうけど)

今度はどうやって、「発する側」をすれば、

届けられるだろうと、

考え始めなければ、ならない気がしました。



そういうおハチが回ってきた。



とりあえず、それを発している人たちの中に、

耳を傾けて、小さなさざ波の一つを

かたちづくりたいです。



     ★



そうそう。サンボマスター。

しづくさんのブログ見てから、興味を持って、

昨日、トップランナーの再放送で、

初めてちゃんと見ました。



猥雑でエネルギッシュで、

興味しんしんとなりました(笑)
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うふふー。 (しづく)
2005-08-20 10:59:04
いなださんの心にも、サンボマスターが届いたんだ!

なんかうれしいです。(*^^*)

こういう小さなことから革命がはじまる。
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サンボマスター (いなだっち)
2005-08-20 15:54:39
多分夫のほうが、肩入れをしています



小さな波、ふた波きましたな
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