鎌倉霊園から、JR鎌倉駅まで一旦戻って。
ガイドブックを持っているわけでもなく、
滞在時間は3時間とそんなに長くもなく。
ちょっとした焦燥感を抱えながら、
商店街(?)の中を歩いていると、
『鎌倉文学館』のチラシを発見。
催し物は、
『歌人たちの鎌倉』……そそられた。
商店街をUターンし、
江ノ電に乗って、いざ由比ガ浜へ。
★
入場券を買ったところから見るとある洞窟。招鶴洞とかいったかな。
頼朝がそこから鶴を放ったという故事から名前がついているとか。
緑と建造物の調和が素敵な入り口。
ところどころにあった、句碑。
写真は子規の源実朝を讃えた歌だけど、
与謝野晶子とか、万葉集とか、いろいろ点在。
こういう、ちょっとしたところに、
歌が配置されているのって、好きだなぁ。
町でもやればいいのに。
広告とか、選挙日とかばっかりじゃなくってさ。
鎌倉文学館は、加賀藩の前田家の子孫が、
明治時代に侯爵家になり、
建てられた別荘だったんだけど、
昭和58年、鎌倉市に寄贈され、増改築をして開館されたんだって。
しばし見とれてしまった。
もしかしたら、周辺に「金沢」とかの地域名があるのは、
この前田家の別荘が近くにあった事も由来しているのかなぁ。
と、すれば、町の人に愛された貴族さんだったのか、
えらそぶってた貴族さんか、どっちだったんだろう(笑)
『歌人たちの鎌倉』は、
どんな歌人がいたんだろう、
どんな歌を詠っていたんだろう、
とかいうよりも、
その歌を書いた短冊などで見る、
筆跡が興味深かった。
印象に残った筆跡が、
与謝野寛(鉄幹)と晶子の筆跡。
私にとっての寛の印象は、
「男っぽい歌を書くけど、依存的」
って感じで、
晶子の印象は、
「太っ腹かぁちゃんだけど、めっちゃ女」
だったんだけど、
筆跡はそういう印象ではなかった。
寛のほうは、
まぁ確かに男らしい荒々しい筆遣いって感じではなかったけど、
ユーモアを感じさせるというか、
夢を見させるような筆跡だった。
魔法使いのような、筆跡……って、想像できませんよね。
見たら、「あぁ」っと思ってくれるかもしれない。
繊細さでいえば、
晶子の方が、もっと繊細なタッチだった。
儚く消え入りそうな筆跡。
「美しい」と「弱弱しい」の間ぐらいの筆跡。
こちらも、見ていただかないと(笑)
現代歌人(といっても、皆さんすでにお亡くなりになってます)のところでは、
それぞれが出版した本の中で、
「短歌とは?」みたいなところについて書いている文章が、
一部抜粋されているのを読むのが面白かった。
内容は忘れたけど、吉野秀雄氏のが一番響いた。
あと、山崎方代(ほうだい)は、
山崎方代(かたよ)と読んでいて、
女性だとばっかり思っていたのが、
男性だったと知り、イメージが変わった(笑)。
(まぁそれほど作品を読んでたわけじゃないけど)
遠くから見ていたい人物だと思ったけど、
お友達にはなりたくないなぁ~と、勝手にいろいろと(笑)
そして、読めば読むほど、好きになっていく、源実朝の一首。
大海の磯もとどろによする波われて砕けて裂けて散るかも
パネルに、
富士山と磯に砕けた海の写真が
飾られていたせいか知らないけど、
『金塊和歌集』の難しく読めない筆跡のせいかもしれないけれど、
ぐっときて、涙ぐんだ。
★
鎌倉文学館のあと、
徒歩13分で、大仏のあるお寺にいけるとわかって、
行ってみたい衝動に駆られたが、
きっととんぼ返りになると考え、断念。
30分ほど由比ガ浜から海を見て、
ぼんやり過ごそうと決める。
思ったより、人がいたので驚いた。
サーファーは、波さえあれば、季節は関係ないのね。
柵越しに眺める海。
大きさとか、何も変わらないのに、小さくなったように見える海。
この錯覚が、自分を大きく感じさせたり、卑しく感じさせたりした。
海に限らず、『対等』という一点に立ち続けるのは難しいなと、思ったりして。
サーファーなので、白鳥じゃないけど、
若山牧水氏の歌を思い出し、
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
サーファーだからこそ、俵万智氏の歌を思い出した。
空の青海のあおさのその間(あわい)サーフボードの君を見つめる
そして、私は、歌思い浮かばず。あぁ……。
由比ヶ浜駅構内の案内地図の大仏で、今回はお茶を濁して、行った気になる(笑)また、いつかね。
江ノ電はやっぱりかわいい(笑)
10年前の時と違い、
今回は、『スラムダンク』とか吉田秋生のマンガとか思い出したりして、
しみじみした。
★
JR鎌倉駅にみたび。
上越新幹線はダイヤが乱れているようだったが、
山陽新幹線は大丈夫なようだった。
が、
思ったより、新横浜駅構内にはいられないかもと考え、
鎌倉でお土産を全部買っておく。
案の定、ダイヤは乱れっぱなし。10分遅れや運休やらしてた。
さらに、
乗換の横浜駅で、
根岸・八王子行きの電車は
横浜駅より西からは、
強風のためすべて運休されているとわかり、
お隣の東神奈川駅に移動し、
そこから発の電車に乗らないとダメってことがわかり、
多少慌てた。
そんなこんなで、思ったとおり、
新横浜駅ではお土産を見る暇もなく。
山陽新幹線だけが、別世界のように定刻どおり動いていた。
強風のため、唯一よかったこと。
それは、富士山にかかる雲が、一層されていて、
新幹線の窓から綺麗に見えたこと。
次回は、ポロポロ取れたり、壊れたりしたお話を。
ガイドブックを持っているわけでもなく、
滞在時間は3時間とそんなに長くもなく。
ちょっとした焦燥感を抱えながら、
商店街(?)の中を歩いていると、
『鎌倉文学館』のチラシを発見。
催し物は、
『歌人たちの鎌倉』……そそられた。
商店街をUターンし、
江ノ電に乗って、いざ由比ガ浜へ。
★
入場券を買ったところから見るとある洞窟。招鶴洞とかいったかな。
頼朝がそこから鶴を放ったという故事から名前がついているとか。
緑と建造物の調和が素敵な入り口。
ところどころにあった、句碑。
写真は子規の源実朝を讃えた歌だけど、
与謝野晶子とか、万葉集とか、いろいろ点在。
こういう、ちょっとしたところに、
歌が配置されているのって、好きだなぁ。
町でもやればいいのに。
広告とか、選挙日とかばっかりじゃなくってさ。
鎌倉文学館は、加賀藩の前田家の子孫が、
明治時代に侯爵家になり、
建てられた別荘だったんだけど、
昭和58年、鎌倉市に寄贈され、増改築をして開館されたんだって。
しばし見とれてしまった。
もしかしたら、周辺に「金沢」とかの地域名があるのは、
この前田家の別荘が近くにあった事も由来しているのかなぁ。
と、すれば、町の人に愛された貴族さんだったのか、
えらそぶってた貴族さんか、どっちだったんだろう(笑)
『歌人たちの鎌倉』は、
どんな歌人がいたんだろう、
どんな歌を詠っていたんだろう、
とかいうよりも、
その歌を書いた短冊などで見る、
筆跡が興味深かった。
印象に残った筆跡が、
与謝野寛(鉄幹)と晶子の筆跡。
私にとっての寛の印象は、
「男っぽい歌を書くけど、依存的」
って感じで、
晶子の印象は、
「太っ腹かぁちゃんだけど、めっちゃ女」
だったんだけど、
筆跡はそういう印象ではなかった。
寛のほうは、
まぁ確かに男らしい荒々しい筆遣いって感じではなかったけど、
ユーモアを感じさせるというか、
夢を見させるような筆跡だった。
魔法使いのような、筆跡……って、想像できませんよね。
見たら、「あぁ」っと思ってくれるかもしれない。
繊細さでいえば、
晶子の方が、もっと繊細なタッチだった。
儚く消え入りそうな筆跡。
「美しい」と「弱弱しい」の間ぐらいの筆跡。
こちらも、見ていただかないと(笑)
現代歌人(といっても、皆さんすでにお亡くなりになってます)のところでは、
それぞれが出版した本の中で、
「短歌とは?」みたいなところについて書いている文章が、
一部抜粋されているのを読むのが面白かった。
内容は忘れたけど、吉野秀雄氏のが一番響いた。
あと、山崎方代(ほうだい)は、
山崎方代(かたよ)と読んでいて、
女性だとばっかり思っていたのが、
男性だったと知り、イメージが変わった(笑)。
(まぁそれほど作品を読んでたわけじゃないけど)
遠くから見ていたい人物だと思ったけど、
お友達にはなりたくないなぁ~と、勝手にいろいろと(笑)
そして、読めば読むほど、好きになっていく、源実朝の一首。
大海の磯もとどろによする波われて砕けて裂けて散るかも
パネルに、
富士山と磯に砕けた海の写真が
飾られていたせいか知らないけど、
『金塊和歌集』の難しく読めない筆跡のせいかもしれないけれど、
ぐっときて、涙ぐんだ。
★
鎌倉文学館のあと、
徒歩13分で、大仏のあるお寺にいけるとわかって、
行ってみたい衝動に駆られたが、
きっととんぼ返りになると考え、断念。
30分ほど由比ガ浜から海を見て、
ぼんやり過ごそうと決める。
思ったより、人がいたので驚いた。
サーファーは、波さえあれば、季節は関係ないのね。
柵越しに眺める海。
大きさとか、何も変わらないのに、小さくなったように見える海。
この錯覚が、自分を大きく感じさせたり、卑しく感じさせたりした。
海に限らず、『対等』という一点に立ち続けるのは難しいなと、思ったりして。
サーファーなので、白鳥じゃないけど、
若山牧水氏の歌を思い出し、
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
サーファーだからこそ、俵万智氏の歌を思い出した。
空の青海のあおさのその間(あわい)サーフボードの君を見つめる
そして、私は、歌思い浮かばず。あぁ……。
由比ヶ浜駅構内の案内地図の大仏で、今回はお茶を濁して、行った気になる(笑)また、いつかね。
江ノ電はやっぱりかわいい(笑)
10年前の時と違い、
今回は、『スラムダンク』とか吉田秋生のマンガとか思い出したりして、
しみじみした。
★
JR鎌倉駅にみたび。
上越新幹線はダイヤが乱れているようだったが、
山陽新幹線は大丈夫なようだった。
が、
思ったより、新横浜駅構内にはいられないかもと考え、
鎌倉でお土産を全部買っておく。
案の定、ダイヤは乱れっぱなし。10分遅れや運休やらしてた。
さらに、
乗換の横浜駅で、
根岸・八王子行きの電車は
横浜駅より西からは、
強風のためすべて運休されているとわかり、
お隣の東神奈川駅に移動し、
そこから発の電車に乗らないとダメってことがわかり、
多少慌てた。
そんなこんなで、思ったとおり、
新横浜駅ではお土産を見る暇もなく。
山陽新幹線だけが、別世界のように定刻どおり動いていた。
強風のため、唯一よかったこと。
それは、富士山にかかる雲が、一層されていて、
新幹線の窓から綺麗に見えたこと。
次回は、ポロポロ取れたり、壊れたりしたお話を。