ブログ,ツィッター、ファックス、にメール。自分の意見を公にする手段が増えた。なれど、それらは、かつての床屋政談、酔人の戯言の類いである。喋っている方は一家言のつもりだが、聞く方は戯言と受け取り、莞爾として流した。話す方はやがて、聞き手が一人減り,二人減りして、話す内容を考えるようになる。人の腹芸を見て、我が身に置き換える術を身につける。自分の流儀を通すものがいるが、それは偏屈と片付けられた。偏屈ならいい方で、変わり者とされ陰で嘲笑された。
先日、「みなさまの」で産む自由、産まない自由という特集をしていた。皆様からのご意見をファックス,メールにて募集と謳って、意見を求めていた。その中で、自らの職業をのべ、自らの子供が如何に優秀であるかを自慢し、最後に、自分の子供達が、将来、子供を産まずに老いを迎えた人々を「税金」で賄うのは嫌だと書いてきた女性がいた。満天下に己の愚かさを誇示しているのに気がつかないのはお目出度いからか、それとも周りに恵まれなかったかしらん。
中学生の頃、下校途中、障害者を見て、級友の一人が、あんな姿になるんだったら、生まれて来ない方がいいよなあと言った。小生は違和感を覚えたが、それが上手く説明できずに、曖昧に頷いただけであった。それから数年、高校に入学して,別の友人と生き死にの話になった。小生は背伸びをして、ぱくぱくをしたのである。中学時代の友人の言葉を投げたのである。すると一緒に話していた友人は、おまえ、「それは障害者に死ね」と言っているのと同じだぞ。と気色を変えて言った。小生は、あの違和感が何であるかを悟ると同時に、自分の浅墓さを呪った。気まずい沈黙が流れ、その後どうその友人と会話を続けたのか疾うに忘れてしまったが、その顔と声音だけは今でも覚えている。
件のご意見なり、ご講説なりを述べた女性に同じことを言っても甲斐なしは百も承知である。ご子息,ご息女が、障害を持って生まれたらと言えば、我が子のためならなんでもすると答えるだろう。不治の病に冒されたらと問うても、同じように答えるだろう。面前で、メールで、ファックスで、「障害者は云々、不治の病に冒されている人は云々」と書けば、千万とも我往かんの気持ちで、訴えてくるであろう。ならば,同じ理屈で、ご子息,ご息女が,生涯独身を選んだらと問えば、納得するかと思うのは嘘で、そんな育て方はしていないと同じ口で答えるだろう。病気と健康は違う、自らの意志で選んだことと偶然になった境遇は違うと理屈を立てるであろう。
小生もはっきり言えば、件の女性の為に税金なんか払いたくない。納税額がどれくらいの石高知らないが、びた一文たりとも件の女性のために使われるのを潔しとしない。なれどそれを言えば、小生も同じ穴の狢になってしまう。だからここは一つ、敬愛する植木等先生に倣って、「面倒見たよ」の一節、「言いたかないけど、みんなまとめて面倒見よう」と。園だけの甲斐性はないのだが。
先日、「みなさまの」で産む自由、産まない自由という特集をしていた。皆様からのご意見をファックス,メールにて募集と謳って、意見を求めていた。その中で、自らの職業をのべ、自らの子供が如何に優秀であるかを自慢し、最後に、自分の子供達が、将来、子供を産まずに老いを迎えた人々を「税金」で賄うのは嫌だと書いてきた女性がいた。満天下に己の愚かさを誇示しているのに気がつかないのはお目出度いからか、それとも周りに恵まれなかったかしらん。
中学生の頃、下校途中、障害者を見て、級友の一人が、あんな姿になるんだったら、生まれて来ない方がいいよなあと言った。小生は違和感を覚えたが、それが上手く説明できずに、曖昧に頷いただけであった。それから数年、高校に入学して,別の友人と生き死にの話になった。小生は背伸びをして、ぱくぱくをしたのである。中学時代の友人の言葉を投げたのである。すると一緒に話していた友人は、おまえ、「それは障害者に死ね」と言っているのと同じだぞ。と気色を変えて言った。小生は、あの違和感が何であるかを悟ると同時に、自分の浅墓さを呪った。気まずい沈黙が流れ、その後どうその友人と会話を続けたのか疾うに忘れてしまったが、その顔と声音だけは今でも覚えている。
件のご意見なり、ご講説なりを述べた女性に同じことを言っても甲斐なしは百も承知である。ご子息,ご息女が、障害を持って生まれたらと言えば、我が子のためならなんでもすると答えるだろう。不治の病に冒されたらと問うても、同じように答えるだろう。面前で、メールで、ファックスで、「障害者は云々、不治の病に冒されている人は云々」と書けば、千万とも我往かんの気持ちで、訴えてくるであろう。ならば,同じ理屈で、ご子息,ご息女が,生涯独身を選んだらと問えば、納得するかと思うのは嘘で、そんな育て方はしていないと同じ口で答えるだろう。病気と健康は違う、自らの意志で選んだことと偶然になった境遇は違うと理屈を立てるであろう。
小生もはっきり言えば、件の女性の為に税金なんか払いたくない。納税額がどれくらいの石高知らないが、びた一文たりとも件の女性のために使われるのを潔しとしない。なれどそれを言えば、小生も同じ穴の狢になってしまう。だからここは一つ、敬愛する植木等先生に倣って、「面倒見たよ」の一節、「言いたかないけど、みんなまとめて面倒見よう」と。園だけの甲斐性はないのだが。
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