奉公といえば、芸人の弟子とりを思い出した。『貴方も落語家になれる』を談志がものしたのは、1970年代だったが、寄席は減るのに弟子入り志願者は増えた。弟子入りを志願しても、一から仕込むのがもはや無理な時代になっていた。着物のたたみ方、座布団の出し方、出囃子、お茶だしの方法と楽屋裏で教えることはたくさんあった。噺家に弟子入りしたのに話を教えてもらえないと当たり前のように言う若者が増えて、躾が困難になった。
本人のやる気を確かめる術か否かは知らないが、自衛隊に入隊してから来いという条件を出す師匠もいた。桂才賀は文治に弟子入りの際に、先の条件を出され、見事海上自衛隊に三年奉公したのちに弟子入りが叶った。一時、笑点に出ていて、今の小遊三の役回りを演じていたが、いまは刑務所の慰問と高座に励んでいる。かつては噺の運びが荒く、間が悪いところがあったが、実に堂に入った噺家になった。よいしょの志ん駒で知られる古今亭志ん駒。高座では軽妙軽口で志ん生の弟子としておチャラけるが、彼もまた海上自衛隊出身である。噺家の世界には陸、海と二派に分かれて自衛隊出身者が結構いる。
欽ちゃんは弟子をとらないが、それでも弟子入り志願者が来る。欽ちゃんは弟子入りの若者を3ヶ月ほど家に出入りさせて、何も指示しない。掃除洗濯をしようとすると断り、使いに行こうとすれば引き留め、何もさせない。大抵の志願者は2週間も経たないうちに辞めていくそうだ。ひたすら、家に来て、何もせずそのきびしい状況に耐えられたもののみに、指示を出すと聞いた。
テレビに出ることが芸人であるという馬鹿げた考えを作ってしまったのは、テレビだけではあるまい。弟子入りは来るがテレビに出られないと知るや、たちまち消えていく。芸人は客が育てるという、テレビはロハだから視聴者は芸人を育てないし、視聴者は見巧者にならない。
今、寄席に若者の姿が以前より散見できるようになった。小屋が賑わうのはうれしい。ただ惜しむらくは見巧者の客がいなくなりつつある。云爾。
本人のやる気を確かめる術か否かは知らないが、自衛隊に入隊してから来いという条件を出す師匠もいた。桂才賀は文治に弟子入りの際に、先の条件を出され、見事海上自衛隊に三年奉公したのちに弟子入りが叶った。一時、笑点に出ていて、今の小遊三の役回りを演じていたが、いまは刑務所の慰問と高座に励んでいる。かつては噺の運びが荒く、間が悪いところがあったが、実に堂に入った噺家になった。よいしょの志ん駒で知られる古今亭志ん駒。高座では軽妙軽口で志ん生の弟子としておチャラけるが、彼もまた海上自衛隊出身である。噺家の世界には陸、海と二派に分かれて自衛隊出身者が結構いる。
欽ちゃんは弟子をとらないが、それでも弟子入り志願者が来る。欽ちゃんは弟子入りの若者を3ヶ月ほど家に出入りさせて、何も指示しない。掃除洗濯をしようとすると断り、使いに行こうとすれば引き留め、何もさせない。大抵の志願者は2週間も経たないうちに辞めていくそうだ。ひたすら、家に来て、何もせずそのきびしい状況に耐えられたもののみに、指示を出すと聞いた。
テレビに出ることが芸人であるという馬鹿げた考えを作ってしまったのは、テレビだけではあるまい。弟子入りは来るがテレビに出られないと知るや、たちまち消えていく。芸人は客が育てるという、テレビはロハだから視聴者は芸人を育てないし、視聴者は見巧者にならない。
今、寄席に若者の姿が以前より散見できるようになった。小屋が賑わうのはうれしい。ただ惜しむらくは見巧者の客がいなくなりつつある。云爾。