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笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

弟子にしてください

2005-05-18 | 映画 落語
奉公といえば、芸人の弟子とりを思い出した。『貴方も落語家になれる』を談志がものしたのは、1970年代だったが、寄席は減るのに弟子入り志願者は増えた。弟子入りを志願しても、一から仕込むのがもはや無理な時代になっていた。着物のたたみ方、座布団の出し方、出囃子、お茶だしの方法と楽屋裏で教えることはたくさんあった。噺家に弟子入りしたのに話を教えてもらえないと当たり前のように言う若者が増えて、躾が困難になった。
 本人のやる気を確かめる術か否かは知らないが、自衛隊に入隊してから来いという条件を出す師匠もいた。桂才賀は文治に弟子入りの際に、先の条件を出され、見事海上自衛隊に三年奉公したのちに弟子入りが叶った。一時、笑点に出ていて、今の小遊三の役回りを演じていたが、いまは刑務所の慰問と高座に励んでいる。かつては噺の運びが荒く、間が悪いところがあったが、実に堂に入った噺家になった。よいしょの志ん駒で知られる古今亭志ん駒。高座では軽妙軽口で志ん生の弟子としておチャラけるが、彼もまた海上自衛隊出身である。噺家の世界には陸、海と二派に分かれて自衛隊出身者が結構いる。
 欽ちゃんは弟子をとらないが、それでも弟子入り志願者が来る。欽ちゃんは弟子入りの若者を3ヶ月ほど家に出入りさせて、何も指示しない。掃除洗濯をしようとすると断り、使いに行こうとすれば引き留め、何もさせない。大抵の志願者は2週間も経たないうちに辞めていくそうだ。ひたすら、家に来て、何もせずそのきびしい状況に耐えられたもののみに、指示を出すと聞いた。
 テレビに出ることが芸人であるという馬鹿げた考えを作ってしまったのは、テレビだけではあるまい。弟子入りは来るがテレビに出られないと知るや、たちまち消えていく。芸人は客が育てるという、テレビはロハだから視聴者は芸人を育てないし、視聴者は見巧者にならない。
 今、寄席に若者の姿が以前より散見できるようになった。小屋が賑わうのはうれしい。ただ惜しむらくは見巧者の客がいなくなりつつある。云爾。

ビリーワイルダー曰く、コンテンツは何処

2005-05-05 | 映画 落語
 コンテンツ産業が11兆円、GDPの2%と知った。産学協同で、早稲田大学が映画制作学科を用意したとテレビは伝えていた。山田洋二を迎え、映画を上映し、映像の力という講義の一場面を放映していた。即戦力ということで都内のスタジオで編集技術を実習させる場面もあった。指導教官は百人に一人か二人、映画監督になれるものがいればいいですねと述べているのには苦笑した。大学も専門学校に堕したかと思ったが、元来あの大学は専門学校だったから先祖返りか得心した。
 映画が好きな人は、映画ばかり見ていてはいけないと淀長こと淀川長治は生前、自らの映画塾で言っていた。早稲田の授業の中では、黒澤の赤ひげが教材として扱われていた。黒澤の時代劇なら痛快無比の一言で括られてしまうが、具に見れば、映画ではなく日本文化の宝庫であることに気づく。虎の尾を踏む男は、歌舞伎の勧進帳そのままの映画化であるが、ラストにえのけんに六法を踏ませるところなぞ名場面の一つと見る。どん底、隠し砦の三悪人、七人の侍、どの映画にも日本の神楽が出てくる。用心棒では神楽を現代風にアレンジは、ラストの刀と拳銃の対決の荒唐無稽さの伏線になってる。影武者では池畑慎之介ことピーターに猿若を演じさせる。ここまでみて、黒澤の映画は、日本の伝統芸能の宝庫であることがわかる。今でこそ、DVDで入手できる七人の侍だが、上映当時は、第一部と二部に分かれていた。尺の長さのせいでもあるが、あれは歌舞伎の幕間を作ったと思い、黒澤の日本の伝統芸能への思慕を忖度した。
 ジョージルーカスが黒澤を敬愛して止まぬのは、誰もが知るところであるが、スターウォーズエピソード4、5、6を並べて、隠し砦の三悪人を見れば、見事に焼き直しであることがわかる。特に4の始まりと6の終わりの場面が教えてくれる。
 閑話休題して、映画製作を授業にするのは構わないが、映画も日本文化の一つで、単独で存在しているわけではないことを説いておくれと言いたい。俗に日本は教育の方法論がないという。耳朶に心地よい掛け声ばかりで内実の伴わない教育ならやめてしまえと言う。才能と情熱溢れる若人を台無しにせぬようにと言う。山田洋次も悪くもないが、「ここであったが百年目」「知らざあ言って聞かせやしょう」が通じる豊かさを身につけさせてやれ。
 文化は金に飽かしてダメと無駄を作るもので、資本の論理で出来るものではない。然云う。 

 襲名と時効 正蔵

2005-04-26 | 映画 落語
 林家こぶ平、改め九代目正蔵が巷間を賑わせている。正蔵はその名跡に恥じぬよう、古典がしっかり出来る噺家を目指すと言っていたには笑った。八代目正蔵は、ともかく、祖父に当たる正蔵を聴いた人は、どれだけいるのだろうか。もっとも小沢昭一、永六の世代は別だが。父に当たる三平の活躍があまりにも際立っていたので、人々の印象はむしろ三平に向いているのではと推察する。
 7代目正蔵は、元祖「すみません」ともいうべきで、高座に座るなり「昨日は日曜で、今日は月曜で、これは政府の方でも認めておりまして、どうもあいすみません」と言って、客を喰った。時代感覚を活かして古典の中にギャグを取り込んだ。と、ものの本で読んだ。三平の高座なら何度か聞いた。テレビと同じだと思いつつも、しらけてる客のほうに異常に神経を使っているのに、いつしかこちらも、引き込まれた。こぶ平が正蔵をきっかけに古典に向かうというのが滑稽に聞こえるのは、ギャグのセンスなり、話の返しの反射神経が遺伝的に流れていると感じたからだ。
 人情話は誰がやってもうまく聞こえる。現正蔵がしんみりと薮入り、子別れ、文七元結なぞやったところで、噺をなぞっての熱演であって芸ではない。こぶ平を高座で見かけた時、テレビに出てているだけあって、返しの早さには関心させられた。
 正蔵の芸を知るもの、語るものを聞かない。落語のCDの売れ行きトップはいまだに、志ん生である。老人ばかりが買うのではない。若人も買っていると聞く。都内の演芸場に志ん生の出演を問い合わせる若者もいるという。
 三木助が最後まで悩んだのは、先代の三木助を知るものがいたからで、文楽は先代で途絶えた。現文楽が注目されぬのもむべなるかな。志ん朝が志ん生を拒んだのも、おそらくその辺りにあるのではと考える。もはや正蔵の名を聞いても、それを知るものは語らない。知るものがないから、名跡、名跡と騒ぎ立て、晴れてその名を継げる。
 団菊じじいに菊吉じじいには及ばぬが、三平、こぶ平、一平と見たところを筆に任せて述べた。どこからか紐解いて、桶売りをしている一人が、こうもしゃあしゃあと書いているのを笑っていただければご幸甚である。