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笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

落語的学問のススメ 桂文珍

2006-03-23 | 
文庫版で、桂文珍師匠の「落語的学問のススメ」が出ております。この度のは、慶応大学で行ったものをまとめたものでありますが、すでに第3弾であります。通して読めば、当世の学生の気質がわかって面白いものでありますが、この10数年の間に講義内容も少しずつ変化して参りました。初めて、関西大学で講義を行った時には、思考力の柔軟さというものを師匠は学生に説いておりました。それは、学生諸君が無事卒業し、会社という社会に入っていくのに、世間さまというものを相手にするのに何が大切であるかを説いていました。
 文珍師匠は、例として、弟子と師匠の関係を挙げて説明しております。師匠の言うことは絶対である、黒いものでも白といえば、白になると。例えばこうであります。あのカラスは白いなあと言えば、弟子は「はいそうですねえ」と答える。赤信号を師匠が見て、「青信号や」と言えば「青です」とこれも応える。師匠がすかさず、「ほなおまえ渡ってみい」と言ってきます。そこでどうするかと。師匠の言うことは絶対です。でも本気で赤信号を渡る度胸のある人はあまりいません。これをもってして、世渡りとはいかなるものかを説いていたのが今を去ること10年前の師匠の講義でありました。
 さて、この度のものは、このようなことに加えて二つ学生達に説いております。頭の柔軟性以前に、「考える」という行為を強調しております。今流行の頭の体操のような問題を学生に与え、解答を作成させております。勿論、正解は一つと限らないとも教えております。正解を調べるのではなく、自分の頭を使って考え出すことの大切さであります。二つ目は、古典芸能の世界を紹介しております。それが日本文化の理解でもあり、日本人がどのようにものを捉え、考えてきたのかということを一から教えております。師匠は、文明開化で脱亜入欧を目指し、終戦でアメリカナイズを目指し、今日目出度く無国籍日本人が出来上がったと、講義の中で語っております。そしてこの講義には自らの職業、落語とは、笑いとは何かという問いが端々に隠されております。
 師匠の創作落語、病院の待合室やセンスをマウスに見立てネット社会を再現する発想、それらは「笑い」とは何かという根源的な問いから生まれているのだということを教えてくれるのが、「落語的学問のススメ」ではないかと考えます。
 人に教えることは、自ら学ぶことだという言葉がありますが、実はこの本、師匠自ら、学問している本であります。

沢田美喜さん ジョセフィンベーカーと会う

2006-02-25 | 
山田風太郎先生の著作に人間臨終図鑑がある。年で区切られた有名人に貴賎はない。歴史上の英雄から、殺人犯に至るまで臨終に際し残した言葉が綴られている名著である。週刊新潮には墓碑銘という題の連載がある。こちらは財界人、文化人、芸能人と言う顔ぶれである。過日読んだ本にジョセフィンベーカーが来日して、沢田美喜女史と会ったという一文を見つけた。ジョセフィンベーカーは知っていたが、恥ずかしながら沢田女史は一向に知らなかった。新潮選書からでた昭和の墓碑銘で、彼女の略歴を知った。沢田さんは、岩崎財閥に嫁ぎ、孤児院を運営し、里親探しに尽力した。孤児と言っても、米兵との間に生まれ遺棄された子供である。今では差別語に指定されているが「あいの子」を引き取って、その里親を日本ではなく海外に求めた。森村誠一著の「人間の証明」と言えば「あいのこ」がお分かりいただけるであろうか。財閥に嫁いだといっても、戦後の財閥解体で、資金は豊かでない。金になるものなら便器でも売ったというほど、金策に奔走した。件の書によれば、当時GHQは、そのような子供の存在は米軍の恥部と考えており、目立たぬように、ひとっところに集めぬように指導したらしい。沢田さんが夜道を歩いていると石つぶてが投げられたこともあったと記してある。
 あらためて、沢田女史が鬼籍に入られた年を見ると、世はバブル真っ盛りであった。恋文横丁はその名を留めずして開発され、花嫁の末路を辿る報道があった。
 「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句は昭和六年に詠まれた、明治が終わって19年足らずである。明治が見えなくなったのは、震災と空襲のせいだと古老は言う。昭和が見えなくなったのは、バブルであると小生は常日頃思っている。喜寿、傘寿、米寿の老人なら、まだまだ会える。してみれば百年の時間なぞ指呼の距離である。にもかかわらず、昭和を辿る軌跡を失って、二十年になってしまった。
 皮肉にも件の書の題は「昭和の墓碑銘」である。

世界の名前地図 文春新書

2006-02-17 | 
名前の由来に関する文を読む機会があったので、本屋に走って「世界の名前地図」という本を買い求めました。西洋人の名前の由来を書いたもので、地名に由来するもの、職業に由来するもの、ずばりだれそれの息子と書くものと大別でき、西洋人は、イニシャルにした際の「忌み名」までこだわるという話であります。たとえば
Leon Charles Fillipという名前はあるかというとこれはありえないのであります。頭文字を並べるとLCFとなり、ルシファーを案じさせるから、忌み嫌われるらしいのであります。件の本によりますと、ヒッチコックの名作「レベッカ」レベッカという名前には束縛と言う意味があるということです。そう考えてみると、ヒッチコックの凄さがあらためて認識できます。更にその本によると、アダムとは「人」、「大地」の意味があると。してみればあの、名作「アダムズファミリー」とは「こんなのでも人間の家族であります」という隠れた意味があったのかと得心しております。そういえば、この名前を上手く使った作品に、ノラエフロン脚本の「マイケル」がありました。ジョントラボルタが大天使ミカエルで、地上に降りてきて、男女の仲を取り持つという洒落た映画でした。ミカエルとミケランジェロをかけて、自分に大切な人は誰かを気がつかせる小品でした。
 件の本を読むと、西洋人は思った以上に名前に制限があるらしく、昨今のわが国のように、カタカナに漢字を当てはめる無節操なことはないです。もっとも、これは昨今に始まったわけではなく森鴎外が子供にそれぞれ於兎、爵、茉莉と名づけました。小生はこの名前は、舞姫のとの恋を成就できなかった腹いせではと睨んでおります。ほれ、初恋の人の名をつけるとかいうあれです。まさかそのままつけるわけにはいかないから、鴎外先生、頭をひねって嫁、姑をうまく煙に巻きましたなあ。更には、名前で宗派なり宗教なりがわかるものもありましたが、今では、それも昔の話になってしまいました。
 小生の名前の由来はといえば、大したことがないので開陳するに及びません。最も感心した名前はといえば、仮名 「中山庸」であります。山を取れば、中庸というまさに文句なしの文言が現れてきます。それから「重伍」、この人は7人兄妹の五番目、三男坊であります。名優、山茶花究を地で行く豪胆な父親に敬服した次第であります。
 ところで「あなたのおなまえなんてえの」パチパチ。

新書 考

2006-01-25 | 
旧聞に属しますが、世は新書ブームであります。書店に並ぶ新書を見て、つくづく思うのは、ビジネス書の廉価版かということであります。『下流社会』、『さおだけ屋はなぜつぶれないか』、『人は見かけが9割』等、題目してからふた昔前のハウツー、ビジネス書の類であります。勿論、新書本来の題目もあります。
 思い起こせば、かの岩波がフランスのクセジュ文庫にならって、学術分野の入門書を出したのが始まりと記憶しております。往時は、赤、黄、緑と色分けして、人文、自然、社会経済と分野と区別しておりました。今でもその名残は残っておりますが、最近は色をごた混ぜにして美的感性を疑うものが出しております。
 もはや大半を忘れてしまいましたが、自然科学系で『たろいもの歴史』という本など面白かったです。たろいもと里芋の地図を描いたもので、どこで原種が生じ、どのようにして、いつ日本に伝来したか、また調理法や品種改良の成果を書いていた記憶があります。岩波が、柔らかめの新書を出し始めたのは、80年代頃と推測しておりますが、椎名誠に書かせた『活字の大サーカス』かと、岩波文化人などとは縁遠い昭和軽薄体の一人を選んだのは、椎名誠の流行に乗ったのだと睨んでおります。更には永六輔の『大往生』で、新書としては記録的な売れ行きを見せました。あとは、周知の如くです。二匹目三匹目の泥鰌を求めて、文春、ちくま、集英社と遅ればせながら揃いました。中公、講談社は路線を守り、硬軟併せて出しておりますが、やはり長年培った編集の勘所は押さえているように思えます。但し、小生が名著と思える本が絶版になっていたりするものがあるので残念であります。
 ビジネス書の値段は千円をゆうに越えますが、新書なら千円を越えません。以前にも述べましたが、タイトルだけが人生さあります。『バカの壁』、『頭のいい人の話し方』、ちょっとした「頭脳ブーム」であります。まだ未開な部分が一つ、青春出版が出したかのベストセラーであります。小生の目に留まらないだけで、もしかしたらタイトルが活かせずに既に出ているのかもしれません。
 いつ、堂々とタイトルがひねり出されて出てくるか、恐くしております。

『国家の品格』

2006-01-23 | 
藤原正彦氏の「国家の品格」という本は面白い本です。とりわけ小生の目を引いたのは数学的ひらめきは美的感性によるという氏の仮説は興味深いものであります。古今東西の数学者を上げて、定理の発見や証明の影には、美しいものが存在していた。例えば、豪奢な寺院、詩文、機能美や、芸術性を追求した建物などが、件の数学者が幼少の頃に、身近に存在していたということです。それは人工美だけではなく、自然の美しさも一因であるということです。なるほど、自然の作る美しさや古今東西の昔からの建造物の魅力は、見るものを飽かすことなく、惹きつけます。そして、その対象への観察眼が洞察力を育み、推理力を発展させ、想像力を更なる飛躍へと導くことでありましょう。
 藤原氏は子育てにも一家言ありまして、かつてそのことに関しても一冊の書をものしたことがあります。大半の内容は忘れてしまいましたが、息子に対して卑怯者になるな、謙譲の美徳を覚えよという言葉に心打たれたことがあります。今回は更に、その子育て論を発展させ、日本の文化、武士道について言及しております。
 さて、本書は講演を文に直したものでありますが、藤原先生、勢い余ってしまった箇所が一つあります。(小生がきづいた範囲で)それは「古池や蛙飛び込む水の音」という句が、欧米人には、蛙が一匹飛び込むのではなく、たくさんの蛙が飛び込むように聞こえる。ゆえに感性が鈍いという結論を下しております。ところで、古池の句を英訳するとどうなるか、Old pond,frogs jumping in, sound of water The quiet pond, a frog leaps in, the sound of the waterであります。と得意げに書きましたが、実は前者はラフカディオハーンこと小泉八雲の訳で、後者はサイデンステッガーの訳であります。恐らく、藤原氏が述べる外国人の感性云々は、小泉八雲による紹介が広まったために、かの名句の描写風景が誤解を招いたものと思います。したがって、一概に外国人の感性を日本人と比肩して鋭敏か鈍重かは言えぬものでありますが。だからといって、国家の品格というほんの内容自体が損なわれるということにはなりません。
 小生、この本の魅力は冒頭に述べました。にしても、幼少の頃は、美しい自然に囲まれ、飛び込む音も、歌も耳にしました。加えて、弥生、縄文といわれる石器、土器の類もよく見つけたものです。遠足では、城下町と呼ばれる所や、旧跡寺院と訪れました。なれど小生の数学力は四則の計算止まりであります。
 猫に小判と言う言葉を思い出し、読了後には笑みがこぼれました。

なるほど世界知ず帳

2006-01-16 | 
 小人閑居してここに濫すにならぬようにと、久しぶりに世界地図を買ってきました。トリビアの泉ではないですか、地図を見ていてなるほど、こんなところもと感心することしきりであります。思えば、蛍雪の光の下で学んで幾星霜、ここ十年以上も口の端に上らなかった地名があること、あること。海外旅行でも行ったり、行った友人が多ければ、会話の中に登場するのでしょうが、南米、北欧、東欧、中東、中国、オーストラリア等々にある砂漠、山脈、湾に、海峡、半島と、幼き頃に地図で描いた位置が頁を繰る度に蘇ってきます。
 ところで、その地図によると日本は人工衛星を102個も打ち上げているそうです。かの大英帝国ですら三分の一程度であることに驚きました。インターネットが普及している国はアイスランドであるということも知りました。利用者人口の世界一はアメリカでありますが、納得といえば納得、不思議といえば不思議であります。
 考えて見ますと、地名や都市名を覚えたのは歴史上重要な役目を果たした国であり、さほど大して重要でない国の都市名は意外と覚えてないものです。勿論、大切か否かの判断基準は保留ですが。
 宇宙飛行士のいる国であるとか、こんな国に宇宙飛行士がという、例えばベトナム。南アフリカと、しかしながら宇宙飛行士のいる国を並べてみると見事に現代史がわかってしまうことが哀しいといえば哀しいことです。軍人の数の世界一はとにかく、ベストテンの上位に北朝鮮がいることもなんともいえない事実であります。
そうかと思えば、海が無いのに海軍と軍艦を持っている国なんてのもあります。
 つまるところ、小国寡民の国が一番良いのではと思わせる資料であります。
 国は小さく、人は少ない。兵器があっても用いない、誰も遠くへ行きたいと思わない、船や車、鎧があっても絶えて用いたことがない。その食をうましとし、その服を美とし、その居に安じ、その俗を楽しましむ。(老子)
 しばらくは、世界地図が描けるように閑を見ては眺めるつもりであります。

『通俗書簡文』より新年のご挨拶

2006-01-01 | 
改りぬる年の始めの御寿、門まつの色かわらぬためしに申納め候。御夫婦さま御はじめ誰君様(どなたさま)にも御揃い御のどやかに御年迎え遊ばされ候御事(そうろうおんこと)、いといと嬉しく存じ候。かように新年のご挨拶申し上げます。冒頭、仰々しく候ふ文で書きましたが、何、種を明かせば一葉樋口夏子女史の『通俗書簡文』の中の新年の挨拶の文例であります。
 生憎の曇天で、御来光とはいきませんが、近隣の神社、仏閣にはすでに初詣の人垣ができておりました。新年の計は元旦にありと申しますが、今年は何をしようかと考えたところで詮無いこととダメの人は、計を設けることなく本年も恙無く過せることを旨に萬何事にも精進していきたいと申しておきます。
 さて、冒頭に紹介した一葉女史の書物の中で、「華氏」という表現が使われておりました。わが国は摂氏で温度を表します。米国の天気予報、新聞の天気欄でいつも困るのが摂氏華氏の表記の違いであります。かつてUSATODAYという新聞が、なぜかしら山手線(やまのて)の一部の駅でかつて売られておりました。その新聞ではご丁寧に換算表がついていた記憶があります。今では書店に行かねば購入できない新聞となりましたが、かつて明治の時期に華氏で温度表記をしていたことが意外でありました。世間知らずといえばそれまでですが、全体いつから摂氏になったのでしょうか、尺貫法は捨て去ってもマイル法は取り入れずに、メートル法に踏み留まりました。してみれば、摂氏を入れたのはいつの頃か、進駐軍が来て、カムカムエブリバディを歌い、もろ手を挙げて米国式の生活を取り入れました。にもかかわらず華氏は普及しませんでした。江戸の頃、温度はどのような表記だったのでしょうか。そんな疑問が浮かんだ次第であります。
 「神は細部に宿る」といいます。細部に人の生活を見つけます。華氏、摂氏どうでもいいことですが、神を見つけたく筆を走らせました。
 一葉女子の文は何度読み返しても心地よいです。『おおつごもり』、『たけくらべ』何度同じ本を購入し、何度よんだかわかりません。今年は夏子さんからの手紙で一年を始めます。朱夏などとうにすぎたダメの人。

 オシムの言葉と知人の言葉

2005-12-30 | 
先日、近隣に住む古老が鬼籍に入りました。よく行く湯や(銭湯)で、カランを並べて、昔話を聞かせてもらいました。南方に出征し、命からがら故郷の土を踏んだそうです。老人が、小生に話してくれたのは、猿を撃ったこと、荷物を運ばせた水牛の話だけです。飢餓地獄で、目に入るものを食べ、最後の最後で、苦楽を共にした痩せこけた水牛を自らの命のために食したということです。口ぶりは明るく、その顔には一片の翳りもありませんでした。ですが、その声と表情に潜む戦争の悲惨さには十分なものでありました。このときほど、湯船の中でよかったと思わなかったことはありません。
 オシムの言葉という本があります。ジェフ市原の監督で、その言葉に軽妙さと機智に富んだ味わいがあります。彼はあのユーゴの悲劇中で、サッカーの監督を務めました。平和な世の中でボールを蹴ることの素晴らしさを知る人でもあります。本当の悲しみ、人間の業を知った人は寡黙であります。ただひたすら目の前にある使命の為に一身をささげます。それは偉大な事業ではありません。彼、もしくはそのような人にとって弾の飛んでこない日常こそが自らを捧げるに足る事業であることを知っています。
 本の紹介文としては、少々逸脱しているかもしれません。他の人のブログを見ると、内容の一部が紹介されています。ですが、小生は今回はあえてこのような形でこの本を紹介します。だからと言って暗い内容の本ではありません。オシム監督の人となりが見事に書かれている、そして今年のジェフの勇躍が書かれた本です。
 言葉の重みを最近とみに軽視している小生には、大きな贈り物でした。
 一千万といえど我行かんは、競技場だけにして欲しいと、思う次第であります。
 『オシムの言葉』集英社刊 木村元彦 税抜 壱千六百円也

『昆虫の世界へようこそ』 海野和男

2005-12-08 | 
海野和男氏の『昆虫の世界へようこそ』ちくま新書刊 は魅力的な本であります。海野氏は昆虫写真の第一人者としても知られ、昆虫の視点で見た世界をテーマに背景がぶれることなく、写真の魅力を引き出しております。写真の美しさもさることながら、内容も興味深いものであります。たとえば、昆虫を人間のサイズ(身長170センチ、体重60キロを基準として)にしてみると、例えばカブトムシの場合、体重は349キロになります。カブトムシといえば虫の王様みたいな存在ですが、そのカブトムシを凌駕する体重の虫がいます。それはナナホシテントウであります。170センチの大きさになると、こんな意外性に気づかされるのだと感心しました。
 また蜜蜂をジャンボ機のサイズにすると、重量は36倍ほどに、飛行速度は実にほぼ250倍にもなるという話も書いてあります。
 昆虫がこの世界で最も種類が豊富で、多様であることはつとに知られていることですが、身近な昆虫にも目を向けると意外な習性や属性があることに驚かされる一冊でありました。
 昨今は、昆虫ブームと聞きます。海外の珍しい甲虫が高額で取引され、飼育されるのが珍しくなくなったようです。知人は、子供にねだられたまたま一対の外国産のクワガタを購入したところ、いつの間にか一家揃って虫にはまり、今では飼育箱が6つも並び、ブリーダーよろしく、甲虫の産卵に夢中になっております。休日は、近所の昆虫専門店を回るという域にまで達しております。
 幼き頃、秩父の山でななふしを見つけたときの感動は、今でも忘れません。木の枝の如く擬態をする摩訶不思議な動きとその存在の強烈さに、心臓が飛び出さんばかりに声を上げ、枝の前に顔を近づけて息を殺し、緩慢とした動作を時をわすれて見つめておりました。一匹しかいないななふしになにか生きた化石のような奇跡を覚え、捕まえてはならぬのだと大仰なことを考え、枝を後にしたものです。
 銀杏並木の下に黄色い絨毯が敷かれる季節です。こんな時期からも活発になる虫もいるということを件の本で知りました。