文庫版で、桂文珍師匠の「落語的学問のススメ」が出ております。この度のは、慶応大学で行ったものをまとめたものでありますが、すでに第3弾であります。通して読めば、当世の学生の気質がわかって面白いものでありますが、この10数年の間に講義内容も少しずつ変化して参りました。初めて、関西大学で講義を行った時には、思考力の柔軟さというものを師匠は学生に説いておりました。それは、学生諸君が無事卒業し、会社という社会に入っていくのに、世間さまというものを相手にするのに何が大切であるかを説いていました。
文珍師匠は、例として、弟子と師匠の関係を挙げて説明しております。師匠の言うことは絶対である、黒いものでも白といえば、白になると。例えばこうであります。あのカラスは白いなあと言えば、弟子は「はいそうですねえ」と答える。赤信号を師匠が見て、「青信号や」と言えば「青です」とこれも応える。師匠がすかさず、「ほなおまえ渡ってみい」と言ってきます。そこでどうするかと。師匠の言うことは絶対です。でも本気で赤信号を渡る度胸のある人はあまりいません。これをもってして、世渡りとはいかなるものかを説いていたのが今を去ること10年前の師匠の講義でありました。
さて、この度のものは、このようなことに加えて二つ学生達に説いております。頭の柔軟性以前に、「考える」という行為を強調しております。今流行の頭の体操のような問題を学生に与え、解答を作成させております。勿論、正解は一つと限らないとも教えております。正解を調べるのではなく、自分の頭を使って考え出すことの大切さであります。二つ目は、古典芸能の世界を紹介しております。それが日本文化の理解でもあり、日本人がどのようにものを捉え、考えてきたのかということを一から教えております。師匠は、文明開化で脱亜入欧を目指し、終戦でアメリカナイズを目指し、今日目出度く無国籍日本人が出来上がったと、講義の中で語っております。そしてこの講義には自らの職業、落語とは、笑いとは何かという問いが端々に隠されております。
師匠の創作落語、病院の待合室やセンスをマウスに見立てネット社会を再現する発想、それらは「笑い」とは何かという根源的な問いから生まれているのだということを教えてくれるのが、「落語的学問のススメ」ではないかと考えます。
人に教えることは、自ら学ぶことだという言葉がありますが、実はこの本、師匠自ら、学問している本であります。
文珍師匠は、例として、弟子と師匠の関係を挙げて説明しております。師匠の言うことは絶対である、黒いものでも白といえば、白になると。例えばこうであります。あのカラスは白いなあと言えば、弟子は「はいそうですねえ」と答える。赤信号を師匠が見て、「青信号や」と言えば「青です」とこれも応える。師匠がすかさず、「ほなおまえ渡ってみい」と言ってきます。そこでどうするかと。師匠の言うことは絶対です。でも本気で赤信号を渡る度胸のある人はあまりいません。これをもってして、世渡りとはいかなるものかを説いていたのが今を去ること10年前の師匠の講義でありました。
さて、この度のものは、このようなことに加えて二つ学生達に説いております。頭の柔軟性以前に、「考える」という行為を強調しております。今流行の頭の体操のような問題を学生に与え、解答を作成させております。勿論、正解は一つと限らないとも教えております。正解を調べるのではなく、自分の頭を使って考え出すことの大切さであります。二つ目は、古典芸能の世界を紹介しております。それが日本文化の理解でもあり、日本人がどのようにものを捉え、考えてきたのかということを一から教えております。師匠は、文明開化で脱亜入欧を目指し、終戦でアメリカナイズを目指し、今日目出度く無国籍日本人が出来上がったと、講義の中で語っております。そしてこの講義には自らの職業、落語とは、笑いとは何かという問いが端々に隠されております。
師匠の創作落語、病院の待合室やセンスをマウスに見立てネット社会を再現する発想、それらは「笑い」とは何かという根源的な問いから生まれているのだということを教えてくれるのが、「落語的学問のススメ」ではないかと考えます。
人に教えることは、自ら学ぶことだという言葉がありますが、実はこの本、師匠自ら、学問している本であります。