中田人材経営サロン

元ソニー人事部長であり、青山学院大学客員教授の中田研一郎より、企業の視点と個人の視点で「キャリア」「生き方」を語ります。

今なぜグローバル人事? その2

2008-08-10 23:28:26 | パブリシティー
今なぜグローバル人事? その2

真のグローバル企業とは何か?その定義は何なのだろうか?
先日、青山学院大学においてトヨタの張会長の講演を聴く機会があった。その中で、張会長はピーター・ドラッカーとの会談において、ドラッカーが「グローバル企業とはグローバル人材を擁している企業」という定義に言及されたことを紹介されていた。私もこの定義は正鵠を得ていると思う。工場や販売拠点を海外に展開しただけではグローバル企業とはいえない。海外で資金調達することもグローバル化の一施策ではあるが、それだけでは十分ではない。その企業において日本人であるかどうかを問わず、日本と海外の拠点をグローバルな共通プラットフォームとしてグローバル人材が、国籍を問わず自由に動き、マネジメントに参画している企業をグローバル企業というべきであろう。また、そのような企業構造を持つ企業を、私は「グローバル・オープン・アーキテクチャー」企業と称している。

それではグローバル人材をどのように育成したらいいのであろうか?
人材のグローバル化のためには、三つの普遍的なインフラが必要と考える。
まず、①マネジメント力・インフラ
次に②人材の人間力・インフラ
最後に③コミュニケーション・インフラである。

図表4

上記図表4に従って説明をすると、マネジメント・インフラは(1)マネジメント力(2)グロール共通評価・格付け制度(3)Retention制度(給与、Stock option, Benefit) (4)外国人の採用(日本と現地)(5)経営トップへの登用(6)グローバル・サクセッション・プラン(7)グローバル・ローテーション(日本人、外国人)などから構成される。

まずマネジメント力は、これらの中でも最も重要である。ここで言うマネジメント力とは、人種、国籍、年齢、文化を超えて通用する人と組織をマネジメントし、リーダーシップを発揮する能力であり、スキルである。それはまさに「グローバルマネジメント職」ともいうべき専門職であり、誰にでもできるというものではない。しかし、「グローバルマネジメント職」人材がいない限り、真のグローバル企業にはなりえない。クローズド・コミュニティの日本企業において、階層別管理職研修を受けただけで、突然海外に行って日本流の知識と経験に基づいて外国人を相手に日本流マネジメントを押し付けても通用しない。それを強引に実行すればまず優秀な外国人は採用できないし、採用できてもすぐに辞めてしまうであろう。そのような例は中国の日系企業において特に顕著であるが、他の国においても具体例は枚挙に暇がない。
「雇った外国人社員がすぐに辞めてしまうのをどう解決すればいいか?」という質問を筆者は良く受けるが、辞める原因が全面的に外国人にあるという思い込みがそもそも間違っている。日本の会社がまさに"クローズド・コミュニティ"になっていることに原因があることに気づかない限り、この問題は解決しないであろう。
オープン・アーキテクチャーの企業になるためには、日本人が「グローバルマネジメント職」人材になるだけでなく、外国人の「グローバルマネジメント職」人材が数多く必要である。日本企業はまだ内なる国際化、すなわち日本の組織に外国人を受け入れるという段階で大半の議論が終わってしまっているが、目指すべきは多数の日本人と外国人の双方の「グローバルマネジメント職」人材を日本と海外の拠点に配置した組織形態である。もちろん、そのような姿になるためには相当の年月を要するであろう。「人材育成は一日にして成らず」である。

しかし、最初に述べたような日本企業を取り巻く環境を考えると、いま早急に手を打たなければ、時間との競争で手遅れになるという危機意識が何よりも大事である。バブル崩壊後、日本企業では「茹蛙現象」になっているという自戒をこめた言葉が聞かれたが、日本的な“しがらみ”を断ち切れず、日本のクローズド・コミュニティの穴の中に潜んでしまっているのでは「茹蛙」はおろか「化石」になってしまうであろう。そのために、グローバル企業を目指す企業は「グローバルマネジメント職」人材の育成をまず始めなければならない。

二つ目の普遍化は「人材の人間力・インフラ」である。異なる人種、言語、文化の外国人と共に働くうえで一番大事なのは、それらの違いを超えて「人間」という共通基盤で相互の理解と信頼を構築することである。それは単に市井人として人間的であるということではない。人柄が良くて人間的な人は数多くいるが、厳しい国際ビジネスを行う上で要求される「グローバルマネジメント職」人材の人間力は、人格が立派で人間として魅力があるというだけでは成り立たない。海外で外国人とビジネスの中で信頼関係を構築するためには、その人がビジネスを行う上でプロフェッショナルとしての「Identity」を確立してなくてはならない。「プロフェッショナルビジネスマン」としての普遍的な要件を具備することが求められるのである。

「人材の人間力・インフラ」を構築するためには、異文化理解も必須である。文化の違いとは異質性そのものである。異質性を理解しなければ普遍性は獲得できない。異質性の中で、いかに受容と寛容に基づいて相互の共通理解の土俵を築いていくかが大事である。しかし、この部分は「知らなければ始まらない」世界なので、適切な研修の形で「形式知」を学び、ビジネスの実際の場面で現地の人から暗黙知を学ぶということになるであろう。

最後の普遍化はコミュニケーション・インフラである。
コミュニケーション・インフラは(1)社内公用語としての英語によるコミュニケーション」、(2)コア・バリューの共有、(3)コーポレート・ユニバーシティの三つから構成される。
「グローバルマネジメント職」人材を育成する上で最も時間がかかり、かつ日本企業の大きなハンディキャップになっているのは「社内公用語としての英語によるコミュニケーション」である。英語はインターネットの時代においてビジネスの世界では完全に公用語となった。今や世界中どこへ出張してもビジネスマンであれば英語を話すことは常識になった。英語を話さないということは、自らの活躍の舞台を日本に制約することに他ならない。コミュニケーションに必要な受信も発信も英語で行うことが、謂わば“Rule of the Game"なのである。通訳を介して会議をしたのでは、1時間の会議は2時間以上となり結果としての相互理解はかなり低いレベルとなるし、信頼関係の構築も中途半端となる。ソニー、日本板硝子、日産のCEOは外国人である。彼らは日本語を挨拶程度には話すが、ビジネスの場面ではすべて英語を使用している。あなたの上司が外国人で英語しか話さないとき、あなたはどうするのかということを考えれば、事の重要性は明らかであろう。

次に「コア・バリューの共有」について。
グローバル企業の社員が人種、言語、文化の差を超えて共通の価値観を共有することは、トップマネジメントがリーダーシップを発揮する上で必須である。社員が異質性を超えて共通性と普遍性を共有できなければ組織のチームワークは成り立たない。異質性と多様性は遠心力として機能し“組織のダイナミズム”を強化する。それに対して、価値観の共有は求心力であり、異質性と多様性を維持しながらもそれと矛盾することなく、“組織の堅固性”を強化する。
ジョンソン&ジョンソンの“クレド経営“、トヨタの"トヨタウェイ”などグローバル企業は、経営理念のエッセンスを「コア・バリュー」として経営の求心力の源泉にしていることは夙に有名である。

最後に「コーポレート・ユニバーシティ」は、すべてのグローバル企業に必要という訳ではないが、トップマネジメントがグローバルに活躍する人材を育成する上で、日本人のみならず海外の幹部候補生を「グローバルマネジメント職」人材として育成し、また次世代経営者を発掘する上で、極めて有用な“器”として機能するであろう。そのような“器”の有無にかかわらず、「グローバルマネジメント職」人材の育成プログラムをトップマネジメントが直接関与して実行に移すことが肝要である。グローバル企業のトップマネジメントの重要なミッションの一つは、「グローバルマネジメント職」人材の後継者を発掘し育成することであり、グローバル企業としてはそのミッションをグローバルな視野の中で実施しなければならないからである。

以上