風景写真春秋

残日録代わりの風景写真です。
もちろん「日残りて、昏るるに未だ遠し」という意味合いです。

誰もいない海 (トワ・エ・モワ)

2018-09-13 | 音楽
 トワ・エ・モアの歌で「誰もいない海」です。
 作詞山口洋子、作曲内藤法美。
 下部は2016年9月11日に「誰もいない海」として私が掲載したものです。
 歌を聴きながらご覧ください。

誰もいない海 トワ・エ・モア <YOUTUBE>から


 三重県尾鷲市、三木里海岸です。
 ここも遠浅の澄み切った水と白い砂浜が広がり、夏には海水浴場としてにぎわいます。
 背後には紀州藩主時代の徳川吉宗が、防風林として植えさせたといわれる松林が連なっています。
 夏のにぎわいがうそのように、誰ひとりいない海岸は静まりかえっていました。








































⑭大きく竿がしなり、大物がかかったようです。
 奥さんはタモを持って待機しています。
 ところが、途中で魚が根に潜ったか、何かに引っかかったのか、竿はしなっているのに魚は上がってきません。
 しばらくの間やり取りし、何とか引き寄せようとしましたが、ついには仕掛けが切れてバラしてしまいました。
 この残念な気持ちはよく分かります。


⑮三木里海岸に日は少し傾いてきたようです。


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2 コメント

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誰の心にも残る (デ某)
2018-09-13 09:45:19
ほんと!誰もいない海。
でもいせえびさんがいらっしゃるんですよねぇ(笑)
ズームをかえながらの連写、
いせえびさんの眼になって愉しませていただきました。

砂浜に寄せる波・・・私の郷里(弓が浜)の風景と重なります。
弓が浜から眺む山並みは、
一方に大山、もう一方には出雲半島・・・。
今なお美しい風景ですが、
三十数年前、浜の一部が埋立てられ工業団地になりました。
結果、風景は損なわれ企業誘致は進まず広大な空地に・・・。

当時、父が反対する会の代表にまつり上げられ苦闘していました。
埋立を決める市議会の傍聴に行くと
議会事務局から「本日は流会になりました」と説明され
「よかった!よかった!」と解散した深夜、
市議会は再招集され 埋立が決議されました。

晩年の父は認知症を患い 一昨年秋、旅立ちました。
埋立は 父の「一生の無念」でした。
しかし亡くなるまでの数年 
もう埋立について語ることはありませんでした。

誰もいない海 でも誰の心にも残る青松白砂の浜ではあります。
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誰もいない海 (いせえび)
2018-09-13 10:56:44
デ某さん、おはようございます。
この尾鷲や熊野地方は三重県ながら旧の紀州藩に属します。
伊勢と紀伊の国の境を峻険な山岳が海まで迫って遮断し、この区間の紀勢本線が開通したのは1959年のことです。
豪快な断崖絶壁の海岸のところどころに、このような白砂青松の砂浜がオアシスのように姿を現わせてくれます。
40年も昔ですが、御地方へ出張したおり、皆生温泉に泊ったことがあります。
夕刻海岸へ出てみれば、弓ヶ浜の名のとおり、海岸線が伸びやかに弧を描いて広がり、右手の海岸の上に大山が淡く浮かんでいました。
木造の和船を探し大山とともに写したり、砂浜をどこまでも歩いたりして、夕食までをたっぷり過ごしたことがあります。
それ以来、国道431号を走って境港や美保関、島根半島へ何度も向かっていますが、申し訳なくも横目で見るだけで素通りしています。
あの美しい海岸を守ろうとしたお父様のお気持ち、よく分かります。
コメントをいただき、ありがとうございました。
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