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風景写真春秋

残日録代わりの風景写真です。
もちろん「日残りて、昏るるに未だ遠し」という意味合いです。

熊野古道・馬越峠道 その2(上り)

2015-06-08 | 三重県・山・尾鷲熊野
 三重県紀北町の馬越(まごせ)峠道を歩きます。
 今回は紀北町の峠の上り口から、馬越峠までを掲載します。
 6月2日の写真です。

①紀北町海山区馬越峠登山口。
 雨が降り続き、後方の山に霧がかかっている。


②~④尾鷲地方は日本有数の多雨地帯。
 豪雨から道を守るための堅固な石畳。
 この石畳の道は、伊勢参りのあと熊野詣でが盛んになった、主に江戸時代に整備されたようだ。






⑤⑥一枚岩の橋。
 古道はこの先小さな流れを 3,4 か所渡る。




⑦~⑬雨に洗われたシダや苔類が色あざやか。
 石畳もヒノキも濡れ光り質感が出る。
 石畳の石は地元産の主に花崗岩が使われている。
 岩を割り、石を削り、運び、敷く。
 人力だけでたいへんな作業だったことだろう。
 おかげで川のように流れるこの地方特有の豪雨にも耐えて、石畳の道は現在でも立派にその役割を果たしている。














⑭峠付近はほぼ平坦な歩きやすい山道となる。
 峠に昔は茶店があったようだが、今は小さな休憩小屋があるだけだ。


 京の都と熊野を西回りで結ぶ熊野古道・紀伊路は平安から鎌倉期にかけて、皇族や貴族の人たちが熊野三山を目指して歩いた道。
 これに対して東回りで入る伊勢路は、江戸時代以降、熊野詣でや西国の札所めぐりの人たちの歩いた庶民の道。

 明日はその3、馬越峠道下りです。

 

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3 コメント

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熊野古道 (teruko)
2015-06-14 16:12:45
いせえびさま
静寂な中にも厳粛さを感じる峠道。年中このように青々とした木々に覆われているのでしょうね(*^-^*)
敷き詰められた石畳、生い茂った木々に古代の礎を感じさせられます。
写真でしか体得できない光景ですが、現実のように体に伝わってきます。
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terukoさま (いせえび)
2015-06-14 18:59:06
いつもコメントをいただきありがとうございます。
馬越峠は11月中旬に来ていますが、あまり季節の変化は感じられなかったです。
その時の写真を見返していますが、シダもヒノキもまわりの木も青々としています。
ただ、シダの中には、茶色く変色したのもいくつかあり、石畳の上にはヒノキの茶色い細かい葉が落ちています。
私はこういう植物や動物・鳥や昆虫は特に疎いので分かりませんが、常緑樹でも落葉するようです。
しかし、冬枯れの景色ではなく、いつも緑に包まれているようですので、基本的に熊野古道はオールシーズンがオンシーズンです(^^)。
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ヒノキについて (いせえび)
2015-06-14 22:57:37
ヒトリシズカさま。
馬越峠のヒノキのこの前のコメントを補足します。いやこれは補足というよりも、私自身の疑問から問い合わせをしたのですが。
私は林業について知識がなかったため、知り合いを通じ、大手の林業経営者に問い合わせをしました
以下、その方のお話の要点です。
馬越峠など古道の周辺の林はほとんどが個人所有のものであり、現にそこで林業を営んでいる。
そのため、植樹、枝打ち、間伐、伐採などの必要な作業を行っている。
古道は屋久島などのような自然遺産でも国立公園内でもないため、古道から50m以内のバッファゾーンでも市町村への届け出だけで伐採は可能である。
60年サイクルでの伐採が最も経営効率がよいため、そのようなサイクルで伐採しているので、大木にはならない。
有名な那智の大門坂の杉の巨木は、神社内のいわば切らずの森だから存在するが、個人所有ではあれほどまでは放置しない。
という主旨の答えをいただきました。
これで私の疑問も解けました(^^)。
一応の参考までにご覧ください。

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