三重県紀北町の馬越(まごせ)峠道を歩きます。
今回は紀北町の峠の上り口から、馬越峠までを掲載します。
6月2日の写真です。
①紀北町海山区馬越峠登山口。
雨が降り続き、後方の山に霧がかかっている。

②~④尾鷲地方は日本有数の多雨地帯。
豪雨から道を守るための堅固な石畳。
この石畳の道は、伊勢参りのあと熊野詣でが盛んになった、主に江戸時代に整備されたようだ。



⑤⑥一枚岩の橋。
古道はこの先小さな流れを 3,4 か所渡る。


⑦~⑬雨に洗われたシダや苔類が色あざやか。
石畳もヒノキも濡れ光り質感が出る。
石畳の石は地元産の主に花崗岩が使われている。
岩を割り、石を削り、運び、敷く。
人力だけでたいへんな作業だったことだろう。
おかげで川のように流れるこの地方特有の豪雨にも耐えて、石畳の道は現在でも立派にその役割を果たしている。







⑭峠付近はほぼ平坦な歩きやすい山道となる。
峠に昔は茶店があったようだが、今は小さな休憩小屋があるだけだ。

京の都と熊野を西回りで結ぶ熊野古道・紀伊路は平安から鎌倉期にかけて、皇族や貴族の人たちが熊野三山を目指して歩いた道。
これに対して東回りで入る伊勢路は、江戸時代以降、熊野詣でや西国の札所めぐりの人たちの歩いた庶民の道。
明日はその3、馬越峠道下りです。
今回は紀北町の峠の上り口から、馬越峠までを掲載します。
6月2日の写真です。
①紀北町海山区馬越峠登山口。
雨が降り続き、後方の山に霧がかかっている。

②~④尾鷲地方は日本有数の多雨地帯。
豪雨から道を守るための堅固な石畳。
この石畳の道は、伊勢参りのあと熊野詣でが盛んになった、主に江戸時代に整備されたようだ。



⑤⑥一枚岩の橋。
古道はこの先小さな流れを 3,4 か所渡る。


⑦~⑬雨に洗われたシダや苔類が色あざやか。
石畳もヒノキも濡れ光り質感が出る。
石畳の石は地元産の主に花崗岩が使われている。
岩を割り、石を削り、運び、敷く。
人力だけでたいへんな作業だったことだろう。
おかげで川のように流れるこの地方特有の豪雨にも耐えて、石畳の道は現在でも立派にその役割を果たしている。







⑭峠付近はほぼ平坦な歩きやすい山道となる。
峠に昔は茶店があったようだが、今は小さな休憩小屋があるだけだ。

京の都と熊野を西回りで結ぶ熊野古道・紀伊路は平安から鎌倉期にかけて、皇族や貴族の人たちが熊野三山を目指して歩いた道。
これに対して東回りで入る伊勢路は、江戸時代以降、熊野詣でや西国の札所めぐりの人たちの歩いた庶民の道。
明日はその3、馬越峠道下りです。
静寂な中にも厳粛さを感じる峠道。年中このように青々とした木々に覆われているのでしょうね(*^-^*)
敷き詰められた石畳、生い茂った木々に古代の礎を感じさせられます。
写真でしか体得できない光景ですが、現実のように体に伝わってきます。
馬越峠は11月中旬に来ていますが、あまり季節の変化は感じられなかったです。
その時の写真を見返していますが、シダもヒノキもまわりの木も青々としています。
ただ、シダの中には、茶色く変色したのもいくつかあり、石畳の上にはヒノキの茶色い細かい葉が落ちています。
私はこういう植物や動物・鳥や昆虫は特に疎いので分かりませんが、常緑樹でも落葉するようです。
しかし、冬枯れの景色ではなく、いつも緑に包まれているようですので、基本的に熊野古道はオールシーズンがオンシーズンです(^^)。
馬越峠のヒノキのこの前のコメントを補足します。いやこれは補足というよりも、私自身の疑問から問い合わせをしたのですが。
私は林業について知識がなかったため、知り合いを通じ、大手の林業経営者に問い合わせをしました
以下、その方のお話の要点です。
馬越峠など古道の周辺の林はほとんどが個人所有のものであり、現にそこで林業を営んでいる。
そのため、植樹、枝打ち、間伐、伐採などの必要な作業を行っている。
古道は屋久島などのような自然遺産でも国立公園内でもないため、古道から50m以内のバッファゾーンでも市町村への届け出だけで伐採は可能である。
60年サイクルでの伐採が最も経営効率がよいため、そのようなサイクルで伐採しているので、大木にはならない。
有名な那智の大門坂の杉の巨木は、神社内のいわば切らずの森だから存在するが、個人所有ではあれほどまでは放置しない。
という主旨の答えをいただきました。
これで私の疑問も解けました(^^)。
一応の参考までにご覧ください。