2011年11月19日熊本日日新聞夕刊に潤くんのインタビューが載りました
もしかしたら各地方につぎつぎに掲載されているかもしれませんが、朝日とはまた違ったコメントです
東京支社があることをweb「東京ナビ」で調べて電話したらとても丁寧にご対応いただき
会社が近いので、昼休みに買いにいきました
在庫が少ないけれでもお電話すれば、取り寄せて郵送してくださるそうです(あえて番号は控えますが)
ちなみに対応していただいた方と中身を確認したとき
私「きゃーー(と小さく)」
担「これですか」とニコニコ
あの・・ツィッターで話題になってますけれども大変じゃないんですかって思わず聞いてしまったら
その後「松本潤さんですね、19日の夕刊です」ってとっても優しく対応してくださってるそうです
感謝・・感謝(東京支社の方ね)
そして・・写真が大きくて美しい!ほぼ紙面A4横だとすると半分写真!(↓参照)
朝日はまだお疲れぎみだったけれでも、キラキラしています
・・∑(゜ω゜ノ)ノインタビューが江○区のスタジオとあります
蜷川先生ゆかりの「ベニサン」でしょうか?
そういえば一時期さいたま藝術劇場の稽古場(これ簡単に横とおれますが)から都内に移ってたときが
ありましたが、ここだったのかな
いえ・・地元 だからどうだって感じですけれども(笑)
そして何よりインタビュー
「蜷川先生と自分」「小出君と自分」そして「新次からのバリカン」
この人のインタビューは端的で美的、頭がいい(勉強とかではなく)って本当に感心します
インタビューがらみに面白い内容があったので後で書きたいけれど・・
2011年11月15日日経新聞夕刊
この方は以前にも劇評を書いてくださったかたですね
11/5ブログより もし生きていたら、激しい熱を底にたたえる松本潤の「クール」にどんな詩を(日経 劇評)
2011年11月16日読売新聞夕刊(記事と下のサイトは同じ)
11/16 [評]「あゝ、荒野」(Bunkamura/Quaras)
2011年11月17日朝日新聞夕刊にはなんと、なんと、ご本人のインタビュー
11/19寺山修司の美にぶつかる 松本潤「あゝ、荒野」の舞台に
あゝ、荒野劇評など(ダブルクリックで記事自体はきちんと読めると思います)
11/19 凶暴なせりふが嵐のように吹き荒れ、美しい言葉が星のようにまたたく。寺山修司がのこした長編小説「あゝ、荒野」が舞台化され、東京・青山劇場で上演中だ。蜷川幸雄の演出に、食らいつくのは松本潤。初のボクサー役で挑む壮絶な言葉のバトルに、全身でぶつかっている。
舞台は昭和、架空の街「新宿」。新次(松本)は、うらぶれたボクシングジムで、吃音(きつおん)の青年バリカン(小出恵介)と出会う。奇妙な友情に結ばれた2人は、やがてグローブを交えることになる――。
原作を読み、メッセージの強烈な濃度を感じたという。「だから新宿を架空都市にしたのかな。リアリティーが強すぎると伝えたいことが濁るから」。新次も、周囲との関係性で浮かび上がる輪郭のような存在だ。「肉体を鍛え、自信に満ち、でも具体的な過去は見えない。バリカンの陰に対する、陽の象徴なのだと思う」
描かれるのは「究極的には、美ではないか」と語る。「光と闇、生と死など、様々な概念が単に提示されるのではなく、対になり、渦巻くうちに、きれいにも醜くも見えてくる。美しさと凶暴さが言葉で共存できるゆえんでしょうね」
蜷川演出の舞台は5年ぶり2度目。「蜷川さんはアイマスクのよう。目的地も見えぬまま自分と向き合わされ、とりあえず動けと指示されて。目を開ければ、思いもよらぬ素晴らしい場所に連れて行ってくれている」。前作では棒高跳びの少年役だった。「心身ともに高いハードルだったが、一緒に乗り越えようと力づけ、もっと飛べと尻をたたき続けてくれた」。ボクサー役の今回は、3月からジムに通い、体を作った。「5年経った今、どれくらいできるようになったか、問われている感じ。僕も自分の変化を知りたい。新たに広がる風景を見たい」
アイドルグループ「嵐」で満12年。「嵐でなければ見られぬ景色もいっぱいあった」と振り返る。「守りで可能性がそがれるのなら寂しいけれど、今の自分に、自分たちに、一番いいかたちを常に選択してきた結果が、メンバー全員が向き合う今の嵐。だからこそ、帰る場所であり続けているのでしょうね」
ちょっと、ほかのインタビュー記事や本も読み返してみようと思っています。^^
いい噂しか聞こえてこないので不安だったのですが、舞台を観て納得できました。
今、新次の余韻に浸ってます。