北岸にて 〜 シドニーの北郊・ノースショアから想う日本のこと、世界のこと。

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本能寺とラブホテル

2020-06-21 19:03:14 | 旅の雑感
大河ドラマの「麒麟がくる」の放送が一時休止とのニュースを聞いて、思い出したことがありました。

去年京都を旅行した時に、亀岡市にある湯の花温泉の旅館に滞在しました。予算がタイトだったので、ウチの家族の中で京都観光と温泉と2つのニーズを同時に満たすにはどうするか知恵を絞った結果、京都市内での宿泊をあきらめ、周辺の温泉宿に滞在しながら、市内へはレンタカーを使って観光しようとなった訳です。とくに日本風の情緒のある貸し切りの露天風呂があるという条件で見つけたのが、湯の花温泉でした。

予約を入れてから温泉地の周辺をいろいろ調べてみると、この亀岡の地というのは明智光秀が織田信長を討つべく、全軍を本能寺に向けて出陣させた所だったのですね。今からおよそ400年前に光秀は亀岡を出発し、沓掛の別れ道から西国ではなく京都に向けて軍を進め、夜明けとともに本能寺の信長を急襲したわけです。旅程は午後の新幹線で京都駅に着き、レンタカーを借りてこの明智軍のルートのほぼ逆を辿って亀岡へ行くというものでした。当日、実際に車を走らせてみるとよく晴れた京都の街は平和そのもので、血なまぐさい400年前の事件を想像させるものは何もありません。国道を走っているとセブンイレブンやらケンタッキー・フライドチキンなどのチェーン店が目につきます。それらを横目にみながら、桂川を越える頃まではシドニーの街を走っているのとそう違いはありませんでした。

しかし沓掛を過ぎて、老ノ坂峠へさしかかる頃には、山の木々が夕陽をさえぎるようになり、道にも暗い影が落ちるようになります。寂れた道路脇のラブホテルを何軒か過ぎる頃には、気分が深夜の峠を進軍していた兵士の気持ちに寄り添うようになりました。明智軍の兵士達にも妻や恋人がいたことでしょう。そして戦場に出かける前には、その若い男女が別れを惜しむように抱き合っていたことでしょう。村上春樹の小説の中にもある兵士が死を目前にして、「出征する前に一度だけ抱いた女性のことを思い出しました」というような一節があります。女性の中にはよく「あの男は私とは遊びだったのよ!」みたいに言う人がいますけれども(笑)、男にとってはどの経験も死ぬまで心に残るものだと思います。話がそれましたが、その古く寂れたラブホテルが、明智軍が通った峠の道にあることがとても自然に思われたんですね。

そしてその暗い気持ちは、田園風景が広がる亀岡に入っても続きました。暗い気持ちといっても、悲壮感というと少しニュアンスが違います。ただ戦国時代からあったであろう里山やそれに囲まれた田畑を見ると、むかし人々が「一尺五寸に切った火縄」の銃を担いで京都まで歩き、そこで生死を賭けた合戦をしていたということが、なんとなく事実として腑に落ちるというだけです。




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