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つづれづれ

毎日の記録。

百鬼園写真帖

2004-09-09 23:09:21 | 
発売日の今日、「内田百間集成24 百鬼園写真帖」を買った。この写真帖が出ることを知ってから、ずっと気になっていただけに、手にできて嬉しかった

この仏頂面がたまらない(笑)こんな顔だが、優しい人だ。
家族にいたら面倒くさい気もするが、愛されキャラの百間先生。マイナーだと思っていたが、好んで読んでいる人もたくさんいるらしい。

写真帖と照らし合わせて、またいろいろ読み返してみようと思う。

東京焼盡 内田百間

2004-08-26 00:30:16 | 
8月ということで、戦争ものを読むのもいいかなと思い選んだ。空襲が始まっても疎開せずに東京麹町に住み続けた内田百間が、空襲の様子や戦時中の生活を克明に記した日記だ。昭和19年1月1日から昭和20年8月21日までの日記。

この本には、毎日の警戒警報、空襲警報とその解除の時間が記されている。もちろん内田百間自身も危ない状況のときがあるから、覚えておいたのかメモしていたのか判らないが、とにかく毎日記録していたのだ。よい資料だと思う。

又、爆弾落下の地響きや高射砲の音、火事で空が赤くなりもくもくと煙があがる様子など、人々が空襲をどのように見ていたのかがよくわかる。警報により夜寝られなかったり、予定どうりには出掛けられなかったりと大変なストレスだったようだ。空襲の不安や恐怖の中で、よく生活を営んでいられたと思う。

いつもマイペースな内田百間だが、このような状況ではやはり日々動揺していたようだ。宮内省(皇居内)や伊勢神宮に爆撃があったときは「どうする。どうする。」と書き、故郷の岡山に初めての空襲があったときは「ほんまに、きょうてい事ぞな。」と珍しく方言を使っている。1日何もなかった日でも「無事なるに越したことはないけれど、次に何か不気味なことが控えている様で返って心配でもある。」と戦時下の心境を書いている。いろいろな情報を聞くと「本当かも知れないし、根も葉もない心配かもわからない。一一そう云う話にこだわらぬ事にしようとも考え、しかし又馬鹿には出来ぬぞと警戒する気持ちもある。」と不確かな情報に振り回されている様子もわかる。地方都市のほとんどが空襲し尽くされ「どんな町にも感情があり由緒や歴史がある。今となっては仕方が無いことかも知れないが何人がこんな事にしたかと考える。」という落胆は、当時の多くの人の気持ちであると思う。

焼け出された明くる日に、歩いて出掛けた帰り「歩きながら家内に、こうして痛い足を引きずってやっと家に帰って玄関を開けて帰ったよと云い、上がり口に腰を下ろして汗を拭いて一休みするその家がなくなったのは困るね、と話した。」というところは、読んでいて涙が出るようだった。又、会社の帰りに焼けた駅で「東京駅の野天となりたる歩廊にて電車を待つ間、骸骨の目の様な赤煉瓦の穴から金色を帯びた落日が向うの大内山の森に沈むのを見た。」という内田百間の姿は想像するに切ない。

内田百間独特の視点としては、お酒のことが印象的だった。余程好きなのだろうなと思う記述が所々にある。飲んだお酒のことは、必ずと言っていいほど書いてあるのだ。

疎開しなかった理由に仕事があるが、午後の数時間しか出勤せずに一体どんな仕事をしていたのだろうと思った。給料はきちんともらっていたようだが。

相変わらず皮肉ったような面白い文章があるが、戦時中のことであって、おもいっきりは笑えななかった。

内田百間が日本のこれからに思った言葉は「出なおし遣りなおし新規まきなおし」だった。

川べりの道  鷺沢萠

2004-07-24 00:27:30 | 
4月に作家の鷺沢萠さんが亡くなられました。
ネットでそのニュースを知ったときは、胸が締めつけられるようでした。最近は全然読んでいませんでしたが、気に入って何冊か一気に読んだ時期があったので思い入れがあったのです。
亡くなられたあと、いくつか他の作家の方が鷺沢さんのことを書いているものを読みました。やさしく、一生懸命な人だったということがわかりました。また一層残念さが込み上げました。

私が初めて読んだ鷺沢さんの作品は「川べりの道」です。ふらっと入った古本屋で、200円の「帰れぬ人びと」を買いました。たぶん収録されている「川べりの道」が文學界新人賞受賞作品だということで興味を持ち、買ったのだったと思います。

「川べりの道」を読み返してみました。なんだかずっとどきどきしていました。主人公の少年になった気分だったのでしょうか。静かな話なのですが、興奮します。
ふと、この作品を映画化するならということを考えました。主人公の少年は、「誰も知らない」でカンヌ映画祭の男優賞を受賞した柳楽優弥君がいいんじゃないかなと。でなければ、「茶の味」の佐藤貴広君。どっちの映画も見てないんですけどね・・・。見たいだけかな。でも濱田岳君のほうがいいかも!彼は「ひとりぼっちの君へ」というドラマで浜ちゃんと共演していました。なんて想像を膨らませ過ぎですね。

話は逸れますが、濱田岳君のことを調べていて「白い船」という映画を思い出しました。彼が出演している映画です。2001年の夏、観たいと思いつつ見逃してしまったんだった。ビデオも出てるみたいなので、借りてきて観ようと思います。
絶対夏にぴったりだと思うんですよね~。

鷺沢さんは20歳を過ぎてから、父方の祖母が韓国人であるということを知ったそうです。それから在日韓国人をテーマにした作品を多く書いています。私はまだ読んだことがないのですが、最近読もうかと思い始めました。実は、最初に私が読んで好きになった感じと作風が違うのではないかと思い、ずっと避けていたのです。

久しぶりに鷺沢さんの小説をいろいろ読んでいきたいと思います。

携帯DE辞書

2004-07-23 18:15:02 | 
私はiモード版「三省堂辞書検索」というサービスを利用しています。携帯を持っていれば、どこでも辞書機能を使うことができるのです。
サービス内容は、英和、大辞林、カタカナ語、ことわざ、などかなりの充実ぶり。私は全てのサービスを使えるので有料会員なのだと思うのですが、登録のときのことをよく覚えていません・・・。

いつ使っているかというと、電車の中で本を読んでいてわからない言葉が出てきたときなど外出中はもちろんですが、家にいるときでも使っています。
というのも私は国語辞典を持っていないのです。電子辞書も持っていません。なので、現在この携帯の辞書に頼りきりの状態です。引越しのとき持ってきたはずの国語辞書はどこかに消えていました。辞書を買うのもなにかもったいないような気がして、そのままの状態が続いています。

そこで、私がその辞書で調べた言葉たちをいくつか紹介します。これを機にiモードの画面メモに溜まっていたいた言葉たちを消去しようと思っているので。

①入魂:親密であること;「じゅっこん」という響きがよいです
②肝胆を砕く:懸命になって、そのことに当たる;肝臓と胆嚢
③一期一会:茶会に臨む際には、その機会は一生に一度のものと心得て、主客ともに互いの誠意を尽くせ、の意;元々はこういうことなんですねぇ
④岩宿遺跡:相沢忠洋の遺物発見を契機に、49年関東ローム層から石器が出土し、縄文時代以前の日本に旧石器文化の存在が確認された。;群馬を旅行したときに、思い出すことができず調べました
⑤蘭虫:金魚の品種の一;体が球状で、頭にはこぶがあるそうで
⑥丹前:防寒用の和服の一;つまり「どてら」です
⑦牝鶏あしたす:女が勢力を振るうたとえ。家や国が滅びる前ぶれである;恐ろしいことです
⑧泰西:西洋諸国をいう;日本は泰東か
⑨検校:1871年の当道廃止以後、一部の地歌・筝曲演奏者団体が発行した職格免許;今も使われているのか
⑩生蕃:戦前の日本の統治時代、台湾の高山族のうち、山地に住み漢族に同化していなかったものに対して用いた呼称;台湾旅行楽しかったなぁ

これで半分強を消去できました。また今度、消去するときにここで紹介したいと思います。この言葉を見て、どんな本を読んだのかわかる人がいたらすごいですね!結構、特徴のある言葉を調べているので。

吾輩は猫である 夏目漱石

2004-07-21 18:10:25 | 
「贋作吾輩は猫である」という本を読むために予習として読みました。ちなみに、「贋作吾輩は猫である」の作者内田百間にここ1年ほどはまってます!
え~、こういう有名な作品を二十歳過ぎても読んでいないというのはなんだか恥ずかしいことのように思ってました。夏目漱石とか、太宰治とか、芥川龍之介とか。でも、今だからこそ楽しめたような気がします。10代の私じゃあわからないこともあったと思うんです。やっぱり、日々人生の経験積んでるんですね~。

「吾輩は猫である」の文庫本微妙に厚い!ちょっとびびったけど、面白かったんでスイスイ読み進められました。
猫が語る主人九沙弥先生ワールドにどっぷり浸かった感じです。味があっておもしろい。あとこの時代も好き。明治・大正という時代に惹かれるんです。文明開化とか、大正モダンといったように外国から入ってくる新しいものも楽しめて、日本の伝統的な(独特の)生活もしているっていう。カフェにも行くし、落語や筝も楽しむ、みたいな感じで。

この作品は笑いの要素がある一方で、まじめに考えさせられることもありました。自分に当てはまるような部分もあり、痛いところ突かれた気分になったりして。いつの時代も人間の考えることや感じることは、似たようなものなんですね。その変わらない部分を描くのは難しいんでしょうけど。いろいろな要素があるのは、もともとこの作品が11回に分けて雑誌に連載されもので、1回ごとにいろいろな手法を試したかららしいです。

それにしても、明治に書かれたものが平成に生きる人をも楽しませれるってスゴイですね~。クスっとさせたり、なるほどねぇと言わせたり。